第六十四話:弟
夕方。オレンジ色の西日が差し込む頃、私とセラフィナは我が家へと帰還した。
「ただいまー」
「お帰りなさい、二人とも……って、ええっ!?」
玄関を開けてリビングに入ると、ソファでテレビを見てくつろいでいた母と、キッチンから顔を出したアイシャが、同時に目を丸くして固まった。
無理もない。朝出かけた時とは、私たち二人の姿が劇的に変わっていたからだ。
「セラフィナ様、その髪は……! 魔法陣の暴発にでも巻き込まれたのですか!?」
アイシャが血相を変えて駆け寄ってくる。
学食で因果律の検証のためにザンバラに切り落とした私の髪に合わせて、セラフィナも自らの美しい長髪をバッサリと切ったのだ。「あなたが切るなら私も切りますわ。これも検証の同調条件です」と言って譲らなかった。
さすがに素人が工作バサミで切った頭ではみすぼらしいので、帰りがけに駅前の美容院に飛び込み、二人揃って綺麗に整えてもらったのである。
「驚かせてごめんなさい。でも、少し気分を変えたくて」
私が照れくさそうに頭を掻くと、母は立ち上がって私たちをまじまじと見つめた。
「まあ……すっごく似合ってるじゃない! びっくりしたけど、二人ともショートボブなんて新鮮ね」
美容師の腕が良かったおかげで、私の黒髪は顎のラインに沿うような美しい前下がりボブに仕上がっていた。首元がすっきりとして、少しだけ大人びた印象になっている。
しかし、それ以上に目を引いたのはセラフィナの方だった。
透き通るような白い肌に、神秘的な輝きを放つ瞳。腰まであった美しい髪を切り揃えられた彼女は、高貴な令嬢というよりも、洗練されたモデルか、あるいはSF映画に出てくるクールなヒロインのような、全く新しい魅力を放っていた。同じ顔のはずなのに、色素と纏うオーラの違いで、こうも受ける印象が変わるものかと私自身が一番驚いていた。
「ひとまず、食事の準備の続きをしてまいります」
アイシャはまだセラフィナの髪に未練があるようだったが、気を取り直してキッチンへと戻っていった。
私とセラフィナは、「少し着替えてくる」と言って二階の私の部屋へと向かった。
ドアを閉め、私たちはベッドとデスクの椅子に分かれて座り、すぐさま今後の作戦会議へと移行した。
「さて、私たちが無事に生き残ったとして、その先の問題ですわ」
セラフィナが腕を組む。
「あなたを助けるためだけに来たわけではありません。私は、愛する人の待つあの世界へ帰らなければならないのです。……異次元へのゲートを開く、何か科学的なアプローチはこの世界に存在しませんの?」
私はデスクの椅子で胡座をかきながら、うーん、と唸った。
「理論物理学の端くれとして言わせてもらえれば、加速器を使って素粒子を超高エネルギーで衝突させることで、隣接するパラレルワールド(高次元のバルク)に干渉して極小のブラックホールやワームホールを作り出せるんじゃないか、っていう仮説はあるよね。スイスにあるCERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)のATLAS実験なんかで、そうした余剰次元の探索が行われてるね」
「それを使いまっ……しょうなんてできませんわね。私の世界ならいざしらず、この世界の私には何の力もありませんから」
「……異世界であなたはどんな無茶してんのよ。あんなの国家間の超巨大プロジェクトで、私たちただの女子大生と指名手配中の外国人が近づけるような場所じゃないからね。大学も研究グループには入ってるけど、参加するつてなんてないし」
ここは現実的な提案をしよう。
「やっぱり定石として、あなたたちが『この世界に転移してきた場所』を調べるのが一番現実的だよ。次元の特異点やゲートの残滓か何かが、まだそこに残ってるかもしれない」
「まぁ、それしかありませんわね」
「で、どこに倒れてたの?」
「……それが、目を覚ましたらすでにあの病院のベッドでしたの。どこに転移して、どこで行き倒れていたのか、まったくわかりませんわ」
セラフィナが肩をすくめる。
記憶喪失という設定で逃げ出した手前、警察や病院に「私たちが倒れていた場所を教えて」と聞くこともできなかったのだ。
「じゃあ、聞いてみるか」
私はポケットからスマートフォンを取り出し、連絡先をスクロールさせた。
「ああ、んー、彼がそんな、おいそれと警察の内部情報を漏らせる立場にいるとは思えませんわよ?」
「ダメ元だよ。それに、あいつは嘘をつくのが死ぬほど下手だからね」
私は、一つの電話番号をタップし、耳に当てた。
◆◆◆
場面変わって、市内の警察署。
生活安全課のフロアの隅で、若手巡査である直樹は、デスクの上の書類の山と格闘していた。
そこに、彼個人のスマートフォンが震え、着信を知らせた。
「……げっ」
画面に表示された『姉貴』の文字を見て、直樹は露骨に顔をしかめた。
仕事中に私用電話を取るのは御法度だが、相手はあの姉だ。ここで無視をすれば、あとでどんな理詰めの説教と報復が待っているかわからない。
直樹は周囲の先輩刑事たちの目を盗み、こっそりと給湯室へと移動して通話ボタンを押した。
「……もしもし、仕事中なんだけど」
『あ、もしもし直樹? 今暇?』
「暇じゃないっての。なんだよ姉ちゃん、用件だけにしてくれよ」
『あんたさぁ、昨日今日で、身元不明の外国人が病院からいなくなったって事件、関わってない?』
「はっ!?」
直樹は思わず素っ頓狂な声を上げ、慌てて口を塞いだ。
なぜ姉がそのことを知っているのか。
確かに今日、管轄内の総合病院から『身元不明で保護されていた外国人女性二人が、突如として姿を消した』という通報があった。外傷もなく、明確な犯罪の確証はないため刑事課の出番ではないが、「不法滞在者の逃亡」あるいは「行旅病人の失踪」として、若手である直樹が聞き込みと防犯カメラの確認という雑用を押し付けられていたのだ。
何より、逃げた二人の女性が「あり得ないほどの絶世の美女」だったという病院スタッフの証言により、署内でも少しばかり噂になっていた。
「なんで姉ちゃんがそんなこと知って……」
『やっぱり。関わってるんだね』
「関わるも何も……って、一般人にそんなこと言えるか! 仮に知ってても教えねぇよ!」
直樹は警察官としての矜持を保ち、姉の言葉を突っぱねた。
『あ、そう。ならいいわ。仕事頑張ってねー』
ツーツー、と。
あっさりと電話が切れる。
「……なんだよ、いきなり」
直樹は狐につままれたような顔でスマホの画面を見つめ、首を傾げながらデスクへと戻っていった。
◆◆◆
自室のベッドの上。
私はスマホをベッドに放り投げ、ニヤリと笑った。
「手掛かり、あったわ。あれは確実に関わってるね」
「で、どうしますの?」
セラフィナが目を輝かせて身を乗り出してくる。
「あいつの口ぶりからして、警察のデータベースにアクセスする権限はないにしても、事件の概要を記した手帳や、持ち帰った資料くらいはあるはず。……ってことで、あいつんち(直樹のアパート)に行くか」
私たちは立ち上がり、上着を羽織った。
ちょうどその時、コンコンとドアがノックされ、アイシャが顔を出した。
「お待たせいたしました。夕食の準備が整い――」
言いかけたアイシャが、出かける準備を万端に整えた私たちを見て言葉を止める。
「……どこかへ、行かれるのですか?」
不思議そうに小首を傾げるアイシャに向かって、私とセラフィナは全く同じタイミングで、全く同じ不敵な笑みを浮かべ、声を揃えて答えた。
「ちょっと、弟のところへ」




