第六十話:確認
翌朝。
私のベッドで眠ったセラフィナと、床に敷いた布団で直立不動のように寝ていたアイシャは、私の用意した朝食を珍しそうに、そして美味しそうに平らげた。
「当面の間は、この家に住んでいいよ」
食後のコーヒーを啜りながら、私は二人に提案した。
「お父さんは単身赴任でほとんど帰ってこないし、私の弟も去年から一人暮らしを始めてる。丁度二部屋空いてるからね。ただ、問題はお母さんの説得なんだけど」
私が腕を組むと、セラフィナも私の部屋着のパーカーの袖をまくりながら真剣な顔になった。
「そうですわね。不法滞在の異世界人です、とは口が裂けても言えませんし」
「良い案はないかな。大学の友達ってことにしようか? 家賃が払えなくてアパートを追い出されたとか」
「それだと『まずは親元へ帰りなさい』と言われてしまいませんか? 私たち、どう見ても日本人ではありませんし」
「確かに。じゃあ、ホームステイの受け入れとかは?」
「事前の連絡もなしに、いきなり外国人が転がり込んでくるのは不自然ですわ」
二人で理詰めのシミュレーションを重ねた結果、一つの設定にたどり着いた。
「……あなたは私の大学の留学生。で、手違いでアパートの契約更新ができなくなった。日本での保証人がいなくて、新しい部屋が見つかるまで路頭に迷っている。多分うちのお母さんなら同情を引けばいけると思うけど」
「まぁ、なるようになれ、ですわね」
午前九時過ぎ。夜勤明けの母親が帰宅した。
私はあらかじめ練り上げた設定を駆使し、セラフィナの身の上を説明した。セラフィナも悲壮感を漂わせる見事な演技で「どうか、少しの間だけ置かせていただけないでしょうか」と頭を下げた。
「あらあらそれは困ったわねぇ〜」
母は私たちの心配をよそに、あっさりと微笑んだ。
「慣れない異国で家がないなんて不安だったでしょう。ひとまず、次の部屋が見つかるまで、ひと月くらいならうちにいていいわよ。空き部屋は好きに使ってね」
「あ、ありがとうございます……!」
母の底抜けの人の良さに助けられ、二人の潜伏先は確保された。
その後、私は大学の講義へ行く準備を始めた。
セラフィナも連れて行くことにした。
兎にも角にも、情報の共有が先決。
本当は大学を休んで話を聞きたいが、あまりのんきなことを言っていられない身分なのだ。
問題はアイシャだった。
「私もお供いたします、セラフィナ様」
「ダメですわ、アイシャ。あなたは日本語が話せませんし、何より私たち二人で歩いていたら目立ちすぎます」
「しかし、護衛の任を放棄するわけには……」
食い下がるアイシャに、私は救えの船を出した。
「アイシャさん、お母さんはこれから夕方まで寝るから、お昼過ぎには誰もいなくなる。悪いんだけど、留守番ついでに一通りの家事をお願いできないかな? やり方は教えるから」
※通訳はセラフィナに頼んだ。
「……家事、ですか。つまり、この『拠点』の維持と防衛、そして補給任務ということですね。承知いたしました」
アイシャはなぜか軍事作戦のような解釈で納得してくれた。最新のドラム式洗濯機やIHコンロの操作方法を教えると、彼女は真剣な顔でメモを取っていた。
アイシャを家に残し、私とセラフィナは自転車を並べて大学へと向かった。
パーカーのフードを目深に被り、私の伊達メガネをかけたセラフィナは、少しだけ現代の街並みに溶け込んでいた。
大学のキャンパスに到着すると、さて彼女をどこに置いておこうかと悩んだ。
「一緒に授業に出る?」と聞いたが、セラフィナは首を横に振った。
「流石に部外者が潜り込むのはリスクがありますわ。それに、私は私で調べたいことがありますの。図書館のような施設はありませんか?」
「あるけど……入館には学生証のICカードがいるんだよね」
私は少し迷ったが、自分の財布から学生証を抜き出して彼女に渡した。
「バレたら私がこってり絞られるけど、貸すよ。ゲートにこれをタッチすれば入れるから。お昼休みに、第一食堂で落ち合おう」
◆◆◆
昼休み。喧騒に包まれる学食で、私はカレーライスを、セラフィナはきつねうどんを啜りながら、今後のことを話し合っていた。
「箸の使い方も完璧だね」
「当然ですわ。私の『記憶』の中にあるのですから」
「その記憶のことなんだけどさ」
私はスプーンを置き、真剣な口調で切り出した。
「昨日今日と接してみて、やっぱり私とあなたは、同じ人間ではないってハッキリ感じたよ」
「……ええ。私も、そう思っていましたわ」
セラフィナはうどんを飲み込み、静かに頷いた。
「記憶はあくまでも『情報』に過ぎない。その情報を備えたからといって、完全に同じ人間になるわけじゃないってことだね」
私は理系としての客観的な視点で分析を述べる。
「人格の形成には、生まれ持った遺伝的要因(遺伝説)と、育った環境的要因(環境説)がある。どちらが優位かはおいといて、どちらにせよ、人間はその両方の影響を受けて形作られる。私とセラフィナは、私が経験した二十年分の記憶を共有していると言っても、遺伝子も違えば、生まれ育った環境――魔法のある貴族社会と、現代日本――も全く違う。異なる人格を有した、完全に別個の存在だよ」
「私も、そう思います」
セラフィナも私の論理を肯定する。
「私はあなたの記憶を持っていますが、私の思考の根底には、ルミナス王国の令嬢としてのプライドや、レオンハルト様たちと過ごした日々があります。あなたとは違う人間ですわ」
「だからこそ、今のこの現象が宇宙の法則的に許容されているんだと思う」
私は核心に触れた。
「『親殺しのパラドックス』って知ってる?」
「タイムトラベルの矛盾の思考実験ですわね。ある夫婦の子が過去にタイムスリップし、自分の両親を殺害した場合、その子は生まれず、生まれなければ過去へ行って両親を殺すこともできない、というパラドックス」
「そう。同一の宇宙において、因果律を破壊するような同一存在の矛盾は、物理法則が許さない。でも、今の私とあなたは、別の世界線、あるいは別の次元で育った『他人』として存在が確定している。だから、こうして同じテーブルに向かい合って座っていても、宇宙が崩壊したりしないんだ。バックトゥザフューチャーでいえば、宇宙連続体だね」
セラフィナは目を閉じ、深く息を吐いた。
「私が私として、あなたとは違う存在として確立されているからこそ……」
「そういうこと。さて、そこで一つ確認しておきたいことがあるんだけど」
私は少しだけ身を乗り出し、声を潜めた。
これは、彼女の正体――そして、彼女がなぜ異世界に転生したのかを紐解くための、最も重要な手がかりだ。
「セラフィナ。あなたが持っている、『私の前世の記憶』の最後……つまり、私がどうやって死んだのか、あるいはいつまでの記憶があるのか、教えてもらえる?」




