第五十九話:訪問
昔から、都市伝説の類は結構好きだったりする。
宇宙人とか異世界人とか、あるいは未来人とか。もし本当にいてくれるのなら面白いと思う反面、現実の世の中も、物理や数学といった知るべき面白い法則で溢れているとも思っている。
お昼ごろ、おじいちゃんのお見舞いに行った病院で、すごく美しい女の子を見かけた。
色素の薄い肌に、神秘的な輝きを放つ瞳。外国人なのはすぐにわかったけれど、あんな宝石みたいな瞳の色になる人種なんているのかなぁと、すれ違いざまに少しだけ目を奪われた。
(まさか、異世界人だったりして)
そんな妄想をしながら自転車で帰路につき、大学の課題レポートに頭を切り替えた段階で、彼女のことは思考の隅へと追いやられていた。
父は何時も通り単身赴任で、一週間は戻らない。看護師をしている母も今夜は夜勤で、この家には現在、私しかいない。
仮に強盗にでも入られればひとたまりもないのだけれど、安全と安心の日本で、そんな非常事態は滅多に起こらない。
それなのに。
今、私の目の前にある家のリビングでは、まさに異常事態と呼ぶべき事象が起きている。
「家に上げていただき、感謝しますわ」
ソファに座り、上品に頭を下げる二人組。
どこの国からやってきたのか、あるいは中世ヨーロッパのおとぎ話からそのまま飛び出してきたみたいな、昼間見かけたあの美しい女の子だった。その隣には、これまた信じられないほど綺麗な顔立ちの少女が控えている。
……普通、身元も分からない外国人を、女子大生が一人で留守番している家にあげるだろうか?
いや、絶対にあげない。
でも、私には彼女たちを家に入れざるを得ない『合理的かつ不可解な理由』があった。
インターホンが鳴ってモニターを見ると、昼間の美女が立っていた。それだけでも驚きなのに、彼女が着ていたのは、私が今日、退院するおじいちゃんのために病院へ持っていったはずの祖父のスウェットだったのだ。
さらに彼女は、マイク越しに完璧な日本語でこう言った。
『怪しい者ではありません。今日はお父様は単身赴任中、お母様は夜勤で、あなたは一人でお留守番のはずですわね? 警察に追われて困っています。ポストの裏に隠してある合鍵で開けますから、少しだけ匿っていただけないかしら』
我が家のシフトから、家族しか知らないはずの合鍵の隠し場所まで、すべてを把握している。
パニックと強烈な知的好奇心が理性を上回り、私は思わず鍵を開けてしまったのだ。
「……お父さんとお母さんが家にいたら、絶対にあげなかったと思うよ」
私が対面のソファに座りながら警戒を露わにすると、彼女――スウェット姿の美女は、ふふっと柔らかく微笑んだ。
「ええ、知っていますわ。だから、二人がいないこの時間を狙って来ましたの」
「なんでウチのこと、そんなに詳しく知ってるの?」
「こんなことを言っても、にわかには信じていただけないとは思いますけれど」
彼女は、その透き通るような瞳で私を真っ直ぐに見つめ、信じられないことを口にした。
「私はあなた……いえ、あなたは『私』なんですの」
「…………は?」
「…… セラフィナ様、それはどういう……」
驚いて声を上げたのは私だけでなく、隣に控えていたフードの少女も同じだった。
「初めまして。私の名前はセラフィナ。そちらの彼女は、アイシャと言います」
セラフィナと名乗った彼女は、自分たちが魔法の存在する別世界から来たこと、そして、彼女自身の魂が『私の前世の記憶』として同化しているという、荒唐無稽な事情を説明し始めた。
「……異世界転生、的な話?」
私は引きつった笑いを浮かべた。
「確かにそういう話は最近よく流行ってるけど。ごめんなさい、私あんまりそういうの詳しくなくて。何かそういうストーリーのアニメとかがあるのかな? リアル脱出ゲームのプロモーションか何か?」
私がとぼけて見せると、セラフィナはジト目で私を指差した。
「下手な嘘はつかないでくださいな。あなたは、そういうアニメを深夜にこっそりよく見ているでしょう? 本棚の奥にライトノベルを隠しているのも知っていますわよ」
「……」
見事に図星を突かれ、私は言葉を詰まらせた。どうやら、本当に私のプライベートを隅から隅まで知っているらしい。
「でも、あり得ない。並行世界なんてものは、現実には物理的に交わらないはずだよ」
私は理系大生としての論理武装を固め、反論した。
「エヴェレットの多世界解釈みたいな量子力学的な分岐だとしたら、観測者が違う世界へ物理的に移動することは不可能。宇宙論的なインフレーション・マルチバースだとしても、宇宙と宇宙の間には光速を超えて膨張する空間がある。物理的な移動なんて、どだい不可能なのよ」
「ええ、私もつい数時間前までそう考えていましたわ」
セラフィナは身を乗り出し、私の目を覗き込んだ。
「でも、もし私たちの世界が『ブレーン(膜)宇宙論』のモデルに合致していたら? 私たちのいる三次元の宇宙が、高次元空間に浮かぶ一枚の膜に過ぎず、すぐ隣に、別の物理法則を持った別の膜が浮かんでいるとしたらどうかしら」
「M理論……」
私は無意識に呟いていた。
「もし、その二つの膜が重力を介して干渉し合い、何らかの特異点――例えば、超巨大なエネルギーを持つブラックホールや、『ワームホール』のような次元のトンネルが形成されたとしたら。二つの世界は、局所的に地続きになり得るのではないかしら?」
「……想定が非現実的ではあるけど……」
私は頭の中で数式と理論を組み立てた。
高次元を介したブレーン同士の接触。重力子だけが次元の壁を越えられるという理論を応用し、空間そのものを歪曲させてトンネルを安定化させることができれば。
「……理論上、特異点同士が繋がるなら、物理的な移動の可能性もゼロじゃない、か」
「でしょう?」
セラフィナは、まるで自分の実験が成功したときのように、得意げな笑みを浮かべた。
見た目はお姫様なのに、中身は完全に私と同じ『理屈っぽい理系オタク』だ。この会話のテンポの良さと、思考の波長が完璧に合う感覚。
これ以上の証明はない。確かに彼女は、私と同質だ。
「……はぁ。わかった、肯定しよう。疑っても話が進まないし」
私は大きく溜息をつき、頭を掻いた。
「ひとまず、警察に追われて行く当てもなく困ってることは確かみたいだしね。病院でおじいちゃんの服パクって逃げたんでしょ?」
「申し訳ありませんわ……。洗って、必ずお返しします」
「いいよ、後で私が返しとくから」
私は立ち上がり、クローゼットの方を指差した。
「とりあえず、私の服を貸すよ。身長は……私よりちょっと高いみたいだけど、まあ着られるでしょ。簡単な食事を作るから、お風呂入ってなよ。今日は泊まってっていいから」
「よろしいのですか?」
アイシャが驚いたように私を見る。
「別に、悪い人じゃなさそうだし。それに――」
私はセラフィナを見て、ニヤリと笑った。
「異世界の話と、その魔法っていうのの原理、夜通し聞かせてもらいたいしね」
話が、例え嘘だとしても。
震える少女を、そしてそれを悟られないように必死で堪える少女を、見捨てるなどできるはずがない。




