第五十四話:異世界転移
無機質なコンクリートの通路を、二人の足音だけが虚しく響いていた。
施設内を慎重に進んでいくセラフィナとアイシャ。
やがて、壁に掲げられた色褪せた案内板を発見したことで、この階層から地上――島の表面へと続く『出口』のルートがおおよそ判明した。
しかし、帰り道がわかったというのに、セラフィナは沈黙したままだった。
普段なら、未知の設備を見つけるたびに「これはどういう機構でしょう!」と目を輝かせて駆け寄っていくはずの彼女が、まるで抜け殻のように押し黙り、ただ機械的に足を動かしている。
少し後ろを歩きながら、アイシャは主の背中をひどく心配そうに見つめていた。
明らかにおかしい。あの奇妙な文字の書かれたプレートを見てからというもの、セラフィナの生気は急速に失われてしまった。
(別の、理で動く世界……)
休憩室でセラフィナが言及した言葉を、アイシャは反芻する。
この施設は、アイシャがこれまで見てきたどんな遺跡や建築物とも異質だ。魔力で動くゴーレムとは根本的に異なる、冷たく研ぎ澄まされた鉄と配線の構造物。
セラフィナの言葉を借りるなら、ここはまさに『違う世界』から来た遺物なのだろう。
そして、セラフィナはその違う世界のことを『知っている』。
あの見慣れぬ文字を読み解けたことが、何よりの証拠だ。
それが彼女の異常な落ち込みようと、どのような関係があるのかは、アイシャには見当もつかない。ただ、セラフィナが抱える重荷を少しでも分かち合えたらと、アイシャは強く願っていた。
「アイシャ」
「っ、はい」
不意に名前を呼ばれ、アイシャはハッと顔を上げた。
気がつけば、狭かった通路を抜け、だだっ広い空間へと出あていた。
「ここは……」
アイシャは息を呑んだ。
そこは、とてつもなく巨大で長いトンネル状の地下通路だった。奥行きは暗闇に飲まれて果てが見えず、幅は大型の馬車が四台、余裕ですれ違えるほどに広い。天井には等間隔に、巨大な照明器具のようなものがぶら下がっているが、今は光を失っている。
立ち止まったセラフィナが、暗闇の奥を指差して解説した。
「ここをずっと真っ直ぐ進んでいくと、恐らく私たちの領地にある『ゼニスの大穴』にたどり着くはずですわ」
「え……? どういうことですか?」
「方角が完全に一致していますの。それに、この規模の通路……恐らくここは、物資を運ぶための巨大な輸送経路。大陸の遺跡と、この島とを繋ぐ大動脈ですわ」
島の地下空間は、アイシャが想像していたよりも遥かに広大なスケールで広がっているらしい。
「なら、ここを真っ直ぐ歩いていけば、船を使わずに領地へ帰れるのですね」
「理屈の上ではそうですわね。でも、船で半日かかった距離を、わざわざ暗い地下道で何日もかけて歩きませんわよ」
セラフィナは薄く笑って首を振った。
少し周囲を探索すると、巨大通路の脇から上層――地上へと続く幅の広い階段を見つけることができた。潮の香りが微かに漂ってくる。間違いなく、この上は外だ。
「ここから上に行けそうですわ」
「はい。すぐにお戻りになられますか?」
「ええ……そうね。今はもう、少し疲れましたわ」
地上への確かな帰り道を見つけたことで、二人はようやく胸を撫で下ろした。
これ以上、正体不明の施設に長居する必要はない。ガレスたちと合流し、領地へ戻ってから体勢を立て直せばいい。
そうして階段に足を掛けようとした、その時だった。
足元から、これまでで最も激しい地鳴りが響き渡った。
「きゃっ!?」
「セラフィナ様!」
アイシャが咄嗟にセラフィナを抱きとめる。
落とし穴の開閉、溶鉱炉のコンベア、そして今。何らかの衝撃によって、機能停止していたこの巨大施設が、完全に目を覚まそうとしていた。
硬質な電気音が弾け、巨大通路の天井に連なる人工的な明かり――LEDの投光器が一斉に点灯した。
昼間のように白く眩しい光が、果てしない地下通路の全貌を暴き出す。
「明かりが……」
驚愕するアイシャの横で、セラフィナの顔色はさらに蒼白になっていた。
人工灯の点灯だけではない。通路の遥か奥から、けたたましい電子のアラーム音が鳴り響き始めたのだ。
『――Warning. Dimensional Gate activation sequence initiated. Target coordinates confirmed.――』
英語のアナウンス。
それが意味する内容を理解したセラフィナは、恐怖に瞳を孔雀のように見開いた。
「嘘……まさか、そんな……」
「セラフィナ様、あれを!」
アイシャが指差した先。巨大通路の奥底に鎮座していた巨大なリング状の建造物が、目を開けるように青白い光の奔流を噴き上げ始めていた。
同時に、周囲の空気が強烈な力で『奥』へと引き寄せられるのを感じる。凄まじい引力。いや、空間そのものが歪み、吸い込もうとしているのだ。
「いけません、アイシャ! 早く地上へ!」
階段を駆け上がろうとしたが、遅かった。
重力異常が急激に増大し、二人の身体は宙に浮き上がった。
「セラフィナ様ッ!!」
アイシャが空中で手を伸ばし、セラフィナを強く抱きしめる。どんな結末になろうとも、主だけは守り抜くという絶対の意志。
「アイシャ……!」
次の瞬間、視界が青白い閃光に塗り潰された。
感覚が引き伸ばされ、全身が分子レベルで分解されるような悍ましい浮遊感。
――パツン、と。
張り詰めた糸が切れるように、光の奔流は弾け飛び、広大な地下通路には再び静寂だけが残された。




