第五十三話:パラレルワールド
「な、何ですか、あれは……!」
氷のように冷静だったアイシャの顔に、明確な焦燥が浮かんだ。彼女の常識には存在しない、世界を焼き尽くすような巨大な炎の池。
一方のセラフィナは、その光景を見てすべてを理解した。
(溶鉱炉……つまり、ここは処分場)
施設の用途は理解した。しかし、到底納得はできない。
依然として、ここが存在する論理的な理由が欠落しているのだ。
「セラフィナ様、危険です! 早く上へ!」
「アイシャ、しっかり掴まっていてくださいな!」
足を取られそうになるアイシャの身体を、セラフィナは強引に担ぎ上げた。
身体強化の魔法を使い、高い位置にある梯子の最下段へとアイシャの身体を押し上げる。
「上に登れば、梯子のロックを外して下まで降ろせるはずですわ! 私は端に退避していますから、先に行ってちょうだい!」
「っ……承知いたしました!」
アイシャは身軽な動作で梯子をよじ登り、暗がりの中へと消えていく。
壁際の狭い足場に身を寄せながら、セラフィナはコンベアの先――溶鉱炉へと次々に滑り落ち、ドロドロに溶けていく鉄屑の山を見つめた。
(解せませんわ。どうしてこんな絶海の孤島に、大掛かりな処分場をつくる必要があったのかしら)
セラフィナの脳内で、高速の推論が組み上げられていく。
まず、このロボットたちの残骸は一体どこから『送られて』きたのか。もし他国や別大陸から船で運ばれてきたのであれば、島に港を整備し、クレーンなどで丁寧な荷下ろしをしてからこの地下まで運ぶのが筋だ。
しかし、実際の地表はどうか。まるで空から適当にゴミをぶちまけたかのように、残骸が広範囲に散乱していた。そして、落とし穴を使って乱暴にこの溶鉱炉へと運んでいる。
(システムを構築するなら、もっと合理的な手順を踏むはず。用途は明確なのに、意図がまったく分かりませんわ)
そもそも、この島と海底トンネルで繋がっているであろう『ゼニスの大穴』には、異常なほど強力な防衛ゴーレムが配置されていた。
あの防衛システムが守っていたのが、ただの『ゴミ捨て場』?
そんな馬鹿な話があるはずがない。前提条件のどこかが、決定的に間違っている。
「セラフィナ様! 梯子を降ろします!」
上空からアイシャの声が響き、金属製の梯子がガラガラと音を立ててセラフィナの目の前までスライドしてきた。
思考を打ち切り、セラフィナは梯子を登った。
登り切った先には、コンクリートで舗装された通路と、心配そうに待つアイシャの姿があった。
下からは暗くてよく見えなかったが、どうやらここが施設の上層エリアへの出入り口らしい。正面には重厚な金属の扉があり、その脇には上階へと続く階段が設置されている。
ふと、セラフィナの視線が扉の横に張り付けられた一枚のプレートに引き寄せられた。
「……古代語、でしょうか。見たことのない文字です」
首を傾げるアイシャをよそに、セラフィナの歩みはピタリと止まった。
薄暗い非常灯に照らされたその文字列は、古代ゼニス語でも、この大陸で使われている共通語でもなかった。
WARNING
HIGH TEMPERATURE INCINERATOR AREA
AUTHORIZED PERSONNEL ONLY
DANGER OF SEVERE BURNS OR DEATH
(警告。高温焼却炉エリア。関係者以外立入禁止。重度の火傷、または死亡の危険あり――)
ドクン、と。
セラフィナの心臓が、肋骨を突き破りそうなほど大きく跳ねた。
読める。当たり前だ。それは前世の彼女が日常的に使っていた言語、まごうことなき『英語』だったのだから。
指先から急速に血の気が引き、足の震えが止まらなくなる。息がうまく吸えず、酸素を求めて浅い呼吸を繰り返した。
(そんな、馬鹿な……)
セラフィナにとって、所謂前世の記憶は、あくまで『自分の中にだけある知識』だった。魔法と剣が支配するこの世界において、前世の科学技術や概念は、自分の頭の中にしか存在しない異物のはずだった。
しかし、目の前にあるこのプレートはなんだ。
ここは紛れもなく、自分の『前世の知識』がかつて暮らしていた世界、あるいはその同一線上の文明が残した遺物だ。
つまり、この世界は、明確にセラフィナの前世の世界と『繋がり』を持っている。
「セラフィナ様? お顔の色が優れませんが……」
「……だ、大丈夫ですわ。少し、熱気に当てられただけ。階段を上がりましょう」
震える声を必死に抑え込み、セラフィナは階段へと足を向けた。
上の階層に広がっていたのは、さらに彼女を絶望――あるいは驚愕の淵へと突き落とす光景だった。
ガラス張りの監視室。ずらりと並んだモニター群。無機質なロッカーが並ぶ更衣室やシャワールーム、そしてプラスチック製のテーブルと椅子が置かれた休憩室。
そこにあるすべてが、魔導帝国などというファンタジーの産物ではなく、前世の現代的な工場の設備そのものだった。
二人は安全そうな休憩室に入り、少しだけ息をつくことにした。
椅子に座っても、セラフィナは手を固く握りしめたまま、うつむいていた。
「……あの文字を読まれてから、ひどく動揺されているように見受けられます」
アイシャが静かに、しかし確かな気遣いを込めて問いかけてきた。
「あの文字は、何と書かれていたのですか? なぜ、セラフィナ様はあれをお読みになれたのですか」
セラフィナはすぐには答えられなかった。
「……少し、別の世界のお話をしてもよろしくて?」
「別の世界、ですか」
「ええ。私たちが今いるこの世界とはまったく違う、別の理で動いている世界があるとしたら……アイシャはどう思います?」
遠回しな問いかけに、アイシャは真剣な顔で頷いた。
「面白いお話ですね。セラフィナ様が仰るのなら、私はそのような世界もあるのだろうと信じます」
その真っ直ぐな肯定に、セラフィナは自嘲気味な笑みをこぼした。
「ふふ、ありがとう。でもね……私自身が、その話を否定しているのです」
セラフィナは両手を組み、自らの内に渦巻く壮大な矛盾と向き合った。
前世のフィクション、いわゆる創作物における『異世界』――マルチバースという概念は、次元が重なり合って存在しているように描写される。だからこそ、魂の転移や転生、あるいは魔法陣を使った転送という現象が、ある種の説得力を持って語り継がれてきた。
しかし、現実の宇宙の成り立ちを解き明かす物理学において、マルチバース論とは途方もなく広大で、かつ残酷な理論だ。
観測可能な宇宙を遥かに超えた外側に、膨張を続ける宇宙空間が泡のように無数に存在するという仮説。この物理学的なマルチバース観に立つならば、宇宙と宇宙の間には、絶対真空の壁があり、100を千乗した年数を光速で進み続けたところで到底たどり着かないほどの、途方もない時空間的な広がりがある。ゆえに、並行世界間の『移動』など絶対的に不可能である。
そもそも、知的生命体が生存可能な条件を満たす宇宙が形成されること自体が、天文学的な奇跡なのだ。その奇跡の宇宙同士を、魔法のトンネルやトラック事故のような偶発的な事象で繋ぐことなど、どだい不可能というもの。
(いや……待って。そもそも私の『認識』が誤っているのでは)
セラフィナの脳裏に、一つの仮説が閃いた。
『異世界』という呼称そのものが不適格なのだ。
これまでセラフィナは、自身の内にある『前世の記憶』について、一応の仮説を立てていた。
それは検証不可能であり、推論――あるいは妄想と一笑に付してしまえるような眉唾な考えだ。
つまるところ、それは前世の記憶などではなく、『予知夢』的な演算結果ではないかと考えていたのだ。
魔法世界において、予言の類は存在する。しかしそれは、現実における出来事から導き出される確率の高い推論であり、要素が変われば変異する。
セラフィナは自身の魔法的な特異性と飛び抜けた頭脳には自覚的であったため、見聞きした情報から『将来実現可能な技術』を無意識に先取りし、頭の中で再構築しているのではないかと考えていた。
つまり、いつか遠い未来に実現可能な出来事が演算によって導き出されており、それを精神が不都合なく理解するために『前世の記憶』という枠組みを被せていたのだと。
しかし現在、目の前の事象が、その推論を根底から否定している。
(私の記憶が未来の予測でないとしたら。本当の本当に、前世の記憶などというものなのだとしたら……この世界と前世の世界は、同一の宇宙空間内にあり、『物理的に地続きになっている』と解釈するのが最も適切なのではないか?)
例えば、途方もなく遠い宇宙の果ての別の星。あるいは、遥かなる未来、あるいは過去。さもなくば、異なる次元。
何らかの超光速航法、もしくは空間跳躍、あるいは次元転移のような移動手段が確立されており、さながら外国へ旅行に行くような気軽さで、あちら側とこちら側の世界を行き来できているとしたら。
いや、気軽さで言えば、それはすでに目の前で実証されている。
この施設だ。
わざわざ別の宇宙から『ゴミ』を捨てに来るなどあり得ない。この施設が存在し、機械の残骸を送り出していることが、あちらの世界からこちらへ、物理的なルートが繋がっている決定的な証左なのだ。
そこまで考えが至り、ふと顔を上げると――目の前には、ただ黙って自分を見つめるアイシャの不安げな瞳があった。
「セラフィナ様……いかがされましたか? どこか、お辛いのですか」
その声音にハッと我に返る。
そうだ。今は宇宙の真理を紐解いている場合ではない。
「……いいえ、なんでもありませんわ」
今は考えるのは後にしよう。最優先事項は、この施設から脱出することだ。




