第四十七話:出発
「セラフィナ様、お待ちください!」
研究室から風のように飛び出していったセラフィナを、ガレスは慌てて追いかけた。
領主の執務室の前にたどり着くと、勢いよくドアを開けるかと思いきや、セラフィナは扉の前でピタリと立ち止まり、腕を組んで難しい顔で考え込んでいた。
「……どうしたんですか? 入らないんですか?」
「冷静になって考えたら、ありのままに話せばどうせ断られますわね」
「じゃあ、なんでここまで来たんですか……」
セラフィナはチッと舌打ちをして、ガレスを睨みつけた。
「どうすれば私の思い通りに事が進むか、いかにしてレオンハルト様を言いくるめるか、最善の策を思案しているところですの」
「なんですかそりゃ」
ガレスは思わず呆れ声を漏らした。
無人島へ、しかも目的は『未知の古代遺跡の探索』である。セラフィナを大切にしている辺境伯が、そんな危険な真似を許すはずがない。何を言っても無理だろうとガレスは考えていた。
一緒に策を練る気など毛頭なかったが、ふと、ある考えが頭をよぎった。
「あのですね、セラフィナ様」
「何か良い手でもありますの?」
「色仕掛けでいいんじゃないですかね」
「……はい?」
「レオンハルト様はセラフィナ様のこと大好きですし。いつもみたいな距離感で上目遣いでもして迫ったら、レオンハルト様ならデレデレになって、思わずオッケーしちゃいそうですよね。はは」
半分、いや九割方冗談のつもりで放った言葉だった。普段の彼女なら、「馬鹿なことを言わないでくださいな」と一笑に付すか、スルーされると思っていた。
しかし、待てど暮らせどセラフィナからの返答がない。
「……セラフィナ様?」
どうしたのかと顔を覗き込むと、セラフィナは顔を真っ赤にして俯き、もじもじと指先を絡ませていた。
「……そ、そんな、はしたないこと……できませんわ」
「ええ……」
ガレスは唖然とした。
(いや、普段から人目も憚らず抱きついたり、しがみついたりしてるじゃないですか。はしたないって、今更すぎるのでは……)
という喉まで出かかったツッコミを、なんとか飲み込む。
どうやらこの破天荒な令嬢も、レオンハルトに対しては意外と初心というか、本気で意識しているらしい。妙なところで乙女な反応を見せるものだと、ガレスは少しだけ驚いた。
「ま、真面目に考えなさい、ガレス! 私の有能な助手でしょう!?」
「いや、助手になった覚えはないんですが」
赤面を誤魔化すように怒るセラフィナと、ガレスが小声で言い合っていると、不意に目の前の重厚な扉が開いた。
「外で騒がしいぞ。どうした、セラフィナ」
眉間にシワを寄せたレオンハルトが姿を現した。
聞かれていたか、とセラフィナは小さく息を吐き、覚悟を決めたように居住まいを正した。
「あ、レオンハルト様、少しお時間をよろしいですか? 実はご相談が……」
***
「駄目だ」
開口一番、レオンハルトはセラフィナの提案を容赦なく退けた。
「……ちゃんと聞いてくださいませ!」
「どうせまた、ろくでもないことを考えているのだろう。仮にも貴族令嬢だ。一人でどこかへ出かけるなど、許されるはずがないだろつ」
痛いところを突かれ、セラフィナはぐぬぬと唸った。
「しかし、どうして北の無人島などに行きたがる? あそこには文字通り何もないぞ」
レオンハルトの鋭い視線が注がれる。
セラフィナは、『あそこは古代ゼニスが重視していた島で、大穴の遺跡と繋がっているかもしれない』という自身の仮説を、どうにかして呑み込んだ。
それを言ってしまえば、危険視されて確実に外出を禁止されると予想できたからだ。
「……ま、まぁ、観光ですわ」
「観光?」
「ええ。レオンハルト様も最近は政務でお忙しいですし、領地の近場に神話の舞台となった島があるのなら、少しばかり見てみたくて」
セラフィナは精一杯の淑やかな笑みを浮かべた。
「お前が神話なんぞに興味があったのか?」
「もちろんですわ! 神話の中には、歴史的な寓意が隠されているものです。神話を詳しく調べることで、歴史的な大発見に繋がることだってあるのですよ。例えば、トロイア戦争みたいに!」
熱弁を振るうセラフィナの口から、聞き慣れない単語が飛び出した。
「……トロイア戦争?」
「あ、いえ! とにかく、過去の伝承を馬鹿にしてはいけないということですわ!」
セラフィナは強引に話を押し通す。
レオンハルトは聞き覚えのない単語に疑問を抱きつつも、セラフィナの真剣な(ように見える)眼差しに、ふむ、と小さく頷いた。
「……まあ、確かに領地からそう遠い島ではないし、今は嵐の多い季節でもない。ただの観光であれば、許してもよいか」
「本当ですか!?」
「ああ。ただし、条件がある」
レオンハルトは厳しい声色で告げた。
「しっかりと護衛の騎士をつけること。身の回りの世話をする従者や侍女も十分に連れて行くように。そして何より、絶対に一人で勝手な行動はしないこと。いいな?」
「一人で勝手に? あら、そんなことしませんわ。いやですわ。まるで私が、いつも自分勝手みたいじゃないですか」
セラフィナは口元を隠し、冗談がお上手ですねと微笑んだ。
(……お前こそ冗談のつもりか?)
レオンハルトとガレスの心の声が見事にハモる。
レオンハルトは深々とため息をつくと、傍らに控えていたガレスに視線を向けた。
「ガレス。お前も同行し、彼女から目を離さないようにしろ。少しでも危険な真似をしようとしたら、力ずくでも止めて連れ帰れ」
「……は、はい。承知いたしました」
(なんで俺まで……)と内心ため息をつきつつ、ガレスは恭しく頭を下げた。
「まあ! ガレスも来てくれるのですね。ちょうど潜水服はガレスの体格に合わせて作っていましたから、テストには丁度よいですわ!」
「せんすいふく……?」
レオンハルトが再び眉をひそめる。
「なんでもありませんわ! では、準備に取り掛かりますので、これで失礼いたします!」
これ以上ボロを出す前にと、セラフィナは華麗なカーテシーを決めて、そそくさとガレスを引っ張り執務室を後にした。
残されたレオンハルトは自席に戻り、書類に目を落とす。
「……そういえば、歴史好きというのも初耳だったな?」
彼女の趣味はもっぱら機械いじりと魔法の構築だったはずだ。少しだけ頭を過った疑問だったが、まぁ、腐っても王太子妃に選ばれたのだ、そうしたことも教養の内だろうと納得した、そして自身の多忙な政務の波に飲まれ、それ以上気にかけることはなかった。
執務室から十分離れた廊下で、セラフィナは満足げに息をついた。
「なんだかんだで、上手くいきましたわね」
「なんで私が共犯者みたいになってるんですか……。潜水服のテストって、やっぱり私が着る前提だったんじゃないですか」
恨めしそうなガレスの視線を、セラフィナは涼しい顔で受け流す。
「まあ、よろしいじゃありませんか。しばらくの間、よろしく頼みますわよ、助手くん」
それから数日後。
辺境伯の婚約者の「観光」という名目のため、島への旅程はそれなりに大掛かりなものとなった。
用意されたのは3隻の船。
セラフィナやガレスが乗船し、居住区画も備えた中型の帆船を旗艦とし、その左右を護衛用の小型船と、物資を積載した補給船が固める編成である。
同行する人員は、操船を担う水夫たちに加え、レオンハルトが厳選した護衛の騎士が20名、身の回りの世話をする侍女や料理人を含め、総勢60名規模の大所帯となっていた。近くの島に行くだけなのだから、セラフィナとしては大袈裟だなぁという感想だった。
そして、出航の朝。
辺境伯領の港には、潮風にドレスの裾を揺らすセラフィナと、見送りに来たレオンハルトの姿があった。
「……本当に、気をつけて行くのだぞ。何かあればすぐに戻ってくるように」
レオンハルトの表情は、どこか不安げで落ち着かない。まるで初めてのお使いに出す親のような心配ぶりだ。
「もう、心配性ですわね。そんな遠くに行くわけではありませんし、ただの観光ですから。数日でのんびり帰ってきますわ」
「……お前が大人しく観光だけで済ますとは、到底思えんのだがな」
「心外ですわ」
セラフィナはふふっと笑い、レオンハルトを見上げる。
「では、行ってまいりますわ。お土産話を楽しみにしていてくださいな」
「ああ。吉報を待っている」
帆が風を孕み、海鳥の鳴き声とともに、3隻の船はゆっくりと港を離れていく。
目指すは、北の海に浮かぶ無人島『神降りし島』。
甲板に立つセラフィナの眼差しは、ただの観光客のものではなく、未知なる謎に挑む探究者のそれに変わっていた。




