第四十六話:次なる旅路
執務室の重厚な扉の向こうで、レオンハルトは深く息を吐き出した。
机の上には、王都に潜り込ませている間者からの報告書が何枚も広げられている。
「……どういうわけか王国は、古代遺跡の調査に力を入れ始めたようだな」
報告書から目を離し、背後に控えるセバスチャンへと視線を向ける。
有能な老執事は、静かに頷いた。
「はい。ここゼニスの大穴は、その危険性ゆえに長年不可侵とされてきましたが、どうやら王国は、遺跡の奥に眠る『何か』があると考えた様子。しかし危険でしょう。藪蛇とならなければよいですが。『ゼニスの大穴』を調べたときも、セラフィナ様がいらっしゃらなければ、領地ごと更地になっていたかもしれない大惨事でしたから……」
「ああ。彼女には感謝してもしきれん」
レオンハルトは素直に同意しつつも、こめかみを軽く押さえた。
しかし思い返せば、そもそもあの騒動は、セラフィナが目を輝かせて遺跡の防衛機構を無理やり突破しようとしたために起きたものだ。
彼女がいたからどうにかなったが、彼女がいなければそもそも事件は起きていない。
「……」
「……」
主従の間に、なんとも言えない沈黙が落ちる。
「……西の砂漠の遺跡も、彼女の用意した特注の装備がなければ全滅していただろうからな。下手に踏み入れば、また得体の知れないものを呼び起こしかねん」
気を取り直すようにレオンハルトが咳払いをして話題を戻す。
「王国内が荒れていた件はどうなった? 古代遺跡の調査などという大掛かりな事業に、労力を割く余裕はないはずだが」
「大結界の効力が薄まり、居住区に魔物が現れ始めているという報告でしたが……奇妙なことに、最近になって市街地から魔物の姿がぱったりと消え、安全が保たれているとのことです。結界自体は、依然として王城のみを守る規模まで縮小しているにも関わらず、です」
その報告に、レオンハルトの顔に険しい影が落ちた。
「……考えたくはないが、ジュリアスの奴め、西の砂漠から持ち帰ったあのペンダントを扱えるようになったのかもしれんな」
遺跡で遭遇した盗賊団の長、ククルタが使用していた未知の遺物。魔物を操り、さらには生物を異形の怪物へと変質させる恐るべき代物。あれで魔物を統率し、市街地から遠ざけているのかもしれない。
「表向きは古代遺跡の調査としていますが、王国の真の目的はそこに眠る遺物でしょう。軍事力の強化、ひいては伝説に名高い『七大兵器』の回収に乗り出したと見るべきかと」
セバスチャンが続ける。
「我々はどう動きますか? 同様に、他の遺跡を探索しましょうか」
セバスチャンの問いに、レオンハルトは首を横に振った。
「いや、下手なことをすれば王国と真っ向から敵対することになる。ただでさえ西の大砂漠での一件で怒りを買っているのだ。わざわざこちらから火種を撒きに行く必要はない。砂漠の遺跡で王太子と鉢合わせたのはあくまで不可抗力だ、しかしこちらも調査団を編成してかち合ったとなれば、明確な叛意と取られかねない」
もし戦争になれば、一番に疲弊するのは罪なき領民たちだ。辺境の守護を預かる身として、それだけは極力避けなければならない。
「しかし、王国に遺物を独占されるのを放置しておくわけにもいきませんな」
「ああ。だが、古代遺跡のすべてに兵器が眠っているわけではない。伝承として確実視されていたのは、西の大砂漠と、ここゼニスの大穴のみ。残りの五つは過去の地名しか残っておらず、現代のどこにあたるかは比定されていない。闇雲に探したところで疲弊するだけだ」
まぁ、本当に兵器が眠っていたとは思わなかったが。レオンハルトが軽くつぶやく。
レオンハルトは羽ペンを手に取り、羊皮紙の端を軽く叩いた。
「我々は我々で、ゼニスの大穴の詳細な調査へ注力するとしよう。秘密裏に調査団を編成し、外部には漏れないように細心の注意を払え」
「承知いたしました。……セラフィナ様には、このお話をされますか?」
「いや、絶対にやめておこう」
レオンハルトは即答した。
「正直、セラフィナが何をしでかすか分からん。大穴の調査で少しでも手掛かりを見つけようものなら、そのまま目を輝かせて残りの五つの遺跡を探しに飛び出していきかねない」
「ふむ……容易に想像がつきますな」
セバスチャンも深く同意し、小さく息を吐いた。
「彼女には、遺跡探索とは別の、何か熱中できるものを与えておかなければな」
レオンハルトは、愛する婚約者の暴走をいかにして防ぐか、新たな悩みの種に頭を抱えるのだった。
一方、その頃。
辺境伯邸の地下に設けられた広大な研究室では、ガレスが悲鳴に近い声を上げていた。
「ちょっ、セラフィナ様!? これ、一体どういう武器なんですか!?」
ガレスは現在、全身を分厚いゴムと革を合成したような謎の素材で覆われ、頭にはガラス窓のついた巨大な金属製のヘルメットを被らされていた。背中には空気の入った重々しいボンベのようなものが背負わされている。
「武器ではありませんわ、ガレス。それは潜水服です」
工具を片手に、セラフィナが誇らしげに胸を張った。普段の淑やか……ではないが、黙っていれば見目麗しい彼女はどこへやら。好きな機械いじりを前にした彼女は、全身を真っ黒に染め上げ、新しい玩具を与えられた子供のように瞳をキラキラと輝かせている。
「せんすいふく……?」
「ええ! 海の中に潜り、海底を調査するための画期的な装備ですわ!」
「そ、そんなことが可能なのですか……?」
ヘルメットの奥で、ガレスが目を丸くする。
「正直、まだまだ課題は山積みですけれどね。一度テストを行いたいのですが、いきなり本物の海で行うには危険が大きすぎますし、かといって巨大なプールを作るにも、この極寒の地で水をみだりに使うのは領民の生活を考えるとよろしくありませんわ。どうしたものかと思案しているところですの」
セラフィナはそう言いながら、ガレスの背中からカチャカチャと管を取り外し、装備を解いていく。
解放されたガレスは大きく息を吸い込みながら、素朴な疑問を口にした。
「それにしても、なぜ海に潜るための服なんて作ったんですか? もしかして、海で遊びたいんですか?」
ここは北の辺境。夏場であっても涼しく、海で遊ぶには適していない。もしかして、どこか南方の温暖な地でバカンスでも企画しているのだろうか。常識的に考えればあり得ない装備だが、相手はあのセラフィナだ。「バカンスで海底に行きたいから潜水服を作った」と言われても、妙に納得してしまう自分がいる。
しかし、セラフィナの答えはガレスの想定にはない、ある意味至極当然の答えだった。
「そりゃあ、海底を調査したいから、に決まっていますわ」
「……はぁ」
意図が分からず呆然とするガレスの前に、セラフィナはツカツカと歩み寄り、一枚の大きな羊皮紙を広げてみせた。
それは、辺境伯領周辺の詳細な海図だった。ただし、余白という余白にはびっしりと数式や走り書きが埋め尽くされている。
「ここを見てくださいな。辺境伯領から海を二十里ほど北へ上ったところに、小さな無人島がありますわね?」
セラフィナの白魚のような指が、地図上の一点を指し示す。そこには、殊更に分かりやすく大きな星マークが書き込まれていた。
「この島がなんて呼ばれているか、知っていますか?」
「いえ、存じませんが……」
「『神降りし島』ですわ」
セラフィナは得意げに笑みを深めた。
『神降りし島』――神話の時代、光と創造を司る双子神が天から初めて降り立ったとされる聖地。しかし現実には、草木もまばらな不毛の岩礁が海に浮かんでいるだけであり、人の住める環境ではないため、長らく放置されている忘れ去られた島だ。
「考えたのです。どうしてこの辺境の地に、あんな巨大な兵器が眠っていたのか。西の大砂漠の遺跡には、罠らしい罠は一切ありませんでしたわ。つまり、あそこには『守るべきもの』がなかったということです」
セラフィナのテンションが、みるみるうちに上がっていく。頬は紅潮し、早口でまくしたてる姿は、もはや完全なオタクのそれだった。
「しかし、この地のゼニスの大穴は違った。侵入者を見つけると即座に防衛機構が稼働し、熾烈な攻撃を仕掛けてきました。ということは、初めから『侵入者が現れること』を想定し、『何かを守護していた』ということです! これがどういうことか、分かりますか!?」
「つ、つまり……ゼニスの大穴の奥には、まだ何か守るべきものが眠っていると?」
「その通りですわ!!」
バンッ! とセラフィナが力強く机を叩く。
「私の予想では、恐らく地下深くの海底トンネルか何かで、大穴とこの『神降りし島』が繋がっているはずなのです! 遺跡に入ってから道が続いている方角を緻密に計算した結果、見事にこの島の方角と一致しましたの!」
フンス、と鼻息を荒くするセラフィナ。
「もちろん、島には何もないかもしれません。ですが、神話では『神が舞い降りた』という伝承が残っている。歴史的根拠のない浮いた神話ですが、古代魔導帝国ゼニスの技術力を考えれば、これは何かの寓意……いえ、大いなる遺物を隠すための暗号なのではないかしら!」
「……セラフィナ様、神話まで調べてるんですね……」
「古代魔導帝国ゼニスについては、昔から趣味でよぉぉぉく調べていましたから!」
(ああ、そういえばこの人、王都を追い出されてこの極寒の地に飛ばされた時も、「ゴーレム作りができる!」って一人でウキウキしてたっけな……)
ガレスは遠い目をした。目の前の完璧な令嬢の皮を被った重度の機械オタクは、もはや誰にも止められない領域に入っている。
「じゃあ、その島を調べに行くおつもりで?」
「ええ、そのつもりですわ。ただ、レオンハルト様は最近政務でお忙しくされていますし……うーん、今回は私だけで行こうかしら」
「……え?」
「それに、レオンハルト様の装備は海水には弱いですから。塩水で錆びたりショートしたりしたら大変ですもの」
「いや、そういう物理的な話じゃなくてですね! 護衛もつけずに一人で無人島(もしかしたら古代の罠だらけかもしれない場所)に行く気ですか!?」
「大丈夫ですわ、ガレス。私、危ないことはしませんから、そういうのは弁えてますわ」
「どの口が言っているんですか!!」
ガレスの渾身のツッコミが地下室に響き渡る。
しかし、思い立ったら吉日のセラフィナの耳には、もはや届いていなかった。
「そうと決まれば、さっそくレオンハルト様に許可をもらってきますわ!」
ひらり、とドレスの裾を翻し、セラフィナは満面の笑みで研究室を飛び出していく。
残されたガレスは、主であるレオンハルトの胃痛を思って、ただ深く同情の溜め息をつくことしかできなかった。




