第四十五話:深まる距離感
北の辺境伯領に帰還してから、数日が経過した。
交易都市を騒がせた事件は一段落し、城内には穏やかな日常が戻りつつあったが、どういうわけか、最近のセラフィナはいつになく元気がなかった。
作業台に向かっていても、どこか上の空で、手元に置かれた歯車を見つめては「はぁー……」と重いため息を吐き出している。
「セラフィナ様が、西の砂漠から帰ってきてから様子がおかしい……」
クラウスが、心配そうに眉を下げた。
「ガレス、お前もそう思うだろう? いつもなら城のどこかを爆破するか、俺たちを実験台に妙な機械をためさせるか、これだけ大人しいと逆に不気味だ」
「ええ、クラウス殿。……同行した執事長殿が話すところによると、砂漠で出会った少女との別れを悲しんでいるとのこと」
ガレスが同情に満ちた目でセラフィナの背中を見つめる。
その視線に気づいたのか、セラフィナはゆっくりと振り返り、どこか物憂げに、感慨深げに語り出した。
「……やはり、出会いがあれば別れがあるものですからね。仕方のないことだと、分かってはいるのですけれど……何でも叶うわけではないのですね……」
「……そんなキャラだったか?」
クラウスとガレスは、驚きに目を見開いた。
「セラフィナ様にも、あんな人間的な感性が……」
「機械いじり大好きな変態……科学者ではなく、ちゃんと人の気持ちを考える部分も頭の中にあったのか……」
二人は(普段の奇行の数々を思えば、それはそれで失礼極まりない納得の仕方ではないか)と内心でツッコミを入れつつも、彼女の「傷心」に深く納得して、それ以上は触れないでおくことにした。
しかし。
ただ一人、そのやり取りを冷ややかな目で見ていた大公レオンハルトだけは、全く違うことを考えていた。
(……あの女が、そんな殊勝なタマなわけがないだろう)
***
翌朝。
レオンハルトの寝室にて、毎朝の日課である『魔力吸引』が行われていた。
セラフィナがいつものシリンダーをレオンハルトの胸元に当て、余剰魔力を吸い取り終えたその瞬間。レオンハルトは、ベッドの上に上体を起こし、目の前でデバイスを片付けているセラフィナをじっと見つめた。
「セラフィナ」
「はい、何でしょう、閣下?」
「お前、何をそんなに落ち込んでいるんだ? クラウスたちはリタとの別れを惜しんでいるのだろうと噂していたが……本当の理由を言え」
セラフィナは動きを止め、驚くほどはっきりと、形がくっきりと見えるのではないかと思うほど大きなため息を「はぁぁぁーーーっ」と吐き出した。
「……聞いてくださいますか、レオンハルト様。本当に、悔しくてたまらないのですわ!」
「リタのことか?」
「違いますわ! 結局、あの西の大砂漠の古代遺跡に眠っていた諸々の装置を、ろくに調べ損ねましたわ!! あのホログラムスクリーンや培養槽の構造……ああ、もっと隅々まで分解して、組成を調べて、私のパーツにしたかったですのに! 王都のあれに邪魔されるなんて、本当に一生の不覚ですわ!」
頭を抱えて地団駄を踏むセラフィナを見て、レオンハルトは「……やはりな」と呆れ果てると同時に、どこか妙な安心感を覚えていた。
これこそが、自分のよく知る、狂った魔導具オタクのセラフィナだったからだ。
「……お前は本当にブレないな。リタのことは心配ではないのか?」
「あの子ですか」
セラフィナは、事も無げに一言、こう返した。
「あの子は、とても優秀ですから心配なんて一切していませんわ」
「優秀……? いや、実力があるのは認めるが、相手は商業連合だぞ。希望的観測で『大丈夫だ』と楽観視しているだけではないのか?」
レオンハルトの予想外の返答に対する驚きに、セラフィナは不思議そうに首を傾げた。
「どういう意味ですの? 希望的観測などではありませんわ。あの子は、一度は私たちを完全に出し抜いて逃げおおせました。何より、国家レベルの犯罪組織である盗賊団の中で、十四歳という年齢まで一人で生き抜いてきたのですよ? 口では『罪を償う』なんてしおらしいことを言ってましたけれど、絶対に裏でどうにか切り抜ける算段があるに決まっていますわ」
「……は?」
レオンハルトは、彼女の発言の意図が掴めずに眉をひそめた。
「つまり……お前の見立てでは、彼女も最初から、本気で罪を償うつもりなどない、ということか?」
「んー、そのあたりの真意は私には分かりませんが……。少なくとも、あの子はそんなに大人しくてしおらしい性格じゃありませんわ。だからこそ!」
セラフィナは再び、心底悔しそうに胸元をかきむしった。
「だからこそ、自分の『手駒』として、なんとしてでも手元に置いておきたかったですのに……! ああ、あんなに身軽で、私の『鉤爪』を乗りこなす優秀なパイロットをみすみす逃してしまったなんて、本当に損失ですわ!」
深く、深い、本当に心からの失望のため息。
どうやら、彼女が落ち込んでいた本当の理由として、遺跡を調べ損なったこともあるが、リタのこともあったようだ。
しかし彼女の身を案じていたからでも、別れが寂しかったから、ということでもなく、「使える有能な手駒をみすみす逃してしまったことに対する、投資失敗の失望」でもあったらしい。
「……」
レオンハルトは、あまりの温度差に言葉を失った。
相変わらずだ。
人の気持ちを、多分理解はするが汲むことはない。
分かった上でやる以上、たちの悪さは最高級。
(……しかし。これこそが、俺が関心を持った——俺の愛した女性なのだな)
レオンハルトは、自嘲気味にフッと口元を緩めた。
常軌を逸した狂気を孕み、世界のすべてをパーツとしてしか見ないようなマッド令嬢。そんな彼女に、どうしようもなく惹きつけられている自分自身に対して、「我ながら、随分と趣味が悪い」と感じずにはいられない。
レオンハルトは、目の前でバインダーを抱えてぶつぶつと文句を言っているセラフィナを、じっと見つめた。
陽光を反射して輝く、絹糸のような美しい銀髪。整った目鼻立ちに、陶器のように白い肌。
見目麗しい。その外見だけを切り取れば、まさに非の打ち所がない公爵令嬢だ。
性格がどうしようもなくあれだが、これなら確かに、王妃として迎え入れるのにも十分すぎるほどに見栄えが良い。
(……いや。それを差し引いても、性格のあれさで総合的にマイナスか?)
頭の中で真剣に「美貌と狂気のプラマイ計算」を弾き出しているレオンハルトの視線に、セラフィナが気づいた。
「……?」
セラフィナの表情が、徐々に変化していく。
大公の真っ直ぐな視線に射抜かれ、彼女の白い頬が、じわじわと林檎のように赤く染まっていく。
先日の「魔力交差」の感触を思い出したのか、セラフィナは所在なさげに、視線をキョロキョロとあちこちへ泳がせ始めた。
「……あの、閣下。……どうか、しましたか?」
上目遣いで、恥ずかしそうに指先をもじもじとさせるセラフィナ。
その、いつものマッドエンジニアからは想像もつかない乙女な様子を見て、レオンハルトの胸の奥が、温かいもので満たされていく。
(……いや。やはり、性格も悪くないか)
レオンハルトは、そっと笑みを深めた。
これは所謂、ギャップ萌え、というものなのかもしれない。
レオンハルトがその概念に行き着くことは生涯ありえないが。
日課のメンテナンス(魔力吸引)が完全に終了し、彼はベッドから滑り降りるようにして立ち上がる。
「身体が軽くなった。いつも感謝している、セラフィナ」
「い、いえいえ……! お、お安い御用ですわ! では、私はこれで……」
顔を赤くしたまま、セラフィナはそそくさと荷物をまとめ、逃げるように部屋を去ろうとした。
——だが。
レオンハルトが、それを逃がすはずがなかった。
「待て」
レオンハルトは素早く手を伸ばし、彼女の細い手首を掴んだ。
驚いて振り返る彼女を引き寄せ、そのまま彼の広い胸の中へと、ガッチリと抱き寄せた。
「あ、あの……れ、レオンハルト様……?」
セラフィナが言葉を紡ごうとした、まさにその瞬間。
レオンハルトは、彼女の言葉を、自身の唇で優しく、しかし強引に塞ぎ込んだ。
「んむ……ッ」
セラフィナの小さな息が漏れ、驚きに丸くなった彼女の瞳が、至近距離でレオンハルトの氷色の瞳と重なる。
重ね合わされた唇から、熱い魔力が甘く混ざり合っていく。それは先日の「緊急のセキュリティ承認」のような義務的なものとは全く異なる、狂おしいほどの熱情を帯びた、本物の接吻だった。
驚きで硬直していたセラフィナの身体から、徐々に力が抜けていく。彼女の小さな手が、レオンハルトの胸元の服をぎゅっと、縋るように掴みしめた。
レオンハルトは彼女の細い腰をさらに強く抱き寄せ、その柔らかさを貪るように、何度も、深く深く唇を重ね合わせた。
ゆっくりと唇が離された時、セラフィナは顔を耳の先まで真っ赤にし、呼吸を荒く乱して、床にへたり込みそうになっていた。
「いつもの礼だ……今日は、俺がメンテナンスをしてやろう」
意地悪く、けれどこの上なく愛おしそうに囁く大公を、セラフィナは真っ赤な顔で睨みつけることしかできなかった。
***
それから、朝食の時間。
辺境伯城の食堂には、妙に張り詰めた、けれど甘い空気が流れていた。
長テーブルの主座に座るレオンハルトと、そこからわざわざ「二つほど席を空けて」座るセラフィナ。
二人は、お互いに意識しすぎて一切目を合わせようとせず、不自然なほどの『適切な距離感』を保って、静かに食事を口に運んでいた。
それを見て、食堂の隅で給仕を行う侍女たちが、一斉に色めき立った。
「見て……あのお二人、席を空けてお座りになっていますわ!」
「やっぱり、あの大砂漠の冒険の途中で、何か決定的な出来事があったに違いないわ! お互いを意識しすぎて、恥ずかしくて近寄れないのね! なんて尊いのかしら……!」
メイドたちの熱烈な勘違い(※今回は大体合っているが)の囁き声を、レオンハルトは表情を崩さないように努めながら無視し、コホンと一つ咳払いをして、不自然なほど澄ました声でセラフィナに語りかけた。
「……セラフィナ。しばらく領地の政務をこなして、落ち着いたら……また、どこかへ出かけよう」
その言葉に、セラフィナは持っていたスプーンをピクリと震わせたが、やがて少し頬を染めながら、嬉しそうに答えた。
「ええ。……もちろん、お供いたしますわ。次はどんな未解明の古代兵器が待っているか、楽しみですこと!」
二人の心に、新たな冒険への予感を残し、辺境伯領の朝は、いつになく温かい光に包まれて更けていくのだった。




