第四十三話:お別れ
西の大砂漠のオアシス都市にある最高級ホテルのスイートルーム。
遺跡での死闘と華麗なる脱出劇から、一週間の時が過ぎていた。
「ふぁぁ……涼しくて快適ですわねぇ……」
セラフィナは、セバスチャンが持ち込んだ氷の魔石を利用した冷風機の前に寝転がり、ダラダラと最高級の果実水を啜っていた。
極限の緊張感から解放され、すっかり羽を伸ばしているマッド令嬢を横目に、レオンハルトは呆れたように腕を組んでソファに深く腰掛けている。
そこへ、外へ情報収集に出ていたセバスチャンが、静かに部屋の扉を開けて入ってきた。
「閣下、お嬢様。斥候からの報告が上がりました。……どうやら、ジュリアス王太子殿下の軍勢は、完全に王都へと引き上げた模様です」
「そうか。あの後、奴らはどう動いた」
「遺跡の深部から、気を失って倒れていたククルタを回収し、そのまま王都へと連れ帰ったようです」
セバスチャンの報告に、部屋の空気が少しだけ引き締まった。
あの場に残されていた古代の遺物——鈍色のペンダントも、ジュリアスの手に渡ってしまっている。
「結局、あのペンダントは王太子殿下に取られたままということですわね」
セラフィナが寝転がったまま、少しだけ真剣な顔つきになった。
「何をするつもりかは分かりませんが、彼らは最初から遺跡の遺物を狙っていたのでしょうか」
「そんなことを言っていたような気もしますね」
セバスチャンが答える。
「ああ。それから、入り口で暴れていたあのドラゴンはどうなったんだ?」
レオンハルトが尋ねる。
「ドラゴンに関しましては、オアシスの商業連合が腕利きの傭兵団を大枚を叩いて雇い入れ、なんとか砂漠の奥深くへと追い立てることに成功したそうです」
「……なるほど。それにしても」
セラフィナは身体を起こし、顎に手を当てた。
「あのドラゴンも、ペンダントの力によって召喚されたと言っていましたわ。果たして、あの遺物の真の力とは何だったのでしょうか……。予測でしかありませんけれど」
セラフィナの瞳に、エンジニアとしての冷徹な分析の光が宿る。
「もしもあれが、無から魔物を生み出したり、あるいは使役したり、またはククルタのように、生物を異形へと変質させたりするような装置なのだとしたら。……王国は、あのペンダント一つで莫大な軍事力を生み出す下地を作れたことになりますわ」
その言葉に、部屋には重い沈黙が落ちた。
ジュリアスのような浅慮な人間が、あのような強大な力を持てばどうなるか。火を見るより明らかだった。
「一先ず、現状では全てが予測の域だ」
レオンハルトが沈黙を破り、力強く言った。
「王都には、俺の息のかかったスパイが何人か潜り込んでいる。王家の動向は常に確認していくつもりだ。……兵士も引き上げたことだし、そろそろ俺たちも北の領地に戻ろうか」
「そうですわね! 第一魔導工房に置いてきた子たち(実験途中の機材)が心配ですし!」
セラフィナが嬉々として立ち上がり、セバスチャンも帰り支度を始めようとした。
だが、部屋の隅で壁にもたれかかっていたリタだけは、微動だにしようとしなかった。
「……リタ? どうしましたの、忘れ物ですか?」
セラフィナが不思議そうに首を傾げる。
リタは伏せていた顔をゆっくりと上げ、決意を秘めた瞳で三人を見つめ返した。
「……悪い。俺は、あんたたちと一緒には行けない」
「えっ?」
思いもよらない言葉に、セラフィナは目を丸くした。
「どういうことですの? ここにはもう、残る理由なんて……もしも私たちの厄介になるのが忍びないのなら、私の研究助手として雇い入れる形でもいいですし」
「違うんだ、姉ちゃん」
リタは自分の右腕に装着されたままのガントレットを、左手でギュッと握りしめた。
「俺は……自分の犯した悪事を、ちゃんと償いたいんだ」
リタの脳裏には、遺跡の最深部でセラフィナが語った言葉が焼き付いていた。
『人間に戻って、罪を償える状態になるのであれば、人間として法の下で罪を償わせましょう』
悪党のククルタに対してすら、そう言い切った彼女の言葉。
それを聞いた時、リタは自分自身のこれまでを振り返らずにはいられなかったのだ。
「俺も、そうすべきだって気づいたんだ。このまま何もなかったかのように、あんたたちについて行って、ぬくぬくと安全な場所で笑っていることはできない」
「とはいえ、だ」
レオンハルトが、厳しい顔つきで口を挟んだ。
「お前が今まで何をしてきたのかは知らないが、盗賊団の仲間だったことを商業連合の連中に自首すれば、事と次第によっては死罪もあり得るぞ。分かっているのか」
「それでも、構わない」
リタの言葉に迷いはなかった。
「ちゃんと、けじめはつけたいんだ」
「ああそうですか、と納得できる訳がありませんわ!」
セラフィナが思わず一歩踏み出し、声を荒らげた。
「過去の罪なら、これから辺境で人助けをするとか、画期的な発明を手伝うとか、別の方法でいくらでも償えるのではないですか! わざわざ死ぬかもしれない場所に残るなんて、非合理的です!」
「……んー、まぁ。それで姉ちゃんたちを手伝えば、俺の気は晴れるかもしれないけど、それだけじゃ、やっぱり駄目なんだと思うんだよね」
リタは困ったように、けれど少しだけ大人びた笑みを浮かべた。
「スリや窃盗ばかりだったけど、俺がものを盗んだせいで、その日食べるものを失って路頭に迷った奴だっているかもしれない。何か取り返しのつかない損害を与えたかもしれない、いや、何をしたって、誰しもが納得する方法なんてないかもしれないけど……ちゃんと、司法の判断を受けるって手順は踏みたいんだ」
それは、孤児として法のない裏社会を生き抜いてきた彼女が、初めて自分の意志で見つけた「人間としての正道」だった。
「全部終わって、もし無事にシャバに出られて、元気だったら……その時は、北の辺境に連絡するよ」
リタの固い決意を前に、セラフィナはなおも何か言い返そうと唇を噛んだが……やがて、深く息を吐き出して肩の力を抜いた。
「……分かりましたわ。まだ納得はいきませんけれど、貴女がそこまで言うのなら、意思を尊重します」
「ありがとう、姉ちゃん」
リタはホッとしたように笑うと、右腕のガントレットのバックルに手をかけ、それを外そうとした。
「これ、すげー楽しかったけど、返すよ。俺には過ぎたおもちゃだ」
「待ちなさい」
セラフィナがその手をピシャリと制止する。
「それは貴女の筋肉の動きと魔力波長に合わせて、完璧にチューニングした『リタ専用モデル』ですわ。私に返されても粗大ゴミになるだけですから、持っていきなさい」
「でも……」
「差し上げたものですから、返さなくて結構です! それに、牢屋から脱獄したくなった時に便利かもしれませんし!」
「おいセラフィナ、脱獄を推奨するな」
レオンハルトのツッコミが入るが、セラフィナはふんぞり返ってそっぽを向いた。
リタは手元の銀色のガントレットを見つめ、やがて大切そうにそれを撫でた。
「……そっか。じゃあ、お守り代わりに持っておくよ」
そしてリタは、セラフィナの正面に立ち、姿勢を正した。
「それと、ちゃんと言ってなかったと思うから言っとくわ」
出会った時の、野良猫のように威嚇するような態度はもうない。彼女は深く、深く頭を下げた。
「あの時は……大事な持ち物を盗んで、本当にすいませんでした」
それは、スリの少女が初めて心から口にした、本物の謝罪だった。
「……気になさらないで。あのおかげで、面白いデータがたくさん取れましたからね」
セラフィナは少しだけ顔を綻ばせ、リタの頭を優しくポンと撫でた。
***
数時間後。
オアシス都市の門前で、手を振るリタの小さな背中を見送った後。
セラフィナ、レオンハルト、セバスチャンの三人を乗せた魔獣の馬車は、砂煙を上げて北の辺境への帰路についていた。
王都に持ち去られた危険な古代の遺物。
西の大砂漠での熱く狂気的な冒険を終え、彼らの物語は、また新たな世界へと移りゆく。




