第四十二話:華麗なる脱出劇
床に縫い付けられたレオンハルトを見下ろし、ジュリアスが鼻で笑った。
「愚物」
その言葉に、兵士に両腕を拘束されていたセラフィナは、ゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳に宿っていたのは、氷のような冷たい怒りだった。
「……一人じゃ何もできない癖に、口だけは達者ですのね」
「なんだと?」
ジュリアスが不快そうに眉をひそめる。
セラフィナは、兵士に押さえつけられながらも、王太子を真っ直ぐに射抜いて口元に嘲笑を浮かべた。
「その程度の魔法で勝ち誇っているなんて、滑稽を通り越して哀れですわ。貴方の魔法、全く大したことありませんもの」
「ふん、負け惜しみを。この『光の戒縛』は王家秘伝の高位の拘束魔法だ。優れた術者が扱えば、解くことは至難の業だぞ。魔力を失った貴様ら野蛮人に解けるはずが——」
セラフィナが、ふっ、と鼻で笑って言葉を遮った。
「あら、ご自身でよく分かったおいでですのね。『優れた術者が扱えば』、と仰いましたか? はて、一体誰が、この拘束魔法を行使したのでしたっけ?」
「……貴様、僕を愚弄するか」
「おい、あまり刺激するな」
レオンハルトは軽く諌めるが、しかしセラフィナは、それを無視して続ける。
「事実を述べているだけですわ。魔法一つとっても、見栄ばかり張ってその実が全く備わっていない。貴方のような人間がかけたこんな拘束魔法、私なら指を触れずとも解いてみせますわよ」
「ほざけ! 貴様も口だけだろうが!」
ジュリアスが激昂して叫んだ、その瞬間。
「『解呪』」
セラフィナが短く呟くと、レオンハルトを縛り上げていた光の鎖が、一瞬にしてパリンッ!と飴細工のように砕け散った。
「なっ……!?」
ジュリアスが驚愕に目を見開く。
「な、何をした!」
「言ったでしょう? スカスカなんですよ。構造の脆弱な箇所を見つけて、ただ少し魔力を流し込んだだけですわ。貴方の魔法は、まるで中身のすっからかんなハリボテですのよ」
セラフィナは、これ見よがしにため息をついてみせた。
「外見だけは仰々しく装飾されていますけれど、魔力の密度も、回路の構築も、基礎の基礎からすべてが間違っています。本当に、ご自身の頭の中と同じでお粗末ですこと」
「き、貴様ァァァッ!!」
完全にプライドを粉砕されたジュリアスは、怒りで顔を真っ赤にして沸騰した。
彼は兵士を押しのけて自らセラフィナに歩み寄ると、彼女の首元を乱暴に掴み、ギリギリと締め上げながら引き上げた。
「く、ぐっ……」
「せ、セラフィナっ!」
「調子に乗るなよ悪女め! 僕を誰だと思っている! 貴様など、この場で捻り殺してやる!」
顔を歪めながらも、セラフィナの瞳は全く怯んでいなかった。
「……ならば、お手本を見せてあげますわ」
セラフィナがそう呟いた瞬間、彼女の指先から『白い紐状のもの』が無数に生み出された。
それは生き物のようにシュルシュルと宙を舞うと、幾重にも重なり合いながら、首を掴んでいたジュリアスと周囲の兵士たちの身体をあっという間に縛り上げた。
「うわっ!? なんだこれは!」
兵士たちが慌てふためき、ジュリアスが思わずセラフィナから手を離す。
解放されたセラフィナは、軽やかにステップを踏んで彼らから距離を取ると、自由になったレオンハルト、セバスチャン、リタのもとへ素早く駆け寄った。
「皆様、私にしっかり捕まってくださいませ」
セラフィナは小声で三人に囁いた。
一方、白い紐で縛られたジュリアスは、ギリッと歯を食いしばって力を込め、強引に腕を振り払った。
ブチッ!という音と共に、あっけなく白い紐が千切れて地面に落ちる。
「はっ! なんだこれは、ただの脆い糸ではないか!」
ジュリアスは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「見掛け倒しなのは貴様の方だ! 貴様のこんな貧弱な拘束など、僕の解呪魔法を使うまでもないわ!」
その言葉を聞いて、セラフィナは憐れむような目でジュリアスを見つめ、ふふっ、と鼻で笑った。
「……一体いつ、私が『拘束魔法』を使ったなんて言いました?」
「……なに?」
「これだから嫌なんですの。それが何の魔法なのかすら理解できないお粗末な頭だから、この人たちの真の素晴らしさが分からないのですわ」
「減らず口を……! もういい、貴様らはここで全員灰にしてやる!」
怒りに任せ、ジュリアスは自身の豪奢な杖を高く掲げ、詠唱と共にありったけの魔力を放とうとした。
——しかし。
プシュゥゥゥ……。
杖の先から、銀色の煙のようなものが情けなく少し吹き出しただけで、何も起きない。
「な、なんだ!? どういうことだ!?」
ジュリアスは慌てて何度も杖を振るが、体内の魔力が全く反応しない。魔法が発動する気配が一切なかった。
「貴様……! 一体何をした!」
「そのちいぃぃぃぃさな頭で、よく考えてみてくださいなっ」
セラフィナはにっこりと微笑んだ。
彼女が放った白い紐は、拘束具などではない。対象の魔力回路に直接干渉し、魔力を強制的に吸い上げて空にする、魔力収奪魔法。
吸収した魔力は、リタへと注がれていた。
狼狽する王太子を置き去りにし、セラフィナは隣のリタに合図を送った。
「リタ! 鉤爪にありったけの魔力を!」
リタが右腕のガントレットに奪った魔力を注ぎ込む。先の戦闘で使った奥の手——鉤爪がギギギッと音を立てて展開し、四人を包み込めるほどの巨大なサイズへと肥大化する。
リタはそのまま、巨大化した鉤爪を、遺跡の分厚い天井めがけて勢いよく射出した。
すさまじい轟音と共に、堅牢な天井の岩盤が吹き飛び、ぽっかりと巨大な穴が空いた。
崩れ落ちる瓦礫の向こうに、はるか上空の外界へと続く直通路が開ける。
「それではジュリアス殿下、ごきげんよう」
唖然と見上げる王太子たちに向け、セラフィナはドレスの裾をつまみ、完璧で華麗なカーテシー(淑女の礼)を決めてみせた。
「さあ、引き上げますわよ!」
リタが巻き取り機構を作動させる。
激しい金切り音と共に、四人を乗せた巨大な鉤爪は、天井に空いた穴を通って一気に上空へと引き上げられていった。
「待てッ! 逃がすな! 追えェェェェッ!!」
はるか眼下でジュリアスが絶叫する声が、あっという間に遠ざかっていく。
暗い遺跡の縦穴を猛スピードで駆け上がり、ついに地上へと飛び出した四人を迎えたのは——。
「……あ」
「夜が、明けたんだな」
いつの間にやら迎えていた日の出の、眩しく温かい光だった。
地平線から昇る朝日が、無事に生還した四人の姿を黄金色に照らし出している。
「くくく、最高に爽快な脱出劇でしたわね!」
セラフィナの明るい声が、冷たい朝の空気に心地よく響く。
「やれやれ、一度宿へと帰るぞ、ジュリアスの動向を見て、帰路につこう」
レオンハルトが穏やかに微笑み、リタが「任せとけ!」と応えてワイヤーをスイングさせる。
時間にすれば一夜の出来事。
しかし随分と長いこと遺跡の中にいたような気がした。
朝日を背に受けながら、四人はオアシス都市へと向かって、晴れやかな帰還の途についた。




