第四十一話:乱入者
ククルタの胸からペンダントを引き抜き、異形の怪物たちを砂塵へと還した直後。
極限の戦いを終えたセラフィナとレオンハルトは、緊張の糸が切れたように、冷たい大理石の床へその場にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……。なかなか、大変でしたわね」
「お前な……少しは自分の身を案じろ」
荒い息を吐きながらも、レオンハルトはすぐにセラフィナを気遣うように顔を覗き込んだ。
「腹をあんなに強く殴られて、鼻血まで出していたじゃないか。無茶をして」
「魔法で身体は保護していましたから、内臓が破裂するような大怪我はしていませんわ。でも……」
セラフィナは自身の脇腹をそっと押さえ、痛みに顔をしかめた。
「今になって痛みが増してきましたわ。ひびくらいは入っているかもしれませんね。きっと、アドレナリンが切れたのでしょう」
「……あどれなりん?」
聞き慣れない単語に、レオンハルトが怪訝そうに眉を寄せる。
「脳の興奮物質みたいなものですわ。まぁ、命に別状はありませんから大丈夫ですよ」
セラフィナはそう言って微笑むと、ふと表情を和らげ、レオンハルトの目を真っ直ぐに見つめた。
「そんなことより。レオンハルト様が私のことを、こんなにも心から心配してくださっていること……本当に、感謝いたしますわ」
「っ……! し、心配しているのは確かだが……どうしてそんな、心からなんて断言できるんだ」
「クロスリンクの副反応、ですかね」
セラフィナはいたずらっぽく笑った。
「レオンハルト様が今、私の無事をどれほど安堵し、深く案じてくださっているか……貴方の考えていることが、手に取るように分かりますの」
「な、なんだと!?」
レオンハルトは驚愕し、カッと顔を赤くした。
「俺にはお前の考えていることなど、微塵も分からないぞ!?」
「そりゃあ、双方向性にはしていませんからね。私の一方的な受信ですわ。それにしても……」
セラフィナはにんまりと笑みを深める。
「レオンハルト様って、本当に私のこと、好きなんですねぇ」
「っっ!! ふ、ふざけるな! 人の心の中を勝手に覗き見るなど、悪趣味にも程があるぞ!」
激しく動揺し、本気で怒り(照れ)の声を上げるレオンハルト。
その必死な様子を見て、セラフィナはふと我に返った。モノづくりオタクとして技術的探求を優先するあまり、人の心をシステム化して覗き見るという行為のデリカシーのなさに気づいたのだ。
「……いえ。それは確かにそうですね。勝手なことをして、本当に申し訳ありませんでしたわ」
セラフィナがしゅんと肩を落とし、素直に頭を下げた。
「え……あ、いや……」
いつもなら「ロマンですわ!」と開き直るはずの彼女に素直に謝られ、レオンハルトは逆に調子を狂わされ、どう対応していいか分からずに視線を泳がせた。
そんな、命がけの死闘の直後とは思えないイチャイチャを繰り広げる二人を、少し離れた場所からリタとセバスチャンが呆れたような、生温かい目で見つめていた。
「……一先ず、何とかなったな、爺さん」
「ええ。お嬢様と閣下も、無事で何よりです」
ホッと肩を撫で下ろしたリタだったが、ふと視線の端で「あるもの」が動いたのを捉えた。
「……ん?」
死骸となって倒れていると思っていたククルタの身体が、微かに、ピクリと動いたのだ。
「おい、まだ生きてるぞ!」
リタは鋭く叫ぶと、右腕のワイヤーアンカーを駆動させ、一瞬にしてククルタのそばへと跳躍した。
その声にセラフィナとレオンハルトも一気に緊張を高め、ククルタを睨みつける。だが、ククルタの身体からはすでに異形の外骨格は剥がれ落ち、元の男の姿に戻って虫の息となっていた。どうやらもう、起き上がって動き回るような余力は残されていない様子だ。
「……止めを刺すか?」
リタが、殺意の消えない目でククルタを見下ろし、冷たい声で問うた。
セラフィナはゆっくりと首を振った。
「リタ……あなたは、それでいいんですの?」
「俺を拾って育ててくれた恩はあるさ。でも、こいつは間違いなく悪人側の人間だ。ここで仕留めておくのが一番いい」
リタは自らの小さな拳を強く握りしめた。
「砂漠を牛耳ってる商業連合でさえ、こいつの率いる盗賊団は手に負えずに野放しにしてたんだ。姉ちゃんは知らないだろうけど、俺だって……こいつと同じように、散々悪事を働いて生きてきたんだ。だから、こいつを生かしておくリスクは分かってるつもりだ」
自戒を込めたリタの悲痛な告白。
しかしセラフィナは、手の中にある鈍色のペンダントを見つめながら、静かに告げた。
「連れて帰りましょう。そして、彼を完全に人に戻す方法を考えましょう」
「……それでよいのか、セラフィナ」
レオンハルトが念を押すように問う。
「人間に戻って、罪を償える状態になるのであれば、人間として法の下で罪を償わせましょう」
セラフィナは、リタの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「こんな暗い地下の底で……たとえ相手が悪人であったとしても、それを殺して、その重い罪の意識を背負い続ける必要はありませんからね」
その優しい言葉に、リタの瞳が微かに揺れた。
「……それで、いいのかよ」
「ええ」
「……わかった。あんたに従うよ、姉ちゃん」
リタは構えていた拳を下ろし、憑き物が落ちたような顔で小さく息を吐いた。
「では、ククルタを拘束し、ひとまず地上に戻りましょうか」
セバスチャンが手際よく縄を取り出そうとした、その時だった。
「いいえ! まだですわ!!」
セラフィナが突如として大声を上げ、バタバタと手足を動かした。
「まだこの遺跡の、空間投影ホログラムの仕組みや、自己再生する培養システムの諸々の技術を調べていませんわ! 全部持ち帰るまで帰りません!!」
「……」
「……」
「……やれやれ」
顔を見合わせたレオンハルト、セバスチャン、リタの三人は、思わず吹き出し、互いに笑い合った。
「いつものセラフィナだな」
「お嬢様は、こうでなくては」
「傷を癒して、また来よう」
レオンハルトは、バタバタと暴れるセラフィナの腰をヒョイと持ち上げ、そのまま小脇に抱え込んだ。
「ああっ! 私の未解明テクノロジーがぁぁっ!」
セラフィナの抗議を無視し、三人はようやく出口へと向き直った。
——だが、その時。
ザッ、ザザッ……!
遺跡の通路の奥から、無数の整然とした足音が響き、完全武装した王国の兵士たちが雪崩れ込んできたのだ。
あっという間に、疲弊しきった四人の周囲が槍と剣を持った兵士たちによって完全に包囲される。
「——パチパチパチ」
兵士の列が割れ、嫌味な拍手の音と共に現れたのは、豪奢な甲冑に身を包んだ王太子、ジュリアスだった。
「いやあ、実に素晴らしい余興だったよ。遠巻きに見させてもらったが、辺境の野蛮人どもが泥水に塗れて這いずり回り、化け物相手に必死に足掻く姿は、王都の観劇よりもよほど楽しめた」
「ジュリアス……!?」
レオンハルトが鋭く目を細める。
ジュリアスは尊大な態度で鼻で笑い、四人を虫ケラのように見下した。
「無様に追放された悪女と、呪われた化け物大公。そして薄汚い盗賊のガキに、老いぼれの執事か。底辺の掃き溜めとしては実にお似合いのパーティだな」
「こんなところで、何をしている」
レオンハルトが低い声で威嚇する。
「それはこちらのセリフだ。古代遺跡は王墓を擁する場合もあるのだ。そこで見つかった遺産を勝手に漁るなど、万死に値する反逆行為だぞ」
レオンハルトが身動きを取ろうとするが、周囲の兵士たちが一斉に槍の穂先を突き出し、四人の動きを完全に封じ込めた。
度重なる戦闘とクロスリンクによる過負荷で、レオンハルトの魔力はすでに空に近い。セラフィナも負傷し、リタとセバスチャンも疲労困憊だ。
「僕の目的は、この遺跡に眠る『古代兵器』を回収することだ。お前たちが勝手にボスを倒してくれたから、随分と手間が省けたよ。感謝するぞ、愚か者ども」
ジュリアスの視線が、セラフィナの手にある鈍色のペンダントへと向けられた。
「おい。その悪女からペンダントを奪い、連行しろ。地下牢でたっぷり尋問してやる」
「ッ! 触れるな!」
兵士がセラフィナに手を伸ばした瞬間、レオンハルトが激怒し、残け残りの魔力を振り絞って抵抗しようとした。
しかし、ジュリアスが素早く杖を振りかざし、高位の拘束魔法を放った。
「ぐっ……!?」
光の鎖がレオンハルトの四肢を縛り上げ、強制的に床に膝をつかせる。その隙に、兵士が難なくセラフィナを乱暴に引き剥がし、ペンダントごと奪い取った。
「レオンハルト様!」
「無駄だ。自身の魔力すらまともに制御することもできず、下級魔法も使えない化け物風情が。僕に歯向かおうなどと身の程を知れ、愚物が」
ジュリアスは床に這いつくばるレオンハルトの頭を靴底で踏みつけ、見下すように冷たく言い放った。
「…………っ!」
その言葉に、最も激しく反応したのはレオンハルト本人ではなかった。
両腕を兵士に拘束されながらも、俯いていたセラフィナの顔が、ゆっくりと上がる。
彼女の目に宿っていたのは、自分が捕まったことへの恐怖でも、ペンダントを奪われたことへの焦りでもない。
レオンハルトを「魔法すら使えない愚物」と侮辱されたことに対する——煮えたぎるような、純粋で絶対的な「怒り」だった。
「……今、なんと言いましたの?」
静かに、地を這うようなセラフィナの低い声が、王太子の耳に届いた。




