第三十四話:長い夢の終わり
目が覚めると、見慣れた天井だった。
いつもの寝具の感触。なんだか、とても長い夢を見ていたような気がする。
私は東京の工業大学に通う女子大生だ。テスト期間が終わり、学業という役目から一時的に解放された私は、趣味の機械いじりのために久しぶりの夜更かしをし、結果としてお昼近くまで惰眠を貪ることになってしまった。
コンコン、と部屋のドアがノックされる。
「そろそろ降りてきなさい」
聞き覚えのある、優しい声。母親の声だ。
「はーい」
寝ぼけた身体をのろのろと起こし、姿見で身だしなみを整える。ボサボサの黒髪に、眠たそうに潰れた瞼。ふと足元を見れば、昨晩使ったままの工具類が散らばっていた。
(こういうのをちゃんと片付けないから、よく工具をなくしてしまうのよね)
小さく反省するが、どうせこのあとまた作業をするのだからと、着古したつなぎに着替え、階下へ降りた。
居間では父親と弟がテレビを眺め、キッチンでは母が昼食の準備をしている。私を見つけると、母は「またそんな格好をして」と呆れたように呟いた。
「これが楽だから」
そう言い訳しながら席に座ると、温めた黒糖パンとお茶が置かれた。のんびりとした、代わり映えのない日常。なんだか本当に、ずっと長い夢を見ていた気がする。
ふと、テレビのニュースが耳に入った。
『BMIの手術に、保険適用を検討——』
「時代はすっかり未来だなぁ」
お茶を啜りながら父が呟く。
ああ、そうだ。こういうことがやりたくて、私は工業大学に進学したのだ。立ち止まっている暇はない。作業室での製作、授業、繰り返される日々。
私には夢があった。科学技術で人を幸せにしたい。苦しんでいる人に、不自由を感じている人に、より豊かな人生を歩んで欲しい。
……どうして、そんなふうに強く思ったんだっけ?
救いたい人がいたような気がする。そして、すでに誰かを救ってあげたような気もする。
脳裏に浮かぶのは、冷たい地下牢で、強大すぎる魔力の暴走に苦しみ、自分を「化け物」と蔑んでいた一人の青年の姿だ。彼を極上のエネルギー源だなんて嘯いて、強引に救い出したけれど。
「……?」
不器用な彼が私に向けてくれたあの笑顔を見たとき、胸の奥がどうしようもなく温かくなった。本当は、彼が苦しみから解放されたその顔を、もっと見ていたかった。彼に寄り添い、彼を縛るすべての呪いを取り払ってあげたかったのだ。
……遠くの方で、怒号が聞こえる。
誰かが、悲痛な声で叫んでいる。
何にそんなに怒っているのだろうか。
——ハッとして、意識が浮上した。
冷たい石の床。ひんやりとした遺跡の空気が頬を撫でる。
息を吸おうとして、ヒュッ、と喉の奥が引き攣った。空気が肺に入ってこない。
お腹の部分が、まるですっぽりと存在しないかのように感覚が抜け落ちていた。そして数秒遅れて、内臓をぐちゃぐちゃにすり潰されたような、言語を絶する激痛が全身を駆け巡った。
「が、はっ……!」
横隔膜が完全に麻痺し、酸素を求めて金魚のように口をパクパクさせることしかできない。咄嗟に魔力で防御したから即死は免れたものの、並のダメージではない。腹部の奥からせり上がる強烈な吐き気と激痛に、指先ひとつ動かすのすら億劫だった。
霞む視界の先、怒号の主の姿が見えた。
「レオンハルト、様……」
声にならない声が漏れる。
彼は、私が苦労して取り付けた魔力制御用の装置を引き剥がし、自らの魔力を解放しようとしていた。彼の身体から、周囲の空間を歪めるほどの漆黒の魔力が立ち昇っている。
己の理性を差し出してでも、目の前の怪物を殺そうとしているのだ。
いけない。そんなことをすれば、今度こそ彼自身が完全に壊れてしまう。
止めなきゃ。私が、止めないと。
動かない身体に必死に鞭を打ち、私は口から血をこぼしながら、なんとか立ち上がろうと震える両手を地面についた。




