第三十三話:異形の首領
「リタか?」
その問いかけに、リタは背筋を凍らせ、一層警戒心を強めた。
極度の緊張で身構える彼女の様子を見て、怪物はまるで肩をすくめるような仕草を見せた。
「ああ、こんななりじゃあ誰だか分かんねぇか」
怪物は、低くひび割れた声で言った。
「俺だよ。ククルタだよ」
その名前に、リタは息を呑んだ。自分を拾い、ここまで育て上げた盗賊団の首領の名前だった。
「まさか、首領……?」
しかし、リタは依然として信じられなかった。
目の前の怪物が、いくら見知った人物の口調で名乗ろうと、その黒々とした外皮に覆われた筋骨隆々の異形の姿は、首領の面影など微塵も残していない。そして何より、人を紙風船のように握り潰すこの殺戮生物と、首領を結びつける要素が何一つないのだ。
リタにしてみれば、正体不明の怪物が彼らの記憶を読み取り、自分たちを騙そうとしているようにしか思えなかった。
「んー、さてはお前、信じてないな? まぁ無理もないか。俺もこんな感じになるとは思わなかったからなぁ」
怪物は、まるで路地裏で世間話でもするかのように快活に笑った。
しかし、だからといって赤黒い血に染まった体躯が綺麗になるわけでもなく、異形の存在に対する本能的な恐怖は微塵も消えない。
「……証明する方法はないのかよ」
リタが震える声で問う。
「証明って言ってもなぁ」
ククルタと名乗った怪物は、顎に手を当てて少し迷う素振りを見せた後、思いついたようにポンと手を打った。
「ああ、そうだ。お前がまだガキだった頃、寝ぼけて俺のブーツを便器と勘違いして——」
「なっ!」
一瞬で顔を真っ赤にしたリタが絶叫した。しかし怪物は楽しそうに話を止めない。
「あの時は洗うのが大変でよぉ、お前、泣きながら『ごめんなさい』って——」
「ちょっ、待て! もういい! わかったから!」
リタが顔を覆ってしゃがみ込み、そうしてようやく怪物は発言を止めた。
「……本当に、首領なのか?」
「だからそう言ってんじゃん」
ヘラヘラと笑う怪物。
ここに来て、ようやく少しだけ張り詰めていた緊張が緩んだ。どうやら、彼(?)に今すぐ自分たちを殺す意思はないらしいと分かり、レオンハルトとセバスチャンもわずかに武器を下ろす。
「……一体、何があったんだよ」
リタが問うと、ククルタは事の顛末を説明し始めた。
何でも、突然王国の王太子が、大勢の兵隊を率いて遺跡にやってきたのだという。
遺跡を明け渡すように要請されたため突っぱねると、警告もなしにそこにいた団員たちが虐殺された。抵抗を試みるも、盗賊団には軍隊を相手にするほどの戦闘力はなく、勝ち目はなかった。
そこでククルタが持ち出したのが、遺跡の深部に安置されていたという『宝物』だった。
褐色の石をはめたペンダントで、詳しい仕組みは分からないが、身につけて魔力を注ぐと「生物を創造する機能」があるらしい。
「そんなお宝があったなんて、俺、知らないぞ」
「そりゃ話したことないからな」
ククルタはこともなげに答えた。
彼が初めに生み出したのは、巨大なドラゴンだった。
突如として現れた規格外のドラゴンになす術もなく、兵隊たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。この時、王太子も一部の部下を引き連れて、遺跡の中へと逃げ込んでいったらしい。
上手く兵士を退けたククルタだったが、ドラゴンの消し方が分からなかった。あたふたしているうちに、制御を失ったドラゴンはククルタ自身をも襲い始めた。たまらずククルタも遺跡の中に逃げ込み、事なきを得たという。
「だが、遺跡の中には逃げ込んだ兵士たちもいてな。危うく殺されそうになったんだが、ここでもペンダントが役に立った」
ククルタは、血まみれの太い腕をさすった。
先ほどのように巨大な魔物を生み出せば、また制御できなくなる。だから彼は、自分自身を素材にして、連中にも負けない強靭な生物へと「作り変える」ことにしたのだという。
そうして兵士を惨殺しながら追いかけ、この最深部までやってきたのだと。
「こんな野原みたいな空間、俺、初めて見たぞ……」
「言ってないからな」
呆れるリタに、ククルタは再び飄々と答える。
「俺は今、逃げた王太子を探してんだよ」
「見つけて……どうするつもりだ?」
「そんなの決まってる。殺すんだよ」
その返答には、怒りも憎しみもない、まるで機械のような人間味のない無機質さが宿っていた。
リタを含む三人は、再び背筋に氷を当てられたような戦慄を覚えた。
その中でも、リタは強い『違和感』を抱いていた。
確かに、目の前の怪物の言動は首領そのものだ。飄々と話し、煙に巻くような掴みどころのなさがある。話せば話すほど、これは首領だと確信めいたものを感じる。
しかし、だからこその違和感だった。
かつての首領は、軽々に人の命を取るような者ではなかった。
それは慈悲などではなく、「殺生は割に合わない」という、裏社会を生き抜くための至極合理的な発想による信念だったはずだ。必要に迫られて殺すことはあっても、逃げ出した相手をわざわざ追いかけてまで皆殺しにするような執念深さは、彼にはない。
(こいつは……やっぱり首領を名乗るだけの、異形の怪物だ)
リタがそう直感し、再び冷や汗を流した、その時だった。
「あの」
場違いなほど場慣れした、明るい声が響いた。
前世からの生粋の機械エンジニアであり、未知の魔導具を前にすると空気を読むという概念が消失する令嬢、セラフィナだ。
彼女はピンと手を挙げ、怪物の前に一歩進み出た。
「もしよろしければ、そのペンダントを見せてもらえませんこと? 私なら、その仕組みを調べて、何なら貴方を元の人間のお姿に戻せるかもしれませんわ」
虚を突かれたかのように、ククルタが黙り込んだ。
一瞬の、深い沈黙が流れる。
大なり小なり死地を経験してきたレオンハルト、セバスチャン、リタの三人は、その沈黙の中に、明確な『決死の空気』を感じ取った。
「セラフィナ、逃げ——」
レオンハルトが叫び、三人が反応するよりも早く。
怪物が動き、動作を完了していた。
空気を裂く音すら置き去りにした。
振り被られた漆黒の拳が、セラフィナの腹部を正確に捉え、凄まじい衝撃音と共に彼女の身体を殴り飛ばした。
「っ……!?」
セラフィナの身体はくの字に折れ曲がり、そのまま弾丸のように吹き飛ばされて、後方の壁面に激突して崩れ落ちた。
「セラフィナッ!!」
咄嗟の惨劇に、ワンテンポ遅れてレオンハルトが激しい怒気を爆発させた。
漆黒の魔力を全身から立ち昇らせ、怪物を粉砕すべく飛び出そうとする。
しかし——彼の鍛え上げられた闘争の本能が、警鐘を鳴らした。動くな、と。
圧倒的な殺気を纏い、静かにこちらを見下ろす怪物に対して、不用意に踏み込めば一瞬で首を刎ねられるという絶対的な死の予感が、大公の足を床に縫い付けたのだ。
怪物は、動かなくなったセラフィナを一瞥もせず、ただ煩わしい羽虫を払ったかのような態度で、首をコキッと鳴らした。
「今、俺がリタと話してんだけど」
静かに吐き捨てられたその一言が、目の前の存在がもはや人間ではないという『異常性』を、何よりも克明に表していた。




