第三十一話:サボったメンテナンスのツケ
「ギシャアアアアアアアアアアッ!!!!」
天井の配管から這い出た異形の怪物が、鼓膜を裂くような金切り声と共に、四人の頭上へと襲いかかった。
「散れッ!」
レオンハルトの鋭い声に弾かれ、四人は放射状に四方へと飛び退く。
怪物はズシンと鈍い音を立てて床に着地し、ダラダラと強酸性の粘液を撒き散らしながら、のっぺりとした頭部をぐるりと巡らせた。眼球を持たないその怪物は、空気の震えか熱源か、何らかのセンサーで標的を品定めするように動きを止める。
やがて、その殺意の矛先が固定された。四人の中で最も物理的脅威度が低いと判断された獲物——セラフィナである。
「ギチチチ……!」
怪物の強靭な後脚が床のタイルを砕き、矢のような速度でセラフィナへと肉薄する。
だが、その鋭い牙が彼女に届くより早く、漆黒の燕尾服が視界を横切った。
「お嬢様に触れてはなりません」
セバスチャンが滑り込むように間合いを詰め、流麗にして強烈な前蹴りを怪物の側腹部へと叩き込んだ。
ドゴォッ! と重い衝撃音が響き、怪物の巨体が真横へと蹴り飛ばされる。そのまま何本もの太いチューブを引きちぎりながら、巨大な生体培養カプセルに激しくぶつかって派手に倒れ込んだ。
しかし、着地したセバスチャンは微かに顔をしかめ、右足をかばうように体勢を崩した。
「セバスチャンさん! 大丈夫ですか!?」
セラフィナが慌てて駆け寄る。
「ええ……しかし、随分と硬い外皮です。生半可な打撃では弾かれます。素手では倒せそうにありませんね」
そう言いながらも、老執事は微塵も怯むことなく、セラフィナを庇うようにして怪物との間に立った。
そこへ、レオンハルトが進み出た。
「下がっていろ。俺がなんとかする」
レオンハルトは両手に漆黒の魔力を練り上げようとした。だが、空間を歪めるほどのエネルギーが手元に集まりかけた瞬間、バチバチと不規則な火花が散り、魔力が激しく乱れた。
強力すぎる魔力が制御を失い、かつてのように彼自身を「化け物」と化してしまうような暴走を引き起こしかける。
「ぐっ……!? なぜだ、魔力がうまく練れん……!」
突然の不調にレオンハルトが困惑して右手を抑える中、背後にいたセラフィナがハッと息を呑んだ。
「あ、す、すいません! 最近、朝のメンテナスを行っていませんでしたから……!」
レオンハルトへの気まずさから、彼女の毎朝の日課であった、自作の巨大シリンダーで大公の暴走魔力を美味しく回収するという作業をサボっていたそのツケを、今ここで払うことになってしまった。そのツッコミどころ満載の事実発覚に、レオンハルトの頬が引きつる。
「ギィィィン……」
培養カプセルの根元で倒れていた怪物が、キリキリと耳障りな金属音を立てて身を起こした。
その異常に細長い腕の組織が変形し、刀のような鋭く巨大な刃物となって伸びていく。怪物はそれを高く振りかぶり、無防備なセラフィナたち三人に向かって一気に跳躍しようと身を沈めた。
その絶体絶命の瞬間。
「おらっあ!」
側面に退避していたリタが、右腕のガントレットから勢いよく鉤爪を射出した。
放たれたワイヤーが、怪物の刃と化した腕に絡みつき、その跳躍を力任せに押さえ込む。
「今のうちに逃げろ!」
リタが歯を食いしばりながら叫んだ。
腕を拘束された怪物は激怒し、標的を三人からリタへと変更した。ワイヤーを力任せに引きちぎらんばかりの勢いで、リタへと襲いかかる。
「うおっと!」
リタは即座に腕を振り、もう一つのフックを高い天井の梁へと撃ち込んだ。高速巻き取り機構が作動し、怪物の刃が彼女のいた床を抉る一瞬前に、リタの身体は空高くへと引き上げられた。
しかし、怪物の身体能力も常軌を逸していた。
床を蹴り砕き、天井に逃れたリタを追って凄まじい跳躍力で空を舞う。
リタは空中で体勢を捻り、三人が逃げていった通路の方角へと再び鉤爪を放った。
金切り音を上げながら、ワイヤーを巻き取り、怪物の追撃を紙一重でかわす。だが、怪物は壁を蹴って軌道を変え、執拗にリタの背後へと迫ってくる。
(しつけぇな! このバケモノ!)
空中での逃走劇の中、リタは眼下にそびえ立つ、巨大なガラスの培養槽に目をつけた。
彼女は空中で姿勢を強引に変更し、鋼の鉤爪を分厚いガラスの培養槽の上部へと打ち込んだ。
ガキンッ! と鉤爪が強固に食い込む。
リタはそのまま自らの落下とスイングの全遠心力を利用し、ワイヤーを力任せに振り抜いた。
超重量の培養槽が、リタの体重と加速が乗った強烈な牽引力に耐えきれず、巨大なガラス管が激しい音を立てて傾き、空中でリタを追っていた怪物に向かって、まるで巨大なハンマーのように振り下ろされたのだ。
ガシャァァァァァァァァンッ!!!!
鼓膜を破るほどの轟音と共に、分厚いガラスが粉々に砕け散り、不気味な緑色の培養液が洪水のようにぶちまけられた。
空中で逃げ場を失っていた怪物は、数トンもの質量を持つガラス管と培養液の直撃をもろに受け、床へと凄まじい勢いで叩きつけられた。
瓦礫とガラス片の山の中で、怪物はピクピクと痙攣し、やがて完全に気を失ったように沈黙した。
「ざまぁみやがれ!」
ワイヤーを切り離し、通路の入り口へ見事に着地したリタは、倒れた怪物を見下ろして不敵に笑った。
これ以上の追撃が来ないことを確認すると、セラフィナたち三人の逃げていった暗い通路の奥へと、急いで後を追いかけていった。




