第29話:小休止
紅蓮の厄災——ドラゴンの追撃を辛くも振り切り、遺跡の内部へと逃げ込んだ四人は、重厚な石造りの通路で荒い息を吐いていた。
「……追ってはこないようですね」
セバスチャンが暗闇の奥、入り口の方角へ耳を澄ませて静かに言った。あの巨体をこの狭い遺跡の入り口にねじ込むことは不可能だろう。
レオンハルトが指先に小さな魔力の炎を灯し、即席の松明代わりにして周囲を照らす。
遺跡の奥へと進むにつれ、外の熱砂とは違うひんやりとした空気が肌を撫でた。しかし、その空気には外の野営地と同じ、生臭い血の匂いが微かに、だが確実に混じっていた。
「……以前探索した北の『ゼニスの大穴』とは、随分と様相が異なりますわね」
セラフィナが壁の材質を確かめながら呟く。北の遺跡が整然とした直線的な軍事施設のようであったのに対し、ここはまるで侵入者を拒むかのように、通路が曲がりくねり、入り組んでいた。
「迷えば一生出られそうにないな」
レオンハルトの言葉に、先頭を歩いていたリタが振り返って得意げに笑った。
「心配すんな。俺はこの遺跡の内部の構造を隅から隅まで頭に叩き込んでる。目を瞑ってても歩けるぜ」
頼もしい案内に従い、一行は手探りの状態で奥へと進んでいく。
右へ左へと何度も枝分かれする通路を進むうちに、セラフィナたち三人は完全に方向感覚を失っていた。
「ここ、どういう構造になってるんだ?」
「んー、なんていえばいいのかな。真ん中から、4方向に道が伸びてて、その先にそれぞれ出入り口があるんだけど、一度中央の最深部に降りて、そこから別の道へ上がらなきゃいけないんだ……ほら、着いたぜ」
少し進むと、開けた場所に出た。
レオンハルトが指先の炎を、部屋の四方に設置されていた古いロウソクの燭台に次々と移していく。頼りない灯りが揺らめくと、そこが数十人は収容できるほどの広々とした空間であることが分かった。
「まだ最深部じゃないけど、ここも普段は、盗賊団が暮らすとことして利用してた場所だよ。ちょっと休憩しようぜ」
リタの言葉通り、部屋には毛布や水瓶、木箱などが雑然と置かれ、生活感があった。しかし、逃げ遅れた人間の姿はない。慌てて立ち去ったのか、テーブルの上には食べかけの干し肉やパンがそのまま放置されていた。
外の野営地のような死体こそ見当たらないが、倒れた椅子や床についた真新しい剣の傷跡から、ここでも何らかの争いがあった形跡が見て取れた。何があったのかは、今は知る由もない。
「それにしても……」
レオンハルトが、高い天井をぐるりと見渡して感嘆の息を漏らした。
「これほどの地下大空間を千年前の人間が造り上げたとはな。古代文明の脅威には驚かされるばかりだ」
「そうなんだよ。こんな地下の奥底なのに、全然空気が息苦しくない。ちゃんと空気が循環してるんだよね」
壁際の通気口に手を当てて、リタが自慢げに言った。
「空気が循環? ただ風が吹き込んでいるだけではないのか?」
レオンハルトが何気なく疑問を口にした、その瞬間。
「——いいえっ! ただの風ではありませんわ!」
待っていましたとばかりに、セラフィナが目を爛々と輝かせて食い気味に語り出した。
「そもそもこんな地下深くに換気システムが構築されていること自体が驚異的です! しかも、野盗の集まりである盗賊団が、千年前の換気ダクトやファンのメンテナンスを行えるはずがありません! つまり、構造的に機械的摩耗を絶対に避けられないはずの換気システムが、千年もの間、無整備のままで現代まで稼働し続けているということですのよ!? どんなオーバーテクノロジーのベアリングと永久機関を使えばそんな奇跡が可能なのか、この壁をぶち抜いて今すぐ中身を確かめたくてウズウズしますわ!!」
「わ、わかった。俺が悪かった、だから壁をぶち抜くのはやめろ」
息継ぎもせずに熱弁を振るうセラフィナを前に、レオンハルトは軽く尋ねてしまったことを深く自戒し、頭を抱えた。
一方、そんな主君と令嬢のやり取りから少し離れた場所で、セバスチャンは一人、壁に寄りかかって座るリタを見つめていた。
一応の育ての親たちがあれほど無残に殺されているのを見たのだ。気丈に振る舞ってはいるが、内心気落ちしているのではないか——。セバスチャンは老執事としての細やかな気遣いで、そっと彼女の隣に歩み寄った。
「……リタ様。お疲れではありませんか? 水でもお飲みになりますか」
「ん? ああ、サンキュ。……そんな気を使わなくていいぜ、爺さん。俺は別に何ともねぇよ。あいつらには恩なんてこれっぽっちもないしな」
「左様ですか」
水筒を受け取ったリタは、強がるように笑ってから、ふとセバスチャンを見上げた。
「爺さん、娘とかいんの? 執事なんてやってるくらいだから、さぞかしお堅いんだろうけど。……俺みたいにグレないよう、しっかり育てた方がいいぜ」
冗談めかして笑うリタに対し、セバスチャンはわずかに目を伏せ、穏やかな声で答えた。
「……ええ。かつては、おりました。貴女より5つほど上の娘が」
「えっ……あー、すまん……」
「十年前の戦争で、妻と共に亡くしました。私が、守ってやれなかったのです」
セバスチャンの静かな告白に、リタのバツが悪そうに頭をかいた。
彼女自身も十年前の戦争で両親を失っている。不用意なことを聞いてしまったと、リタは視線を逸らした。
「あー、俺、余計なことを聞いたな……」
「いいえ、お気になさらず」
セバスチャンは優しく微笑み、リタの短い髪をそっと撫でた。
「親というものは、勝手な生き物です。どんな風に育っても……例え口が悪くとも、スリの真似事をして生き延びていたとしても。生きて、元気でいてくれるのが、何よりの親孝行なのですよ」
その温かい言葉と手のひらの感触に、リタは大きく目を見張り、やがてギュッと唇を噛み締めてうつむいた。彼女の小さな肩が、わずかに震えていた。
過酷な砂漠の遺跡の中で、奇妙な一行に訪れた穏やかで静かな時間。
しかし、その静寂は唐突に引き裂かれた。
「——ぎゃあああああああっ!!」
突如として、遺跡のさらに奥深くから、耳を劈くような人間の悲鳴が響き渡ったのだ。
「……ッ!」
「今の声は!」
一瞬で空気が張り詰める。
四人はすぐさま立ち上がり、互いに頷き合うと、悲鳴の元へと急いで駆け出した。




