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天より落ちし君へ 第一部 宿屋の四季  作者: puni0023


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8/13

第8話 おかみさん

宿屋に着いた頃には、外はすっかり暗くなっていた。

大きな木造の建物は古かったが、窓から漏れる灯りは温かかった。

「さあ、お入り」

おかみさんは戸を開けた。

暖かな空気が流れ出てきた。

羽琉は思わず目を細めた。

人間界に来てから初めて感じる、本当の意味での温もりだった。

「ほらほら。そんなところで突っ立ってないで」

おかみさんに背中を押される。

羽琉と架は顔を見合わせながら中へ入った。

宿の中は賑やかだった。

食事をしている客。

談笑している村人。

天界では見たことのない光景。

羽琉はきょろきょろと辺りを見回した。

「あんた怪我してるんだろう、シャワーを浴びてきな」

ふと服に目をやると、血の跡が残っていた。

「……いいんですか?」

「いいに決まってるだろ、服はあるのかい?」

「……ないです」

「私の若いころのお古でいいかい?」

「いいんですか?」

「もう着れないからね、もらってやってくれよ」

おかみさんが愉快に笑った。

温かい笑顔に、羽琉もつられて安心した。

「それで」

おかみさんが腕を組んだ。

「お金は?」

羽琉と架が固まった。

沈黙。

「……」

「……」

おかみさんが察した。

「ないんだね?」

羽琉は素直に頷いた。

「ないです」

「即答かい」

おかみさんが頭を抱えた。

「でも!」

羽琉は慌てて立ち上がった。

「働きます!」

「は?」

「お金はないけど働けます!」

「何ができるんだい?」

「やろうと思えば何でもやります」

架は迷いなく答えた。

「頼もしいじゃないか」

おかみさんが感心したように頷いた。

その隣で羽琉は黙っていた。

「……姫様」

架が静かに口を開いた。

羽琉は考えた。

考えた。

考えた。

「……」

「……」

「姫様」

架が助け舟を出した。

「姫様は料理はできません」

「うん」

「掃除もあまり得意ではありません」

「うん」

「洗濯も怪しいです」

「うん?」

「ですが歌と楽器は上手です」

おかみさんが目を輝かせた。

おかみさんの視線が、棚の横に飾ってあったハープへ向く。

「じゃあこれでも弾いてみるかい?」

羽琉はハープを受け取った。

「……うん、これなら自信ある」

羽琉は弦に指を置いた。

静かに音が鳴った。

その瞬間。

宿の中の話し声が止まった。

誰も頼んでいないのに。

自然と。

音に耳を傾けていた。

羽琉の指が弦をなぞる。

透き通るような音だった。

どこか懐かしくて。

どこか切なくて。

冬の空気によく似た音。

そして。

羽琉は歌った。

言葉の意味は誰にも分からない。

天界の古い歌だった。

それでも。

不思議と伝わる。

優しさも。

寂しさも。

愛しさも。

全部。

歌い終わった時。

誰もすぐには拍手できなかった。

静寂だけが残る。

羽琉は少し不安になった。

もしかして失敗しただろうか。

そう思った瞬間。

一人が拍手をした。

それをきっかけに。

次々と拍手が広がる。

「嬢ちゃんすげえなあ!」

「きれいだ」

止まらぬ拍手。

「えへへ」

恥ずかしそうに笑う羽琉。

「これはすごいねえ、看板娘にでもなってもらおうか」

おかみさんは嬉しそうに言った。

羽琉の顔が明るくなった。

「いいんですか!?」

「ただし」

おかみさんは指を立てた。

「ちゃんと働くこと」

「働きます!」

「私の言うことを聞くこと」

「聞きます!」

「元気だねぇ」

おかみさんは笑った。

「二階の空き部屋を使いな」

羽琉は目を丸くした。

部屋。

帰る場所。

もう失ったと思っていたもの。

「……ありがとうございます」

小さく呟いた。

おかみさんは気づかないふりをした。

「ほら行った行った」

追い払うように手を振った。

その夜。

二階の小さな部屋。

羽琉は窓から村を見下ろしていた。

灯りが見える。

人の声が聞こえる。

暖かい匂いがする。

「架」

「はい」

「ここ好きかも」

架は少しだけ微笑んだ。

「そうですね」

まだ一日も経っていない。


それでも。

追放された王女と、その護衛は。

ようやく帰る場所を見つけたのだった。

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