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天より落ちし君へ 第一部 宿屋の四季  作者: puni0023


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第4話 空腹

暖炉の火がぱちりと音を立てる。橙色の光が壁を照らし、外で唸る風の音を遠ざけていた。

羽琉は泣きつかれたのか、毛布に包まったまま炎をぼんやりと見つめていた。不思議だった。火など何度も見たことがある。けれどこんなにも温かいと思ったことはなかった。天界に寒さはない。だから温もりのありがたさも知らなかった。


「架、ここが痛い、ぐーってなって苦しい。」


羽琉はお腹をさする。傷はない。

架は少し考え、鍋に火を入れた。


「姫様。」


背後から声がした。振り返ると架が木の器を差し出している。白い湯気が立っていた。


「何?」


「スープです。」


「すーぷ。」


聞き慣れない言葉のように羽琉は繰り返した。架がわずかに眉を寄せた。


「食べ物です。」


「知ってるよ。」


「そうですか。」


「知らないと思った?」


「思いました。」


「失礼。」


「事実ですので。」


羽琉は器を受け取った。じんわりとした熱が手に伝わる。熱い。けれど離したくなかった。


恐る恐る口をつける。野菜と塩だけの簡単なスープだった。けれど。


「……おいしい。」


思わず呟いた。架が小さく目を見開く。


「そうですか。」


「うん。」


羽琉はもう一口飲んだ。また一口。気づけば夢中になっていた。空っぽになった器を見て、自分でも驚く。


「まだありますよ。」


「本当?」


「ええ。」


「もっとほしい。」


「はいはい。」


架が鍋を持ってくる。その様子を見て羽琉は少し笑った。

二杯目を飲み終えた時だった。

気づいたらまた泣いていた。


「姫様?」


架の声が遠くに聞こえた。


「架…。」


羽琉は言った。


「お願い、一緒にいて。」


架はさっきと違い、じっと羽琉の目を見て言った。


「私は姫様の護衛ですので、ずっと一緒にいます。」


羽琉自身にも、わからなかった。スープが美味しかったから?温かかったから?それとも今日一日、全部が、今になってやっと追いついてきたから?


天界にいた頃は、こんな風に何度も泣いたことがなかった。感情はいつも整っていた。次期女王として、乱れてはいけなかった。


でも今は——何かが、ほどけていた。


張り詰めていた何かが、ゆっくりと、ほどけていった。


架はただ隣にいた。何も聞かなかった。ただそこにいた。


それだけで、よかった。


しばらくして、小屋は静かになった。吹雪の音だけが聞こえる。暖炉の火も小さくなり始めていた。


羽琉は目を拭って、毛布にくるまったまま窓の外を見ていた。白い雪。どこまでも続く闇。そして帰る場所のない世界。


「架。」


「はい。」


「私、怖い。」


初めて口にした言葉だった。裁判の時も。翼を失った時も。空から落とされた時も。言わなかった言葉。


架は薪をくべる手を止めた。


「何がですか。」


羽琉は少し考える。何が怖いのか自分でもよく分からなかった。寒さか。孤独か。未来か。それとも。


「死ぬのが。」


言った瞬間、自分で驚いた。天使だった頃、一度も考えたことのない言葉だった。

長い沈黙が落ちる。


「そうですね。」


架は静かに答えた。


「人間は死にます。」


羽琉は唇を尖らせた。


「慰める気ある?」


「ありません。」


「ひどい。」


「ですが。」


架は炎を見つめたまま言った。


「私も怖いですよ。」


羽琉は目を瞬いた。


「そうなの?」


「ええ。」


「何が?」


今度は架が少しだけ考えた。


「姫様を守れなくなることが。」


幼い頃から、ずっとそうだった。

転べば手を差し伸べ。

泣けば隣にいて。

怒られれば、一緒に頭を下げた。

いつだって、当たり前のように隣にいた。


羽琉は視線を落とした。膝の上に小さな白い羽が乗っている。翼を失った時に残った一枚。それを指先でそっと撫でた。


「架。」


「はい。」


「ありがとう。」


その言葉に、架は少しだけ困ったような顔をした。

「どうしたの?」


「慣れていませんので。」


「何が?」


「姫様がしおらしいのが。」


羽琉は毛布を投げた。


「失礼!」


避ける架。毛布が顔に当たる。


吹雪の夜だった。全てを失った夜だった。けれど。暖炉の火があった。スープがあった。そして隣には架がいた。


だからその夜だけは、少しだけ。本当に少しだけ。


羽琉は目を閉じた。


暖炉の温もりと、隣にいる架の気配を感じながら。


今だけは。


本当に少しだけ。


人間を助けたことを後悔しなくてよかったと、そう思った。

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