第3話 山小屋
どれくらい歩いただろう。
雪はやまなかった。羽琉の裸足はとうに感覚を失っていて、それでも足だけは前に出た。隣を歩く架が何度か羽琉の歩調を確かめるように、ちらりと視線を落とすのがわかった。何も言わなかったけれど。
木々の間に、小さな灯りが見えたのは、それからしばらくしてからだった。
「……姫様。」
架が先に気づいて、羽琉の歩みを手で制した。古い山小屋だった。人の気配はない。
窓から明かりが漏れているのは、誰かが置いていったランプの残り火らしかった。
中は狭かった。古い毛布が一枚、木の椅子が二つ、小さな暖炉。それだけだった。それだけで、十分だった。
架が暖炉に火を入れる間、羽琉は椅子に腰を下ろした。外套をまだ羽織ったまま、じっと炎を見ていた。背中の傷がじくじくと疼いていたが、それよりも、ようやく体が止まったことの方が不思議だった。
「手当てをさせてください。」
架が静かに言った。羽琉が答える前に、隣に膝をついていた。背中の、翼の根元。血はもう止まっていたが、架の顔は変わらず、どこか硬かった。
「……痛いですか?」
架が聞いた。
羽琉は少し考えた。
「痛いけど。」
正直に答えた。
「平気だよ。」
架を心配させないように、軽く笑ってみせた。
架は何も言わなかった。
ただ丁寧に、傷の周りを拭いていった。その手つきが、ひどく優しくて——羽琉は炎から目を離せなくなった。
しばらく、二人とも黙っていた。暖炉の火が、ぱちぱちと鳴った。
「架。」
「はい。」
「怒ってる?」
架の手が、一瞬だけ止まった。
「……何に対してですか。」
「わたしが追放されたこと。」
また、少しの沈黙。
「怒っていません。」
「じゃあ。」
羽琉は続けた。
「悲しい?」
今度の沈黙は、少し長かった。
「……処置が終わります。」
答えなかった。
羽琉は小さく笑った。答えなかったことが、答えだった。言葉より先に行動が来る人は、言葉に詰まった時だけ、黙る。
「ごめんね。」
羽琉は言った。
助けたことを後悔しているわけでもない。それでも、その言葉しか出てこなかった。
架はしばらく黙ったあと、静かに言った。
「俺が来たかったから来ました。」
それだけだった。
暖炉の火が、二人を照らしていた。外では雪が降り続けていた。羽琉は外套をきつく握った。
涙をこらえていたはずだった。
けれど一度溢れてしまえば、もう止まらなかった。
ぽたり、と床に雫が落ちる。
「……ごめん。」
自分でも何に謝っているのかわからなかった。
「架が来てくれて……うれしかったの。」
声が震える。
「安心したの。」
また涙が落ちる。
「でも……。」
言葉が続かない。
胸が苦しい。
「わたしのせいで。」
羽琉は外套を握りしめた。
「架まで巻き込むの、嫌なの……。」
涙で視界が滲む。
どうしても。
それでも。
「……帰ってって言わなきゃいけないのに。」
声が途切れる。
「わかってるのに……。」
羽琉は唇を噛んだ。
「一緒にいてほしい。」
架はしばらく何も言わなかった。
言葉が見つからなかった。
慰める言葉も。
励ます言葉も。
今の羽琉には、どれも違う気がした。
だから。
そっと羽琉を抱きしめた。
羽琉は抵抗しなかった。
ただ外套を握りしめたまま、声を殺して泣いた。




