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天より落ちし君へ 第一部 宿屋の四季  作者: puni0023


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15/18

第15話 川

夏になった。


川辺では子どもたちが遊んでいる。


宿の買い出し帰り。


羽琉は架と並んで道を歩いていた。


「今日は迷わなかったね。」


「当然です。」


羽琉は胸を張る。


「もう迷子じゃないもん。」


「昨日迷いました。」


「昨日は迷子じゃない。」


「迷子です。」


いつもの会話だった。


その時。


悲鳴が聞こえた。


「――っ!」


羽琉が振り返る。


川だった。


子どもたちが集まっている。


誰かが泣いている。


そして。


川の中に小さな影が見えた。


流れは速い。


子どもは必死にもがいていた。


「たすけて!」


誰かが叫ぶ。


大人たちも駆け寄ってくる。


けれど間に合わない。


そう思った。


次の瞬間。


羽琉は走っていた。


「羽琉!!」


架の声が聞こえた。


聞こえたけれど。


止まれなかった。


気付けば川へ飛び込んでいた


冷たい水だった。


流れは思ったより速い。


羽琉は必死に手を伸ばす。


「つかまって!」


泣きながら流される子どもの腕を掴む。


小さかった。


軽かった。


だからこそ流されてしまう。


「大丈夫。」


自分に言い聞かせるように呟く。


「大丈夫だから。」


けれど。


次の瞬間。


体が大きく揺れた。


川の流れが羽琉ごと飲み込む。


息が苦しい。


水が冷たい。


視界が白く霞む。


その時だった。


誰かが羽琉の腕を掴んだ。


強い力だった。


知っている。


この手を。


「羽琉!!」


珍しく感情の滲んだ声だった。


架だった。


川へ飛び込んできていた。


そのまま子どもと羽琉を岸へ引き上げる。


周囲から歓声が上がった。


子どもの母親が泣きながら抱きしめる。


村人たちも安堵していた。


けれど。


羽琉は気付いてしまった。


架が何も言わない。


一言も。


濡れた髪をかき上げながら立っている。


ただそれだけ。


「架。」


呼ぶ。


返事はない。


「架?」


ようやく視線が向く。


「宿へ戻ります。」


静かな声だった。


それだけだった。


そのまま歩き出してしまう。


羽琉は困った顔で後を追った。


その日の夕食。


宿は妙に静かだった。


「架。」


「……」


「架。」


「……」


「架。」


「食べてください」


返事はした。


だが明らかに様子がおかしい。


ルカが小声で零に話しかける。


「怒ってる?」


「怒ってるな。」


「めちゃくちゃ静かだけど。」


「めちゃくちゃ怒ってる。」


ルカが震えた。


「怖っ!!」


おかみさんも何も言わなかった。


長い付き合いではない。


それでも分かる。


今の架は怒鳴るより危険だった。





夜。


羽琉は部屋の扉を叩いた。


「架。」


返事はない。


それでも入る。


架は窓際に座っていた。


月明かりだけが差し込んでいる。


「怒ってる?」


沈黙。


返事はない。


長い沈黙のあと。



「怒っていません。」


一番怒っている時の返事だった。


羽琉は肩を落とす。


「ごめんなさい」


架は答えない。


「でも…」


羽琉は続けた。


「あのままだったら助からなかった。」


「そうでしょうね。」


静かな声だった。


だから余計に怖い。


「だから飛び込んだの。」


「知っています。」


「じゃあ…」


「だからです。」


羽琉が言葉を止める。


架は俯いたまま続けた。


「姫様は、」


久しぶりだった。


羽琉ではなく。


姫様。


「いつもそうです。」


小さな声だった。


「助けたいと思ったら」


「自分がどうなるか考えない。」


羽琉は何も言えなかった。


「追放された時も、」


「……」


「あの日も、」


架の拳が僅かに震える。


「俺は」


そこで初めて顔を上げた。


青い瞳が揺れていた。


怒りではなかった。


恐怖だった。


「また失うかと思いました。」


羽琉は息を呑む。


初めて知った。


架が怒っていた理由を。


自分が飛び込んだからではない。


怖かったのだ。


自分を失うのが。


羽琉はゆっくり近付いた。


そして。


そっと架の手を握る。


自分では当たり前だった。


助けられるなら助ける。


そうするしかないと思っていた。


けれど。


残される側の気持ちを考えたことはなかった。


「ごめんなさい。」


今度は本心だった。


架は目を閉じた。


長い沈黙。


やがて小さく息を吐く。


「次からは」


「うん。」


「せめて俺を呼んでください。」


羽琉は少し笑った。


「うん。」


「約束ですよ。」


「約束。」


架はようやく肩の力を抜いた。


窓の外では川の音が聞こえていた。


夏の夜は静かだった。

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