森の工房
エリシアとミリィが小屋へ近づくと、
開け放たれた入口の奥で動いていた人影がふとこちらを向いた。
細長い輪郭。
静かな孤独をまとったような佇まい。
森の空気に溶け込むような、落ち着いた気配。
エルフの男性だった。
彼は驚くでもなく、
むしろ嬉しそうに微笑んで外へ出てきた。
「人と会うのは久しぶりだなあ。
よくここがわかりましたね」
エリシアは軽く会釈する。
「こんにちは。お邪魔します。
泉からパイプをたどってきました。このパイプはいったい……?」
エルフは穏やかに答えた。
「水道ですよ。
魔導具のポンプで汲み上げているんです」
エリシアはふと、小屋の横に積まれた鉱石に目を留めた。
灰色に光る塊――どこか見覚えのある質感。
エルフはその視線に気づき、説明した。
「ああ、あれはフェルメタルの鉱石ですよ。
ここから少し行ったところで採石できる場所があるんです」
エリシアは目を細める。
「魔導具職人の方ですか」
エルフは目を見開き、嬉しそうに頷いた。
「よくお分かりで。
よかったら工房の中を見ていきませんか」
エリシアは少し戸惑いながら言う。
「良いのですか。仕事のお邪魔になるのでは」
エルフは手を振って笑った。
「ここに移り住んでから、初めての来客ですからね。
歓迎しますよ。さっ、どうぞどうぞ」
エリシアはミリィの顔を見る。
ミリィはもう完全に“わくわく顔”になっていた。
「行こ行こっ!」
エリシアは小さく笑い、エルフに向き直る。
「では、お言葉に甘えて」
そう言って、エリシアとミリィはエルフに案内され、
森の奥の工房へと足を踏み入れた。
外は少し肌寒かったのに、
工房の中へ足を踏み入れた瞬間、
ふわりと心地よい温度に包まれた。
エリシアは思わずつぶやく。
「……ちょうどいい温度だ」
エルフは壁に取り付けられた横長の魔導具を指さした。
「あの魔導具で室温を調節しているのですよ。
暖かい風を出したり、暑いときには冷たい風で室内を冷やすこともできます」
魔導具の吹き出し口からは、
柔らかい暖気がゆっくりと流れ出ていた。
ミリィはというと――
床の上で動いている円盤状の魔導具に釘付けになっていた。
「おお、なんだこれっ」
円盤はゆっくりと回転しながら床を移動し、
落ち葉や埃を吸い込んでいく。
エルフは微笑んで説明した。
「あっ、それは床を掃除する魔導具です。
ほかにも、服をきれいにしたり、食べ物を保存する魔導具もありますよ」
そう言いながら、
テーブルの上に置かれた小さな魔導具にティーカップをセットする。
「これは、カップを下に置けば紅茶が注がれる魔導具です」
魔導具の口から細い湯気とともに紅茶が注がれた。
香りがふわりと広がる。
エルフはそれをテーブルに並べ、
エリシアとミリィへ向けて言った。
「どうぞ、おかけになってください」
エリシアは礼を言い、椅子に腰を下ろす。
ミリィも嬉しそうに座り、
砂糖壺を手に取ると――
どっさり入れた。
そして、スプーンでぐるぐると勢いよくかき回す。
エリシアは紅茶を一口飲みながら、工房の中を見回した。
棚には用途の分からない魔導具がずらりと並び、
作業机には製作途中の魔導具が部品とともに広げられている。
どれも見たことのない形状で、
魔導具職人の世界がここに凝縮されているようだった。
「それにしても……なぜ、こんなところで工房をやっておられるのですか」
エリシアが尋ねると、
エルフは穏やかに微笑んで答えた。
「フェルメタルですよ。
ここはすぐ近くに、純度の高いフェルメタルの鉱石が採れる場所があるんです」
その時、ミリィがテーブルの上に置かれた容器をじーっと見つめていた。
どう見ても“クッキーが入ってそうな容器”だ。
エルフは慌ててふたを開けた。
「あっ、どうぞお嬢ちゃん」
ミリィは満面の笑みでクッキーを頬張る。
エルフは続けた。
「私はここに来る前は、西の村で工房を構えていたんです。
でもこれから作る魔導具に、高純度のフェルメタルが必要になりましてね。
それで、この森に移り住んだわけです」
エリシアはよく分からず、首をかしげる。
「高純度のフェルメタル……?」
エルフは察したように説明を続けた。
「魔導具は、結晶化させたフェルメタルの板に魔術式を刻み込むのですが、
フェルメタルが高純度であればあるほど、魔術式の“情報量”を増やせるんですよ」
エリシアはようやく理解が追いついてきた。
「つまり……複雑な魔術式を刻むには、高純度が必要ということですか」
「その通りです」
ミリィは甘い紅茶とクッキーでごきげん。
スプーンで紅茶をぐるぐるかき回しながら、幸せそうに頬をゆるませている。
エルフは楽しそうに話を続けた。
「ここで採れるフェルメタルは、精製するとさらに純度が上がるんです。
それが楽しくて、今はフェルメタル精製の研究ばかりしている状態でして……」
エリシアはふと思い出し、尋ねた。
「さきほど、西の村で工房を構えていたとおっしゃっていましたが……
ボウマナ領地にある村ですか」
エルフは嬉しそうに頷いた。
「そうですよ。よくご存じで」
エリシアは紅茶を口に運びながら、ふと思い出したように言った。
「二十日ほど前に立ち寄りました。
生活魔導具の工房と直売店が立ち並び、
他所の街の商人が買い付けに来てにぎわっていました」
エルフは目を見開き、嬉しそうに身を乗り出した。
「おお、そうでしたか。
私が十年前に村を出た時には、若い人たちが
“これからは生活魔導具の時代だ”と言っていましたからね」
エリシアは興味深そうに頷く。
「ほう、生活魔導具の時代……」
エルフは紅茶を置き、
どこか懐かしむようにゆっくり語り始めた。
「私には多くの弟子がいたんですよ。
それこそ、一つの村になるくらいの人数なんですけどね」
エリシアは少し驚いたように眉を上げる。
「村になるほどの……」
エルフは穏やかに頷き、続けた。
「その中の若い弟子たちは、私が趣味で作っていた“生活魔導具”に興味を持ちましてね。
武器ではなく、そちらを発展させていったんです」
ミリィはクッキーをかじりながら「へぇ〜」と小さく反応する。
エルフは楽しそうに笑った。
「彼らの読みは正解だったんですね。
でも、生活魔導具に刻む魔術式は複雑なものが多いんですよ。
複数の属性を刻み込んだりしますからね」
エリシアは理解を深めるように頷く。
「生活魔導具は……武器より複雑なのですか」
「ええ。生活を便利にするには、細かい制御が必要ですからね。
で、私も彼らを手伝いたくて“純度の高いフェルメタル”を探し始めたんです」
エルフは指先で机を軽く叩きながら言った。
「そうして探していたら、ここにたどり着いたわけなんです。
精製の研究をしていたら、いつの間にか住み着いてしまいましたが」
エルフの語りを聞き終えたエリシアは、
ふと胸の奥でひっかかるものを感じていた。
(……このエルフ。工房村の“アレクの父の師匠”ではないのか)
だが、どう聞けばいいのか迷う。
師匠の名前は知らない。
「アレクの父」と言っても伝わらないだろう。
(アレク……アレク・サンクティア。
サンクティアなら、もしかしたら……)
エリシアは静かに口を開いた。
「サンクティアと言う名の弟子は、おりませんでしたか」
唐突な質問に、エルフは一瞬だけ驚いた。
だがすぐに、何かを思い出したように目を細める。
「サンクティア……
ローデン・サンクティアか。
彼は優秀な弟子だった」
エリシアは胸の内で確信する。
(やはり……そうだったんだ)
エルフは懐かしむように微笑んだ。
「よく覚えていますよ。
とても努力家で、真面目な男でしたから」
エリシアは心の中で思う。
(親子ともども……本当に真面目なんだな)
エルフはエリシアを見つめ、問いかけた。
「あなた、ローデンのお知り合いで……?」
エリシアは首を横に振る。
「いえ、私は違います。
ですが――ぜひあなたに会いたいという者がいます」
そう言うと、エリシアは椅子から立ち上がった。
「では、連れてきます」
ミリィもクッキーを口に入れたまま、慌てて立ち上がる。
「みりぃも行く〜」
エリシアは来た道を戻っていく。
ミリィもその後に続いた。
森の小道を踏みしめる二人の足音が、
静かな工房の空気に消えていった。
泉のほとりでは、アレクとソラトが魔術式の実技をしていた。
アレクは剣を構え、魔力を流しながら説明する。
「……という感じで剣に重ねるわけです」
ソラトは頷き、ふと手にしていた杖を前へ出した。
「なるほど。じゃあそれは剣じゃなくて、例えば杖で――」
杖の先端に、水魔術の刃がふっと形成される。
細い杖が、まるで槍のように変化した。
「こうすれば杖を槍のように使えて、魔力消費も少なく済みますね」
アレクはその応用力に感心して目を丸くした。
「さすがソラト殿……」
その時、泉の反対側からエリシアとミリィが姿を現した。
アレクとソラトは手を止め、二人のほうを見る。
「団長殿、どこへ行かれてたのですか」
エリシアは歩きながら短く告げた。
「アレク。親父さんの師匠がいたぞ」
アレクは驚きすぎて言葉が詰まる。
「えっ……どこにですか」
エリシアは森の奥を指さした。
「あそこの森を抜けたところに小屋がある。そこで工房をしていたぞ」
アレクは事情が飲み込めず、口をぱくぱくさせる。
「えっ、あの……工房を……?」
エリシアは肩をすくめた。
「まあ行けばわかる。その魔導具の剣を見せるんだろ。
馬車は私が見ておくから」
「はい、行ってきますっ!」
アレクは勢いよく駆け出した。
ソラトも杖を持ち直しながら言う。
「僕も付いていこう」
二人は森の小道へと消えていく。
エリシアとミリィは馬車の番として泉に残った。
森を抜けると、木々の間にぽつんと小屋が見えた。
アレクは息を呑む。
「本当だ……」
ソラトも頷く。
「小屋がありましたね」
二人が小屋へ近づき、中へ入った瞬間――
「おお、ローデンじゃないか!」
感極まったエルフの声が、小屋の外まで響いた。
アレクは慌てて手を振る。
「いえっ、私はローデンの息子でして……
父の作った魔導具剣を……」
アレクは胸の奥でずっと願っていたことを、
ようやく果たすことができた。
父が作った魔導具の剣を――
父の師匠に見せることが。
森の静けさの中、
その声はいつまでも響いていた。




