報告の朝とラディの旅立ち
朝の支度を終えると、レオナードは行政院へ向かった。
昨日の出来事は、早めに報告しておくべきだと思ったのだ。
行政院長室の扉を開ける前、
中から領主の独り言が聞こえてくる。
「チャナは他の女給とは全然違う……
あいつは本気でワシに惚れとるわ……困ったもんだ……」
異国楼の女給・チャナが里帰りした時に買ってきたという
東の国の置物を眺めながら、
領主はニヤニヤしていた。
(……朝から何してんだよ、おじさん……)
レオナードは軽くため息をつき、勢いよく扉を開けた。
「おじさんっ!」
「うわっ!? ……って、レオナードか!」
領主は驚き、すぐに怒鳴り散らした。
「部屋に入るときはノックしろと言ってるだろうがっ!
お前は何べん言ってもわからんのか、このバカ者っ!」
レオナードは慣れた様子で手を振った。
「ごめんごめん。それより――例の魔物、討伐できたよ」
領主の目が一気に輝く。
「本当か!?
騎士団中隊でも無理だったのに……あの二人だけでかっ!」
「いや、二人じゃないよ……」
レオナードは言いかけて、
ソラトとミリィの存在を“言ってはいけない”ことを思い出す。
「……おっ、俺も一緒に戦ったんだよ」
領主の顔色が変わった。
「そんな見え透いた嘘をつくな、このバカ者がっ!
お前なんかが魔物と戦えるわけないだろうがっ!」
「嘘じゃないよ!
魔物の防護障壁に何度も打ちこんで……これ見てよ!」
レオナードは剣を抜いて見せた。
刃はのこぎりのようにギザギザで、
打ち込みの跡が無数に刻まれている。
領主は目を見開いた。
「な、なんじゃこりゃ……」
レオナードは肩をすくめた。
「そりゃ俺なんかほとんど役に立ってないけど……」
領主は即座に怒鳴り返す。
「当たり前だっ!
ちゃんと戦えないから剣がボロボロになるんだっ!
そんなのワシでも知ってるわっ!」
領主はレオナードのボロボロの剣をしばらく眺め、
ようやく落ち着いたように椅子へ腰を下ろした。
「……まあ、討伐できたのなら、さっそく採掘の再開を始めないとだな」
レオナードは、言いにくそうに口を開く。
「おじさん……討伐はできたんだけど、採掘再開はまだ無理だよ」
領主は眉をひそめた。
「なんでだ。討伐したんだろうが」
レオナードは慎重に言葉を選ぶ。
「新種は討伐したんだけど……
今度はスラッグラッドの巣が発見されたんだよ」
「スラッグラッドの巣だと?
そんなのは初めて聞くぞ」
「だよね。だからまず調査して、巣を潰さないと採掘再開は無理だよ」
領主は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「そんなのは……またあいつらにやらせれば済むことではないか。
なんでその時そうしなかったんだ。ホントお前はバカだわ」
レオナードは肩をすくめる。
「おじさん、ごめんよ……そこまで気が回らなかったよ」
領主は立ち上がり、苛立ったように言った。
「もういいわ!
あいつらまだいるんだろ。ワシが直接言ってやらせる!」
そう言うなり、領主は行政院長室を飛び出した。
レオナードは慌てて後を追う。
(……ああ、また面倒なことになる……)
廊下に響く二人の足音は、
まるで“騒動の予兆”のようだった。
エリシアたちは馬車止め場で出発準備を進めていた。
アレクは馬を馬車につなぎ、
エリシアは荷物の最終チェックをしている。
宿舎の扉が開き、ソラトとミリィが出てきた。
「忘れ物はなかったか」
エリシアが声をかけると、ソラトは笑顔で頷いた。
「うん、大丈夫だよ」
「ミリィの部屋も問題なし」
「では出発するか。アレク、馬のほうは」
「準備整いました」
その時――
行政院の方から、領主がずかずかと歩いてくる。
その後ろには、気まずそうなレオナード。
「やあ、もう出発するのかね」
エリシアは冷ややかな目で領主を見た。
その視線に、領主はびくっと肩を震わせる。
「ええ。私たちは先を急いでいますので」
だが領主は、エリシアの言葉など耳に入っていない。
「イーラ島の魔物の巣を潰しに行ってくれんか」
エリシアは黙ったまま領主を見つめた。
その無言の圧に、領主は蛇に睨まれた蛙のように固まる。
「やっ、やってくれたら……飯を食いに連れていってやるぞ……
それに、また上等酒場も連れていってやる。どうだ、悪くはないだろ」
エリシアは心底呆れた。
(……なぜそれで私たちが動くと思うのだ)
アレクも同じことを思った。
(あんなところに連れていかれるくらいなら、絶対に引き受けない)
エリシアは淡々と言う。
「巣と言っても魔物はスラッグラッド。
ここの騎士団でも十分に討伐できます」
「そ、それは本当か」
「ええ。巣を潰すには調査も必要ですが、間違いなく潰せます」
エリシアはアレクに向き直った。
「アレク、では出発しよう」
「はい」
馬車がゆっくりと動き出す。
領主は離れていく馬車に向かって、最後の質問を投げた。
「その調査は……どのくらいかかるんだ」
エリシアは振り返らずに答えた。
「なに、そんなにかかりません。
10年もあれば終わりますよ」
領主はその場で固まった。
「じゅっ、十年……?
わ、わしはそんなに待てんぞ……」
領主はその場で崩れ落ちそうなほど絶望していた。
その後ろで、レオナードが馬車に向かって深く頭を下げ、
そして胸を張って敬礼する。
エリシアはちらりと視線を向けたが、何も言わなかった。
馬車は宿舎の門を出て、大通りへと進む。
御者台のアレクが、手綱を握りながらエリシアに話しかけた。
「団長殿は、ずいぶん領主に優しい対応でしたね。
もっと何か言ってやるのかと思ってましたけど」
エリシアは前を見たまま答える。
「私が何か言えば、今度はレオナードに当たり散らすだろう。
あの領主は、そういう人間だ」
アレクは納得したように頷いた。
「それもそうですね……
レオナード団長の心配までしての発言だったのですね」
(さすがエリシア団長だ)
アレクは心の中でそう思った。
エリシアは横目でアレクを見る。
(最後までレオナードを“団長”と呼び続けるあたり……
やはり真面目な男だな)
馬車はラディの城壁門を抜け、
北へ向かう街道へと入っていく。
潮風の匂いが薄れ、
代わりに森の香りが強くなっていく。
そして誰も、もう振り返らなかった。
ラディの街は、
もう遠ざかっていた。




