正しさを言えない街
海沿いの道を、四人を乗せた馬車は進んでいく。
潮風が心地よく、遠くには白い波がきらめいていた。
やがて――
前方に、ラディの城壁が見えてきた。
しかしその手前には、
多くの馬車と人が長い列を作っていた。
アレクは馬車を最後尾に並べながら言う。
「……えらく混んでますね」
エリシアは列を眺めながらつぶやく。
「人の行き来が多い街なのか?」
アレクは苦笑しながら答える。
「東の国との貿易港ですから、それもありますけど……
入域検査がすごく遅いみたいです」
ソラトとミリィは、
「えぇ……」という顔で列の長さを見つめた。
長い待ち時間の末、ようやく順番が来た。
アレクは通行証を門番に渡す。
門番はそれを確認すると、
なぜか別の書類を差し出してきた。
「失礼します。こちらに必要事項のご記入をお願いします」
アレクは一瞬固まる。
「……いま通行証を渡しましたよね」
「はい」
「入域許可の書類を省略するための行政院の通行証ですよね」
「はい、そうなんですが……
それでも書類を必ず書かせろと、領主様のご命令でして」
門番は申し訳なさそうに眉を下げた。
どうやら毎回この説明をしているらしい。
アレクはため息をつき、
黙って書類に記入した。
記入を終えて渡すと、
門番はさらに追い打ちをかけてきた。
「ありがとうございます。
それでは手数料五百ラル、魔石なら赤一個です」
アレクは思わず声を上げる。
「行政院の通行証があるのに手数料取るんですか」
門番はさらに申し訳なさそうに頭を下げる。
「なにぶん領主様の指示でして……」
アレクは納得いかない顔をしつつも、
赤の魔石を一個渡した。
門番は深く頭を下げる。
「ご協力、感謝いたします」
馬車はゆっくりと城壁の中へ入っていく。
アレクは手綱を握りながら、
心の中でつぶやいた。
(……書類まで書かされて、手数料欲しいのはこっちだよ)
街に入ると、
ソラトはアレクの隣に座りながら外を眺めた。
「なんか……ゴチャゴチャした感じ」
アレクも頷く。
「ボウマナとは対照的ですね」
道には露店が並び、
人々が大声で呼び込みをしている。
荷車が行き交い、商人たちが喧騒を作り出していた。
幌の中から外を見ていたエリシアが言う。
「アレク、そこの換金所で止めてくれ。
魔石をラディの通貨に変えてくる」
「了解です」
アレクは換金所の前で馬車を停めた。
エリシアは魔石の詰まった袋を両手に持ち、
換金所へ入っていく。
馬車で待つ三人。
ソラトはふと気づいたように言う。
「ここも通貨が違うんですね」
アレクは説明する。
「そうなんです。
ほとんどの主要都市は、国が一つになる前の自国通貨のままなんです。
全国的に共通して使えるのは魔石なんですが……
持ち運びには向いてませんし」
ソラトは思い出す。
「グランツでガルドさんも言ってました。
通貨を共通してくれたら商売がやりやすくなるって。
何とかならないんですかね」
その時、エリシアが戻ってきた。
馬車に乗り込むと同時に、
馬車はゆっくりと動き出す。
エリシアは袋を置きながら言った。
「大量にあった赤い魔石を換金しただけなのに……
二十八万ラルになったぞ」
ソラトは目を丸くする。
「それって……どれくらいの価値なんですか?」
エリシアは淡々と答える。
「ひと月は暮らせる額だそうだ」
ソラトもアレクも驚愕した。
「ひと月……!」
エリシアは少し笑って言う。
「今日の夕食は豪勢にいこう」
その言葉に、
ミリィが勢いよく反応した。
「おおっ、にくにくっ!」
ソラトもつられて笑う。
エリシアはアレクに指示を出す。
「アレク、ひとまず行政院に行くぞ。
宿舎の手続きをしに行く」
「了解です」
馬車は雑然としたラディの街を抜け、
行政院へ向かって進んでいった。
馬車が行政院に到着すると、
エリシアは三人を馬車に残し、一人で建物へ向かった。
中に入ると――
街並みと同じく、行政院の中も雑然としていた。
書類の山、動き回る職員、
どこか落ち着きのない空気。
エリシアは受付の一人に近づき、
胸元のペンダントを見せる。
「宿舎の部屋を二つ用意してもらいたい」
受付係はペンダントの紋章――
王都と騎士団長の刻印を見て、一瞬だけ目を見開いた。
「王都騎士団長様ですか。
では二部屋ご用意します」
そう言ったあと、受付係は言いにくそうに続けた。
「……料金の方は、二部屋で一万ラルになります」
エリシアは思わず眉を上げる。
「えっ、金を取るのか。しかも高いぞ」
受付係は、
“また言われた”という顔で恐縮しながら答える。
「すみません……なにぶん領主様の指示でして……
でも、この料金で三日間ご利用可能ですので、
宿屋よりは安く……」
(いや、一日しか泊まらなかったら宿屋と変わらないだろう)
エリシアは心の中でつぶやきながらも、
渋々お金を払った。
受付係も申し訳なさそうに受け取る。
その時――
行政院の奥から怒鳴り声が響いた。
「だれだっ、これを勝手に動かした奴はっ!」
老人の男性が、職員を怒鳴りつけている。
職員は慌てて頭を下げる。
「す、すみません、ちょっと邪魔だったもので……」
老人はさらに怒鳴る。
「何が邪魔だ!
ワシがお前たちが仕事をしやすいようにしてやってるんだ!
お前の仕事の仕方が悪いから邪魔だと感じるんだ、バカ者!」
「すみません、すぐ戻します!」
職員は慌てて棚を元の位置へ戻す。
エリシアはその様子を見て、
受付係に小声で尋ねた。
「……なんだ、あれは」
受付係は恥ずかしそうに答える。
「はい……領主様です」
領主はゴミ箱に手を突っ込み、
くしゃくしゃになった紙を取り出した。
「誰だ、これを捨てたのは」
ゴミ箱の横の机で作業していた女性職員が、
びくっと肩を震わせる。
「……はい……私です」
領主は紙の裏側をひらひらと見せつける。
「裏側をメモ用紙にしないともったいないだろう。
なんで捨てたんだ」
職員は震える声で答える。
「……済んだ書類は破棄しないと、
現行の書類に混ざるといけませんので……」
その瞬間、領主の顔色が変わった。
「そんなことはちゃんと管理すればいいだけだろっ!
お前は自分の金じゃないと思って、
簡単に捨ててるんだよっ!」
職員は涙目になる。
「いえっ、そんなことはありません……
私は仕事のことを考えて……」
領主はさらに怒鳴りつけた。
「お前はそんな余計なこと考えないで、
言われたことだけやってたらいいんだよっ!
バカ者が!」
職員はついに泣き出してしまう。
エリシアと受付係は、
思わず顔を見合わせた。
エリシアは低くつぶやく。
「……これはひどいな。いつもああなのか」
受付係は恥ずかしそうに、しかし諦めたように答える。
「はい……
だからみんな、領主様がおかしなことを言いだしても、
黙ってその通りにするようにしてるのです」
エリシアは納得した。
(だから街全体が雑然としているのか……
誰も“正しいやり方”を言えないのだ)
領主の怒号がまだ響いている。
「それから、この交易船と漁船の港を分ける提案は誰だ」
若い男性職員が手を上げる。
「はい、私です」
「何でこうしようと思ったんだ」
「はい、港の職員が一緒だと作業がやりにくいというもので」
領主は鼻で笑い、怒鳴り返す。
「お前の考えは浅いんだよ!
港を分けたら長時間使わない桟橋が増えて、もったいないだろうが!
だから一つにしてあるんだよ!」
職員は食い下がる。
「でも現場では作業効率が悪くなると……」
領主はさらに声を荒げた。
「バカかお前は!
現場の者は自分が楽をしたいから言ってるんだよ!
やつらは怠け者なんだっ!
そんなことも分からんのか!」
職員は拳を握りしめ、
怒りをこらえているのが見て取れた。
領主はさらに追い打ちをかける。
「ところでお前はどこの家柄だ。商人か、騎士か」
「……私は農家の出です」
領主は露骨に見下す表情を浮かべた。
「農家の出の者が、港をどうすればいいかなんて
分かるはずがないだろう。
まあお前は若僧だから、いい恰好をしたかったんだろうが……
家柄が農家では話にならんわ」
職員は怒りを押し殺しながら言う。
「街をよくするのに……家柄が関係あるんですか」
領主は当然のように言い放つ。
「当たり前だろうが!
人の能力は家柄で決まるんだよ!
勇者や賢者を見ろ!
あの能力は血筋でしか出ないだろ!
統治を考える能力も一緒なんだよ、このバカ者めっ!」
職員は唇を噛みしめ、
何も言わずにその場を離れた。
その時、受付係が控えめに声をかけた。
「あのう、団長様」
エリシアは向き直る。
受付係は書類を差し出した。
「こちらにご記入お願いします」
宿泊者の詳細を記入する書類だった。
誰が泊まるのか、細かく記入しなければならない。
エリシアは書類を見た瞬間、
表情を変えずに心の中で判断した。
(……これは絶対に、ソラトとミリィのことは知られてはいけない)
ラディの領主の価値観――
“家柄で能力が決まる”
“勇者や賢者は血筋の産物”
そんな男に、
勇者と賢者の存在を知られるわけにはいかなかった。
エリシアは静かにペンを取り、
ソラトとミリィをどう書くか考えた。




