人面犬との遭遇
灯光の魔術が、夜の山道を白く照らしていた。
四人は足元を確かめながら、静かに山を登っていく。
しばらく進むと、前方の闇の中に揺れる光が見えた。
松明と魔術灯――騎士団が魔物を押さえている明かりだ。
ソラトが指をさす。
「……あそこですね」
エリシアは頷き、周囲の気配を探る。
「そのようだな。魔物の気配も濃くなってきた」
四人が近づくと、後方警戒をしていた騎士が気づいた。
エリシアはその騎士に声をかける。
「私は王都の者だが、ここの責任者はどこにいる」
そう言って、胸元のペンダントを開いて見せる。
そこには王都と騎士団長の紋章が刻まれていた。
騎士は目を見開き、慌てて姿勢を正す。
「おっ……王都の騎士団長が何で……い、いえっ!
責任者のところにご案内します!」
騎士は急ぎ足で前線へ案内した。
前線では、スラッグラッドの群れと騎士団が激しく交戦していた。
その戦いを見守り、指示を出している副団長がいる。
「副団長、王都騎士団長がお越しです!」
副団長は振り返り、エリシアの姿を見た瞬間、驚きの声を漏らした。
「エリシア騎士団長じゃありませんか!」
エリシアは眉を上げる。
「私のことを知っているのか」
副団長は緊張しながらも丁寧に答える。
「はい。王都の式典で一度お見かけしたことがあります。
でも、どうしてエリシア騎士団長がこんなとこへ…」
「まあいろいろあってな」
そのやり取りを見て、ソラトは思う。
(……エリシアさんって、やっぱり有名人なんだ)
エリシアは周囲の戦況を見渡しながら尋ねた。
「話は行政院でだいたい聞いているが……
スラッグラッドばかりで、新種はどこだ」
副団長は険しい表情で指をさす。
「新種は向こうの木の陰に十匹ほどいます」
エリシアたちはその方向を見る。
闇の中――
犬のような影が十数匹、じっとこちらを見ていた。
副団長は、押し寄せるスラッグラッドの群れを睨みつけながら言った。
「増援のようにスラッグラッドがやってきたと思ったら……
奴ら、後方に下がって、まるで様子を見ているようで……」
エリシアは眉を寄せる。
(魔物が……状況を“見る”?
そんな知性を持つ魔物など、聞いたことがない)
だが、目の前の光景は――
その常識を否定していた。
ソラトも同じ違和感を覚えていた。
「まるで……あの人面犬の魔物が、スラッグラッドの群れをけしかけてるみたいですよね」
その言葉を裏付けるように、
スラッグラッドは次々と現れ、疲弊した騎士たちへ飛び掛かっていく。
剣が閃き、魔物が霧散し、
赤い魔石が地面に転がる。
その数は異常だった。
まるで赤い石畑のように散乱している。
(どれだけの数が襲ってきたんだ……)
ソラトは息を呑む。
その時――
戦っている一人の騎士の背後、
草陰がわずかに揺れた。
エリシアの視線がそこへ吸い寄せられる。
闇の中から、
“人の顔をした犬”が、音もなく忍び寄っていた。
その腕がゆっくりと持ち上がる。
異常に長く、鋭い爪が伸びる。
(まずい――!)
エリシアは叫んだ。
「危ないっ!」
振り下ろされる――その瞬間。
影が跳ねた。
ミリィだった。
小さな体が、まるで矢のように飛び込み、
剣で人面犬の爪を受け止める。
金属と爪がぶつかり、火花が散った。
「っ……!」
ミリィはそのまま騎士の腕を掴み、
信じられない跳躍力で元の位置まで跳び戻る。
騎士は無事だったが、完全に力尽きて座り込んだ。
副団長は目を見開き、言葉を失う。
(いまの動き……人間じゃない……
いや、まさか……)
噂を思い出す。
――グランツの勇者は、まだ小さな女の子だと。
副団長は震える声で呟いた。
「……もしかして……勇者……?」
ミリィは剣を構えたまま、胸を張る。
「そのとおり!
勇者ミリィだ!」
その声は、夜の山に響き渡った。
エリシアは副団長の肩越しに戦況を見つめ、短く言い放った。
「副団長、人面犬をなんとかしないと、このままでは兵士全員が力尽きるぞ」
副団長は歯を食いしばりながら答える。
「奴ら、素早いうえに……防護障壁の魔術まで使うのです。
いったいどうすれば……」
その時だった。
草陰から、ぬるりと“それ”が姿を現した。
――人の顔を持つ犬。
その異様な瞳が、まっすぐミリィを捉える。
そして、喉の奥で濁った声を震わせた。
「……オマエ……モッテイル……ミツケタ……」
エリシアは息を呑む。
「魔物が……喋った」
ミリィは肩をすくめ、素直に震えた声を漏らす。
「こわっ」
人面犬は次に、ゆっくりとソラトへ顔を向けた。
「……オマエ……モッテイル……」
ソラトは思わず後ずさる。
「ま、魔物って……喋るんですね……」
エリシアは首を振る。
「喋る魔物など聞いたことがない。こんなのは初めてだ」
その異様な空気を、ミリィの行動が切り裂いた。
「いくっ!」
ミリィが地面を蹴り、人面犬へ一直線に飛び掛かる。
剣が振り下ろされ――
ガンッ!
透明な壁が火花を散らし、ミリィの剣を弾いた。
「防護障壁……!」
だがミリィは怯まない。
弾かれた勢いのまま、すぐに二撃目を叩き込む。
さらに三撃、四撃、五撃――
小さな体からは想像できない速度で、剣が連続して打ち込まれる。
ガンッ! ガンッ! ガガガガガッ!
人面犬は障壁を維持するだけで精一杯になり、まったく動けない。
副団長は目を見開いた。
「な、なんという速さ……!」
ミリィの剣撃はさらに加速する。
もはや一振り一振りが線となり、
透明な防護障壁に蜘蛛の巣状のひびが走り始めた。
「……っ!」
ミリィは息を吸い込み、最後の一撃を叩き込む。
バリンッ!!
防護障壁がガラスのように砕け散り、
そのまま剣は人面犬の首を断ち切った。
魔物は切断面から塵となって崩れ落ち、
地面に“緑色の魔石”がコトリと転がった。
静寂。
誰もが言葉を失ってミリィを見つめる。
ミリィは剣を肩に担ぎ、胸を張って言った。
「ミリィ・パワースラッシュだ!」
得意げに胸を張っていたミリィに、エリシアが静かに声をかけた。
「ミリィ、その剣はもう使えないぞ」
「え?」
ミリィは自分の剣を見る。
――ボロボロだった。
防護障壁へ何十回も叩き込んだせいで、
刃は波打ち、欠け、ひびが走り、
今にも折れそうにぐらついている。
ミリィの目が飛び出しそうになった。
「うわっ、剣がボロボロ……!」
エリシアはその剣を一瞥し、短く考え込む。
「……剣が潰れるほどの打ち込みで、防護障壁は壊れる……」
その言葉に、ソラトがはっと顔を上げた。
「魔力の供給が間に合わなくなったんじゃないですか」
エリシアは振り返る。
「どういうことだ、ソラト」
ソラトは少し考えながら説明した。
「防護障壁って、受けた攻撃の強さで消費する魔力が変わるんです。
攻撃が強すぎると、魔力の供給が追いつかなくなって……
結果的に障壁が崩壊するんだと思います」
エリシアは目を細める。
「つまり、さっきミリィがやった連撃も……そういう理屈か」
「はい。
それに……マッカリナ地下で戦った巨大スラッグラットの障壁に比べたら、
ここの人面犬の障壁はだいぶ弱いです」
エリシアは納得したように頷き、アレクへ向き直った。
「だそうだ。
――アレク、やってみよう」
アレクは剣を握り直し、静かに息を整える。
「全力の一撃ですね」
その横では、ミリィが疲れ切って座り込んでいる兵士のもとへ駆け寄り、
「ちょっと、剣かして!」
と元気よく言って、剣を借りていた。
兵士は呆然としながらも、震える手で剣を差し出す。
「ど、どうぞ……」
ミリィは借りた剣を軽く振り、満足げに頷いた。
「よしっ、これでまた戦える!」
エリシアは周囲の戦況を一瞥し、すぐに判断を下した。
「ソラトは、ここでスラッグラッドを片付けてくれ。
騎士団がもう持ちそうにない」
ソラトは迷いなく頷く。
「はい、ここは任せてください」
杖を構えた瞬間、ソラトの周囲の空気がわずかに震えた。
次の瞬間――杖の先から閃光が放たれる。
バシュッ!
光がスラッグラッドの頭部を貫き、
魔物は霧散して赤い魔石を落とした。
(……やっぱりソラト殿の魔術は規格外だ)
アレクは心の中でそう呟く。
エリシアは剣を握り直し、仲間へ向き直った。
「では私たちは奥の人面犬を倒しに行こう」
そう言って、副団長へ視線を向ける。
「副団長も一緒に行くか」
副団長は大きな体を揺らし、力強く頷いた。
「もちろんです。
一撃必殺は私の得意とするところですから」
確かに、その体格は“重い一撃”を想像させるに十分だった。
四人は奥の闇に潜む人面犬へ向かって駆け出す。
その背後で、ソラトは次々と閃光を放ち、
スラッグラッドが四人の邪魔をしないように撃ち落としていく。
エリシアは走りながら数を確認した。
「全部で十三匹いるな」
その言葉と同時に、
影の中から人面犬たちが姿を現した。
犬の体に、人間の顔。
その顔が、ミリィを見て動いた。
「……アッタ……モッテル……」
ミリィは肩をすくめ、思わず叫ぶ。
「うわっ、こわっ!」
エリシアは剣を構え、短く叫んだ。
「では行くぞ!」
その声が合図となり、四人は一斉に駆けだした。
同時に、人面犬たちも鋭い爪を伸ばし、襲い掛かってくる。
夜の山道が、一瞬で戦場へと変わった。




