人の顔を持つ魔物
ロウディスが静かに扉を開けた。
「こちらです、どうぞ」
エリシアは軽く頷き、応接室へ足を踏み入れる。
部屋の中央には上質なソファが置かれ、
その上に品のある中年女性が静かに座っていた。
背筋は伸び、所作には無駄がない。
“領主”という肩書きが自然と似合う人物だった。
エリシアは敬礼する。
「王都騎士団長、エリシア・フェルノートであります」
女性は立ち上がり、柔らかな笑みを浮かべた。
「どうぞ、楽にしておかけになって」
促され、エリシアはソファに腰を下ろす。
女性も向かいに座り直し、丁寧に名乗った。
「ここで領主を務めている、モアティア・ボウモールです。
どうぞよろしく」
その目はまっすぐで、曇りがない。
エリシアは自然と姿勢を正した。
モアティアは一呼吸置き、
単刀直入に切り出した。
「では率直に申し上げますね。
ボウマナの東にある山に魔物が出て、
いま騎士団が苦戦しています。
エリシア団長の力を貸してもらえないかしら」
エリシアは一瞬だけ身構えたが、
内容が“政治”ではなく“魔物討伐”だと分かり、
胸の奥でそっと安堵が広がった。
(厄介な話でなくてよかった……)
エリシアは落ち着いた声で答える。
「もちろん、それは構いません。
詳しい話をお聞かせください」
モアティアは指を組み、静かに話を続けた。
「その魔物が発見されたのは昨日のことなんですが……
今までにない姿の魔物なのです」
エリシアは眉を寄せる。
モアティアは淡々と、しかし確かな不安を滲ませながら続けた。
「見た目は山犬のようなのですが、顔が人間。
なんとも不気味な姿をしているそうなのです」
エリシアの胸に、冷たいものが落ちた。
(……人の顔をした魔物?)
モアティアはさらに言葉を重ねる。
「発見した伐採師の通報を受けて、すぐに騎士団を派遣したのですが……
かなり手ごわいらしく、防護障壁の魔術も使うそうなのです」
その瞬間、エリシアの心臓が一度だけ強く跳ねた。
(防護障壁……!
まさか、“欠片”を飲み込んだ魔物……?)
頭の奥で、過去の戦いの記憶がよぎる。
あの異常な力を持った魔物――
だが表情には出さず、
エリシアは静かに息を整えた。
「それで今はどういう状況に」
モアティアは手を組み、わずかに眉を寄せる。
「街に近づけないように、騎士団が交代で食い止めています。
ですが……初めは一匹だった魔物の数が徐々に増えて……
このままでは騎士団がいつまでもつのか……」
その表情には、領主としての責任と不安がはっきりと浮かんでいた。
エリシアは即座に立ち上がる。
「わかりました。では今すぐ行ってまいります」
その迷いのなさに、モアティアは一瞬驚いたように目を見開く。
「そういえば……団長の部下は何人お連れですか?」
エリシアは淡々と答える。
「部下は連れていません」
モアティアは思わず身を乗り出した。
「でしたら、ボウマナ騎士団をお連れになってください」
しかしエリシアは軽く首を振り、
薄く微笑んだ。
「いえ、大丈夫です。
部下はいませんが、心強いパーティーメンバーが三人いますので。
問題ありません」
その言葉には、仲間への絶対的な信頼がにじんでいた。
モアティアはその微笑みに安心したのか、
小さく息をついた。
エリシアは敬礼し、
静かに応接室を後にした。
宿舎で三人は札遊びで盛り上がる。
アレクの手札から一枚を引き抜いたミリィは、
札を見た瞬間、にやりと不敵に笑った。
「ふ、ふ、ふ……ミリィはこれで上がりだね!」
アレクは苦笑しながら手札を伏せる。
「またやられました。ミリィ殿は札遊びが本当に強いです」
ミリィは椅子の上でぴょんと跳ねる。
「ミリィは札遊びが無敵なのだ!」
その時、部屋のドアが開いた。
エリシアが戻ってきたのだ。
表情は引き締まり、
先ほどの食事処での穏やかさはもうない。
「今から魔物討伐に向かうので、みんな準備を」
ソラトは驚いて立ち上がる。
「ま、魔物……どこに出てたんですか?」
エリシアは短く説明する。
「近くの山で昨日出たらしい。
かなり手ごわくて、騎士団が街に来ないように食い止めているんだとか。
その魔物……防護障壁を使うらしいぞ」
ソラトは息を呑む。
「えっ……防護障壁を……
欠片の魔物ですか」
エリシアは首を振る。
「いや、それはわからん。
もしそうなら、欠片の謎解きが分からなくなってしまう」
その言葉にソラトは気づく。
――八英雄以外の場所で欠片が現れるなら、
欠片がいくつあるのか分からなくなる。
それは、旅の根幹を揺るがす事態だ。
エリシアはミリィに向き直る。
「ミリィ、部屋に戻って着替えるぞ」
「うん!」
ミリィは札を抱えたまま、エリシアに連れられて部屋を出ていく。
アレクは立ち上がり、ソラトへ向き直った。
「ではソラト殿、私たちも着替えましょう」
アレクは手早く鎧に着替え始める。
ソラトは自分には特に着替えるものがないと思ったが、
ふと鞄の中を思い出した。
――魔導院の校長からもらった、冒険者のローブ。
ソラトはそれを取り出し、
肩にかけるようにして羽織った。
布は軽く、動きやすい。
それだけで、少しだけ“冒険者らしさ”が増した気がした。
夜のボウマナに、
これから始まる戦いの気配が静かに満ちていく。




