ボウマナの夜に動き出す影
夕暮れの光が傾き、馬車は整備の行き届いた街道を進んでいた。
道幅は広く、人や馬車の往来も増えてきている。
前方に、灰色の石で組まれた城壁が見えてきた。
アレクが手綱を握りながら言う。
「ボウマナの城壁が見えてきましたね」
荷台にいたソラトは、アレクの隣に移動して前方を見つめた。
「……城壁のある街なんて、久しぶりですね」
後ろでは、ミリィがエリシアの膝枕で気持ちよさそうに眠っている。
エリシアはその髪を軽く撫でながら言った。
「ここなら行政院の宿舎があるから、今日はそこを使おう」
アレクは頷く。
「あと、馬車の整備もしておきます」
「馬車のことはアレクに任せる」
「了解しました」
馬車は城壁の入り口へと近づいていく。
ソラトは城壁を見上げ、ふと気づいた。
「今までの街より……だいぶ小さそうですね」
アレクは記憶をたどりながら答える。
「そうですね。たしか人口はブッカンの半分ぐらいだったと思います」
やがて馬車は城壁の門へ到着した。
アレクは門番に通行証を渡し、
必要事項にサインをして通行証を受け取る。
門が開き、馬車はゆっくりとボウマナの街の中へ入っていった。
ボウマナの街へ入ると、
まず目に飛び込んできたのは、整然とした街並みだった。
道は広く、石畳は磨かれたように清潔。
建物の外壁も統一感があり、
道案内板が要所に立てられているため迷う心配もない。
ソラトは思わず感嘆の声を漏らした。
「今までで一番きれいな街ですね」
アレクは手綱を操りながら説明する。
「ボウマナは行政院の取り扱い事がしっかりしているので、
街はいつも清潔に保たれていると聞きました」
馬車は案内板を横目に、街の中心へ向かって進む。
「なのでここは民の満足度も非常に高く、
領地の貴族は人気があるそうです」
ソラトは初めて知る事実に目を丸くした。
(……領地の貴族によって、街の雰囲気ってこんなに違うんだ)
アレクはさらに続ける。
「あと、騎士団の派遣も素早いと聞きました」
エリシアは膝枕で眠るミリィのよだれを拭きながら、
苦笑混じりに言った。
「それは冒険者泣かせな話だな」
「はい。このあたりでは冒険者の仕事は護衛ばかりで、
討伐はほとんどないそうです」
馬車は大通りを曲がり、
行政院の建物が見えてくる。
その並びには、行政院の宿舎もあった。
アレクは馬車を門へと進め、
馬車留め場へと入っていく。
「着きました」
エリシアは軽く伸びをしてアレクへ向き直った。
「では私は行政院で手続きをしてくるので、こっちは任せる、アレク」
アレクは胸に手を当て、きびきびと返事をする。
「はい、了解しました」
その声に反応したのか、
エリシアの膝の上で眠っていたミリィが、
むにゃむにゃと目を覚ました。
「ん……ついたの……?」
エリシアはミリィの髪を軽く整え、
ソラトとミリィの方へ向き直る。
「手続きが終わったら夕飯にしよう」
ソラトは明るい笑顔で頷き、
ミリィも一瞬で完全覚醒したように元気よく返事をする。
「たべるっ!」
エリシアは苦笑しつつも、
どこか安心したように三人を見つめた。
夕暮れのボウマナの空気は澄んでいて、
街の整然とした雰囲気が四人の疲れをそっと和らげていく。
四人は行政院の向かいにある食事処へ入った。
店内は落ち着いた照明に包まれ、
木目のテーブルと柔らかな布張りの椅子が並ぶ。
旅人向けの食堂とは違い、どこか上品で静かな空気が漂っていた。
四人はテーブル席に腰を下ろし、
エリシアとアレクはメニューを開く。
アレクは感心したように目を細めた。
「すべて説明が書いていて、わかりやすいメニューですね」
エリシアも頷きながらページをめくる。
「そうだな。これだったらソラトも自分で選べるのではないか」
そう言って、メニューをソラトへ渡した。
ソラトは目を輝かせる。
「ほんとうだ。これだったら自分で決められますね」
その横から、ミリィが身を乗り出して覗き込む。
ミリィは字が読めない。
「これはなんて書いてるの?」
ソラトは指差された料理を丁寧に説明する。
「これは魚の身を焼いて、クリームで……」
「これは?」
「これは蒸し鶏を甘辛いソースで……」
「これは?」
ミリィは上から順番に、
まるで絵本を読んでもらう子どものように
ソラトへ次々と読ませていく。
その時、
お洒落な制服を着た女性店員が、丁寧な口調で近づいてきた。
「いらっしゃいませ。ご注文の方はお決まりでしょうか」
エリシアはメニューを閉じ、軽く手を挙げる。
「では私は……」
四人は順番に注文を伝えていく。
ミリィはソラトに読んでもらった中から、
一番気に入った料理を元気よく指差した。
ソラトは少し照れながらも、
自分で選べたことに小さな誇りを感じていた。
先に飲み物が運ばれてきた。
ソラトとミリィには、いつものミルク。
アレクには水。
そしてエリシアの前には、ブドウ酒のボトルとグラスが置かれた。
そのボトルには、
長い耳を持つエルフのイラストが描かれている。
ソラトは興味深そうに尋ねた。
「そのラベルの絵はエルフですか?」
エリシアはボトルを手に取り、
ラベルを眺めながら答える。
「これは酒で有名なモルトア村のブドウ酒だ」
そう言って、グラスに静かに注ぐ。
「マッカリナでは希少な酒なので、私も飲んだことがないんだが……
ここのメニューにあったのでな」
エリシアは一口含む。
その瞬間、表情が変わった。
「……これは深い。今まで飲んだことのない味わいだ」
アレクは思い出したように言う。
「モルトア村といったら、ヴァレリアというエルフが
何百年も前から酒造りしているという話を聞いたことがあります」
ソラトは、
(アレクさんはお酒を飲まないのに、よく知ってるな……)
と感心する。
エリシアはグラスを揺らしながら続けた。
「そのヴァレリアというエルフなんだが、
八英雄の名簿に“エルフ・ヴァレリア”が書かれている。
場所は名簿の風化で読めなかったが」
アレクは即座に頷く。
「モルトア村のヴァレリアが八英雄の一人で間違いないですね。
エルフは寿命がありませんし」
エリシアは再びブドウ酒を口に含み、
旅の途中で宝物を見つけたような表情になった。
「私もそう思っている。
いずれモルトア村に行くことになるだろう」
その言葉を口にしたエリシアの顔が、
どこか嬉しそうに見えることにソラトは気づいた。
ミリィはというと、
すでにミルクを飲み干し、
次の料理を待ちきれない様子で足をぶらぶらさせていた。
その時、料理が運ばれてきた。
白い皿の上に、まるで絵画のように盛り付けられた料理が並ぶ。
色彩のバランス、ソースの流れ、添えられたハーブの位置――
どれも計算され尽くしていて、食べるのが惜しいほど美しい。
アレクは思わず感嘆の声を漏らした。
「盛り付けが見事ですね」
ソラトも皿を手に取り、縁の模様を指でなぞる。
「このお皿のデザインも凝ってますよね」
エリシアはさっそく一口運び、
舌に広がる味わいに目を細めた。
「見た目だけでなく、繊細な味で……酒に合いそうだ」
そう言うと、ブドウ酒を一口含み、
料理の余韻を流し込む。
「思った通り、これはいい」
一方でミリィだけは、
いつものように豪快に食べている。
「うまっ!」
美しい盛り付けも、繊細な味わいも、
ミリィにとっては“おいしいかどうか”がすべてだ。
その無邪気さに、
エリシアもソラトもアレクも、
どこか救われるような気持ちになる。
洒落た店内に、
四人の笑い声と、料理の香りが静かに溶けていった。
日はすっかり暮れ、
食事処での満ち足りた夕食を終えた四人は、
行政院宿舎の静かな廊下を歩いていた。
ソラトは満足そうに息をつく。
「今までの食事処で、ここが一番良かったですね」
アレクも頷きながら歩く。
「漁村の新鮮な料理の良さとは、また違う良さがありました」
エリシアは、まだ頬に酒の余韻を残しながら言う。
「エルフの酒は最高だったしな……
モルトア村に行くのが楽しみだ」
思わず本音が漏れたのだろう。
ソラトはその横顔が、どこか嬉しそうに見えた。
廊下を曲がると、
部屋の前に身なりの整った男性が立っていた。
男は四人に気づくと、丁寧に会釈する。
「王都騎士団長のエリシア様ですね」
エリシアは足を止め、警戒を隠さずに答える。
「ああ、そうだが……どなたかな」
男は胸に手を当て、礼儀正しく名乗った。
「申し遅れました。
私はボウマナ領地貴族、モアティア・ボウモール様の秘書をしております。
ロウディスと申します」
エリシアの脳裏に、
“勇者と賢者の政治利用”という言葉が一瞬よぎる。
だが、ボウマナの領地貴族は民に人気が高い。
そんな必要のない人物のはずだ――
そう思い直す。
ロウディスは続けた。
「モアティア様がお話があるとのことで、
応接室でお待ちです。
よろしいですか」
いくら昔ほど貴族に権力がないとはいえ、
領地の主からの呼び出しを断るわけにはいかない。
エリシアは小さく息をつき、三人へ向き直る。
「ミリィは私が帰るまで、ソラトとアレクの部屋で待っててくれ」
「はーい!」
ミリィは元気よく返事をし、
すでにソラトの袖を引っ張っている。
エリシアはロウディスとともに廊下を歩き、
応接室へと向かっていった。
残された三人は顔を見合わせる。
ソラトは不安げに呟く。
「話って……いったい何だろう」
アレクは腕を組み、慎重に言葉を選ぶ。
「悪い話じゃなければいいんですけど……
どうも“領地貴族”と聞くと警戒してしまいます」
そんな二人の緊張などお構いなしに、
ミリィはぱっと札を取り出した。
「ソラト、札遊びしようっ!」
覚えたばかりの札遊びにすっかり夢中だ。
「アレク、お前もやるのだっ!」
アレクは苦笑しながらも、素直に頷く。
「はい、了解ですミリィ殿」
こうして三人は、
エリシアの帰りを待ちながら、
札遊びに興じることになった。
その一方で――
エリシアは、領地貴族モアティアの待つ応接室へと向かっていく。
静かな夜のボウマナで、
新たな出来事が動き出そうとしていた。




