海に潜む影
幌内では、エリシアが膝の上に広げた地図を指でなぞっていた。
馬車の揺れに合わせて、紙がかすかに震える。
「アレク。このまま南へ行けば漁村があるのか」
御者台からアレクの声が返る。
「はい。ブッカンの漁村があります」
エリシアは地図を折り返しながら続けた。
「どれくらいで着きそうだ」
「今からだと……昼過ぎくらいには着くかと」
「そうか」
エリシアは地図を閉じ、軽く息を吐いた。
「次の目的地は東のイーラ島なんだが……
漁村から海沿いに東へ行くのがよさそうだ。
今日は少し早いが、漁村で宿を取ろう」
アレクは手綱を軽く引き、馬の速度を調整する。
「了解しました。では漁村に向かいます」
馬車はブッカン城壁南門を抜け、
南へと続く街道へ入っていく。
漁村に着いたのは、ちょうどミリィのおやつの時間だった。
宿を取ると、四人はすぐに部屋へ入り、
テーブルの上に四つの欠片を並べた。
ソラトとミリィの欠片を合わせると、
まるで最初から一つだったかのようにぴたりと噛み合う。
次に、アレクの欠片をどこに当てるか、
ソラトが慎重に角度を変えながら探っていく。
「……ここだ」
カチリ、と小さな音がして、
アレクの欠片がぴったりとはまった。
さらに、マッカリナで見つけた欠片を合わせると――
四つが一つの形を成した。
ソラトは満足げに頷く。
「欠片、繋がりました」
エリシアは腕を組んで眺める。
「うむ。しかし……これが何なのかは、まだ分からないな」
アレクは欠片を指先で触れながら言う。
「いったいこれは何なのでしょうね。
質感は金属みたいだけど……」
ミリィは途中からおやつに夢中で、
欠片のことは半分くらいしか聞いていない。
次の目的地はイーラ島
エリシアは地図を広げ、指で東をなぞる。
「あと、おそらく四つ。
次は――英雄剣士セリオス・グランブレードが移り住んだイーラ島に向かう」
地図を見ながら続ける。
「東へ向かえば、ひと月ほどで到着できるだろう。
ここからは町や村が減って、魔物も増えてくる」
ソラトの目が輝いた。
「魔物が増えるんですね……!」
エリシアは苦笑する。
「あと、野営も増えてくるからな。
水と食料は現地調達になるぞ」
ソラトは胸を張る。
「狩りと野宿は僕、得意だから任せて」
おやつを食べ終えたミリィが勢いよく乗ってくる。
「おお!狩りして肉やきやき!」
二人はすっかりキャンプ気分だ。
エリシアは肩をすくめる。
「まあ、これからの予定はそんな感じだ」
窓の外を見ると、
夕日が傾き、漁村の屋根を赤く染めていた。
エリシアは立ち上がる。
「少し早いが……食事をしに行くか」
店内はまだ夕食には早い時間で、
客はまばらだった。
四人はテーブル席に座り、
エリシアがメニューを開いて二人に尋ねる。
「肉と魚、どっちがいい」
ミリィは即答する。
「にくっ」
ソラトは少し考えてから言った。
「ううん……せっかく漁村だから、魚にしようかな」
ミリィはソラトの言葉に釣られて、
「やっぱりミリィもさかなっ」
エリシアはメニューをアレクへ渡す。
「アレクは自分で好きなものを頼んでくれ」
ちょうどその時、店員が注文を取りに来た。
エリシアが生魚料理を告げると、
店員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。本日は船が漁に出られなかったもので……
生魚料理はお出しできません。干物と焼き魚ならございますが」
エリシアは少し眉をひそめた。
「……じゃあ仕方がない。他のものを頼む」
ソラトとミリィも焼き魚に変更し、
アレクも自分の料理を注文する。
エリシアは追加で言った。
「あっ、それとミルクを二つ。
私は白いブドウ酒。アレクは飲むか」
アレクは首を振る。
「いえ、自分は下戸なので水で大丈夫です」
「そうか。それなら飲まないほうがいいな。
ではそれで頼む」
店員は注文を復唱し、厨房へ戻っていった。
エリシアは腕を組み、ぽつりと呟く。
「それにしても……船が出せないほど、今日は天候が悪いように思わないが」
窓の外には、
穏やかな海と、雲ひとつない空。
風も弱く、波も静か。
漁に出られない理由が見当たらない。
「アレク。天気が良くても漁に出られない、なんて話は聞いたことがあるか」
アレクは少し考えてから答える。
「そうですね……天気が良くても、沖に出ると荒れていることはあるみたいですが……」
その時、店員が飲み物を運んできた。
テーブルにミルクと水、白いブドウ酒のボトルが置かれる。
エリシアは店員に声をかけた。
「今日は海が荒れているようには思わないが……
なぜ船が出せないんだ」
店員は一瞬ためらい、声を潜めた。
「……はい。なんでも今朝、海に“魔物”が出たらしいんですよ」
魔物――その言葉に、四人の視線が一斉に店員へ向く。
店員は注目されて慌てたように手を振った。
「いっ、いえ、私も詳しいことは知らないんですけど……
ひと月前から、時々海に魔物が出ると漁師が言ってまして……」
そう言い残し、店員はそそくさと厨房へ戻っていった。
エリシアはアレクへ視線を戻す。
「海に魔物が出る……そんな話、聞いたことは?」
「いえ、初耳です」
ソラトが首をかしげる。
「魔物って……海にはいないんですか?」
エリシアは腕を組んだ。
「少なくとも今までは聞いたことがない。
もし海に魔物が出るとなると……これは厄介だな」
ソラトは身を乗り出す。
「えっ、どうしてなんですか」
「海で討伐となれば、弓か魔法でしか戦えない。
剣士は手が出せん」
ソラトは納得したように頷く。
「なるほど……確かに剣ではちょっと厳しいかも」
その時、料理が運ばれてきた。
焼き魚、干物、そしてエリシアが頼んでいた肉料理。
ミリィとソラトは待ちきれず、声を揃える。
「いただきまーす」
アレクは静かに手を合わせ、
エリシアは白いブドウ酒を軽く揺らしながら、
窓の外の海へ視線を向けた。
(……海に魔物、か)
夕暮れの漁村に、
静かな波音だけが響いていた。
ソラトは干物を一口かじり、目を輝かせた。
「これ……すごく好き」
ただ焼いただけの素朴な料理が、
ソラトの舌にしっかり刺さったらしい。
ミリィは魚と野菜の煮込みをハフハフしながら頬張る。
「ミリィはこれ好き!」
二人の幸せそうな顔を見ながら、
エリシアは白いブドウ酒を口に運びつつ、
視線をアレクへ向けた。
「海に出た魔物のことが気になる。
明日の朝、港に行ってみよう」
アレクは姿勢を正し、きびきびと返事をする。
「了解です、団長殿」
エリシアは続ける。
「しかし……漁師は行政院にこの事を報告してないのか。
アレク、おまえは今まで海の魔物のことを知らなかったんだな」
アレクはフォークを置き、背筋を伸ばして答えた。
「はい、全く聞いたことがありません」
エリシアは苦笑した。
「いや、食べながら話してくれればいい」
「はい、わかりました」
アレクは慌ててフォークを持ち直し、
ぎこちなく食事を再開する。
エリシアはその様子を見て、
(……ダリオンとは違うタイプのめんどくさいやつだな)
と心の中でため息をついた。
白いブドウ酒を注ぎながら、エリシアは続ける。
「漁師が行政院に報告してないとなると……
何か理由があるのかな」
アレクは真面目に首を振る。
「報告しないという選択肢が、自分にも理解できません」
ちょうどその時、店員が通りかかった。
エリシアは空になったボトルを軽く持ち上げる。
「すみません、追加で」
アレクはその飲みっぷりに驚き、
思わずエリシアを凝視した。
エリシアはその視線に気づき、
平然とした顔で言う。
「ああ、空になったからな。
注文しないという選択肢は、私には理解できん」
追加のボトルがテーブルに置かれた。
エリシアはそれを当然のように手に取り、静かにグラスへ注ぐ。
「まあ、とにかく明日だ。港の漁師に聞けばわかることだ」
淡々とした声。
アレクは姿勢を正し、真面目に頷いた。
「はい、自分もそう思います」
エリシアは注ぎ終えたグラスを軽く揺らし、ひと口。
その横顔は、旅の緊張よりも酒の香りを楽しんでいるように見える。
「漁師は朝が早いそうだから、早めに行こう」
そう言って、またひと口。
アレクは思わず視線をそらした。
(……そんなに飲んで、明日大丈夫なんだろうか)
心配する気持ちが顔に出そうになり、慌てて水を飲んで誤魔化す。
エリシアは気にも留めず、空になったグラスへ再び白いブドウ酒を注ぎながら言った。
「明日は朝が早い。私も今日はこの二本でやめておこう」
アレクは固まった。
(……この二本で……?
いったい普段どれだけ飲んでいるんだ……)
驚愕と困惑が胸の中で渦を巻く。
一方、ソラトはというと――
まるでいつもの光景だと言わんばかりに、焼き魚をつつきながら平然としていた。
(……もう慣れてしまっている……)
アレクは心の中でそっとため息をついた。
テーブルの上では、白いブドウ酒の瓶が静かに揺れ、
その向こうでエリシアの横顔が、どこか満足げに見えた。




