平凡な男の出発点
翌朝アレクは、
まず庭に置いていた鍛錬用の道具を一つずつ家の中へ運び込んだ。
木剣、重り、踏み込み用の板。
毎日欠かさず使ってきたものばかりだ。
(しばらく……ここには戻れないかもしれない)
そう思うと、自然と手つきが丁寧になる。
長旅に必要な荷物は多くない。
替えの衣服と最低限の生活道具を小さな手荷物にまとめると、
アレクは家の中をぐるりと見渡した。
静かで、質素で、落ち着いた家。
十年間暮らした場所。
玄関の扉を閉め、鍵をかける。
普段は閉めない門の鍵にも手を伸ばし、しっかり施錠した。
(……よし)
装備品は訓練場に置いてある。
エリシアたちとはそこで合流する予定だ。
先にエリシアがダリオン騎士団長へ話を通しに行っている。
アレクは深く息を吸い、歩き出した。
訓練場へ向かう道は、
いつもと同じはずなのに、
どこか違って見えた。
(今日から……自分は勇者様たちの仲間として旅に出る)
胸の奥に、静かな熱が灯る。
アレクはその熱を抱えたまま、
訓練場へ向かって歩き続けた。
訓練場の馬車留め。
エリシアとダリオンは、出発前の最終確認をしていた。
エリシアは淡々と話す。
「……とまあ、そういうことだ。
アレクは連れていくが、問題はあるか」
ダリオンは腕を組み、しかし目はどこかキラキラしている。
「問題はないけど……
エリシアと旅ができるなんて、なんと羨ましい。
エリシア、私も同行するというのは……」
エリシアは即答した。
「団長が不在になるのはまずいだろう。
ブッカン周辺はマッカリナと違って強い魔物がよく出るじゃないか」
「でも、そこをなんとか……」
(……そこをなんとか、じゃないだろう)
エリシアは心底めんどくさそうにため息をつき、
ミリィへ声をかけた。
「ミリィ。ダリオンはどう思う」
訓練場の様子を見ていたミリィが、
ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「このひと?」
「ああ、そうだ」
ミリィはダリオンをじっと見つめる。
勇者の“相手の力を探る能力”が静かに発動する。
ダリオンは何が起きているのか分からず、
ただ呆然と立ち尽くしていた。
ミリィは短く言った。
「このひと、つよいよ」
エリシアは確認する。
「メンバーに欲しいか?」
ミリィはエリシアの顔を見て――空気を読む。
「いらない」
エリシアはダリオンへ向き直る。
「だそうだ」
ダリオンは完全に置いていかれている。
「……だそうだって……
で、そちらのお子さまは……誰?」
エリシアはさらりと答える。
「勇者。このパーティーのリーダーだ」
ダリオンはさらに混乱する。
「ゆ、勇者……?
ということは、あっちの少年は……」
エリシアはソラトを手招きした。
「賢者の末裔、ソラトだ」
ソラトは軽く会釈する。
ダリオンは口をぱくぱくさせたまま固まった。
エリシアは肩をすくめる。
「そうか。こっちではまだあまり知られていなかったか。
そのほうが都合がいい」
ダリオンはただ一言も返せず、
世界の変化に置いていかれた大人の顔をしていた。
その時、アレクが荷物を抱えてやってきた。
更衣室で装備を受け取り、
旅の荷物をまとめた袋を地面に置くと、
二人の団長に向かってきびきびと敬礼する。
「支度が整いました!」
ダリオンはまだ呆然としたまま、
アレクの声にも反応が遅れる。
エリシアは軽く頷いた。
「では馬車に荷物を積んで出発するぞ」
「はい!」
アレクは荷物を抱え、馬車へ積み込む。
エリシアはダリオンへ向き直った。
「ではダリオン団長、私はこれにて」
その言葉で、ダリオンはようやく我に返る。
「あっ、ああ……もう行ってしまうのかい、エリシア。
では気を付けて。あと、それから……」
ダリオンはエリシアの手を突然つかんだ。
「もし困ったことがあったら、いつでもこの私を頼ってください」
エリシアは思わずたじろぐ。
「わっ、わかった。その時は……考慮する。では」
エリシアはそそくさと幌内へ乗り込んだ。
ダリオンはその姿を名残惜しそうに見つめる。
ソラトはその視線に気づき、
(……いったいどういう関係なんだろう)
と首をかしげた。
御者台にはアレクが座り、出発の合図を待っている。
「アレク、いいぞ」
「それでは出発します!」
馬車がゆっくりと動き出す。
エリシアは幌の中でアレクに声をかけた。
「アレクの実家は工房地帯だったな」
「はい。お手数おかけします。
両親にだけは、旅に出ることを知らせないと」
「それは構わん。むしろ、そうするべきだからな」
馬車は工房地帯へ向けて走り出す。
エリシアは後ろを見ないようにしていた。
ソラトは逆に後ろを向き、
エリシアの名を呼んで寂しそうにしているダリオンを見つけて、
(……やっぱりどういう関係なんだ)
とさらに疑問を深める。
ダリオンは馬車が見えなくなるまで見送り続けた。
そして――
馬車が完全に視界から消えると、
さっきエリシアの手を握ったことを思い出し、
(拒否されなかった……!
また距離が縮まった……!)
と勝手に解釈して、
一人でにやけていた。




