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賢者の末裔ソラトと八英雄の遺産  作者: じろりんたん


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アレク・サンクティアの名

ブッカンの大通りは、朝の光を受けて白い石畳がきらりと光っていた。

行き交う人々の耳の形も、髪の色も、服の意匠もさまざまで、

この街が多種多様な民を受け入れてきた歴史を物語っている。


エリシアが行政院へ向かうあいだ、

ソラトとミリィは市場を見学することになっていた。


「ここを曲がれば市場のようだ。じゃあ、昼までには戻るようにな」


エリシアが淡々と告げると、

ソラトは「わかりました、それじゃ」と軽く手を挙げ、

ミリィも元気よく頷いて歩き出そうとした。


だが――


「……あっ、ちょっと待て」


エリシアが二人を呼び止めた。

ポケットを探り、指先で小さな袋をつまみ出す。

中には硬貨が数枚、軽い音を立てて揺れていた。


「市場に行くのに金がなければ、何も買えんだろう」


そう言って、ソラトの手に硬貨を乗せる。


「ありがとうございます」


礼を言いながら硬貨を見たソラトは、ふと首をかしげた。


「……あれっ、グランツで見たのとなんか違いますね」


「グランツとブッカンは違う通貨だ」


エリシアは当然のように答える。


「なんで別々の通貨なんですか?」


「ナラカム王国統一以前、このあたり一帯は“ブッカン王国”でな。

 その頃からこの通貨を使っていた。

 通貨を統一してくれたほうが便利なのだが……

 広域で長く使われてきたものだから、切り替えは難しいようだ」


ソラトは硬貨を指先で転がしながら、

ナラカム王が言っていた“五百年間変わらないもの”を思い出していた。


(こういうところにも、残っているんだな……)


歴史の名残が、手のひらの上で静かな重みを帯びる。

ミリィはというと、通貨の違いなど気にも留めず、

「はやくいこー!」とソラトの袖を引っ張っている。


エリシアはそんな二人を見て、わずかに口元を緩めた。


「じゃあ気をつけてな。昼には戻るんだぞ」


「はい!」


ソラトとミリィは元気よく返事をし、

活気あふれるブッカンの市場へと駆け出していった。


市場の人混みに消えていくソラトとミリィの背中を見送り、

エリシアはひとつ息をついて行政院の方向へ歩き出した。

朝の光が差し込む大通りは、すでに活気で満ちている。



一方その頃――

市場へ足を踏み入れたソラトとミリィは、思わず立ち止まった。


「……すごっ」


建物のほとんどが店で、空いたスペースにはびっしりと露店が並ぶ。

焼き物の香ばしい匂い、煮込みの湯気、甘い蜜の香り――

あらゆる匂いが渦を巻き、二人の鼻をくすぐった。


朝食は宿で食べてきたはずなのに、

この香りの洪水の前では、もうお腹が鳴りそうだった。


ミリィがソラトの袖を引っ張る。


「ソラト、あれ見て! にくにくっ!」


指さす先には、炭火でじゅうじゅうと焼かれる肉の串。

脂が滴り、火がぱちぱちと跳ねるたびに、香りがさらに濃くなる。


昨晩は魚料理ばかりだった二人にとって、

その光景はあまりにも魅力的だった。


「うわっ、めっちゃうまそう……!

 あれ食べよっか、ミリィ」


「うんっ、食べる!」


二人は我慢できず、露店へ駆け寄った。


露店の前に立つやいなや、ソラトは勢いよく声を上げた。


「串、二本ください!」


「はいよ、二本ね」


店主は慣れた手つきで、焼きかけの串をタレ壺にざぶりと浸し、

再び網の上へと並べた。

じゅう、と甘辛い煙が立ちのぼり、

二人の鼻を一瞬で虜にする。


ソラトはふと、立て札に目をやった。


――一串20ルク。


(安い……のかな?)


そう思いながら、ポケットからエリシアにもらった袋を取り出す。

中には、100ルクと刻まれた硬貨が五枚。


(えっ……500ルク?

 エリシアさん、こんなに持たせてくれたのか……

 それとも、この串焼きが安いのか……)


どちらなのか判断がつかず、ソラトは少しだけ戸惑った。


「はい、お待たせ」


店主が香ばしく焼き上がった串を二本、

ソラトとミリィに手渡す。


「ありがとうございます」


ソラトは代金を払い、じゃらりと返ってきたお釣りを受け取った。


そして――

二人は同時に、串焼きにかぶりつく。


「……っ、うまっ!」


「おいしっ!」


甘辛いタレが肉の旨みを引き立て、

噛むたびに肉汁がじゅわりと広がる。

昨晩は魚ばかりだったこともあり、

その濃厚な味わいが身体に染み渡るようだった。


ミリィは目を輝かせながら、

串を持つ手を止める気配がない。


ソラトもまた、思わず笑みがこぼれるほど満足していた。






ブッカンの市場から離れ、静かな石畳の道を進むと、

やがて白い壁と青い屋根を持つ大きな建物が見えてきた。

――ブッカン行政院。


エリシアは足を止め、軽く息を整えると中へ入った。


広いホールには受付窓口が並び、

書類を抱えた役人たちが忙しなく行き交っている。

その一角へ向かい、エリシアは静かに声をかけた。


「私はこういう者なんだが……」


そう言って、胸元から小さなペンダントを外し、受付係へ差し出す。


受付係は慣れた手つきでペンダントを開いた。

だが――中に刻まれた紋章を見た瞬間、

二人の表情が一変する。


そこには、ナラカム王都の紋章と、

王都騎士団長を示す刻印。


「……っ、王都の騎士団長様でしたか。

 本日は、どのようなご用件で……」


声がわずかに震えていた。


エリシアはペンダントを受け取り、

何事もなかったかのように首へ戻す。


「いま、五百年前の英雄について調べている。

 ブッカンに住んでいた英雄――ミレイユの資料を拝見したいのだが、可能か」


受付係は深く頭を下げた。


「はい、もちろんでございます。

 英雄ミレイユ・サンクティア様の家系資料はすべて保管してあります。

 ご案内いたします」


そう言うと、一人の受付係がすぐに立ち上がり、

エリシアを保管室へと案内し始めた。


行政院の奥へ進むにつれ、

空気はひんやりと静まり返り、

古い記録の匂いが漂い始める。





そのころ――

ソラトとミリィは、すでに屋台の“食べ歩きはしご”の真っ最中だった。


串焼きを平らげたばかりなのに、

ミリィはもう次の獲物を見つけている。


「ソラト、ほらっ! あれあれ!」


指さす先には、パンに肉と野菜をたっぷり挟んだサンド。

だが、よく見ると中身は肉ではなく、

油でカラッと揚げた“何か”が挟まっている。


ソラトは立札を読み上げた。


「……グランツ式サンド、海鮮版……三十ルク?」


「ソラト、これ食べたいっ!」


ミリィはもう目がキラキラしている。


ソラトは笑って店主に声をかけた。


「じゃあ、これ二つください」


「はいよ!」


店主は手際よくパンを開き、

揚げたての魚の切り身をどさっと挟み、

酸味のある白いソースをたっぷりとかける。

その香りだけで、もう美味しいのが分かる。


二人は受け取ると、待ちきれない様子でかぶりついた。


揚げた魚のサクサク感と、

爽やかな酸味のソースが絶妙に絡み合う。

パンの柔らかさがそれを包み込み、

口の中で一気に広がる海の旨み。


二人は声をそろえてこう言った。


「……っ、うまっ!」


「んまっ!」






重要文書保管庫の閲覧室は、外の喧騒とは無縁の静けさに包まれていた。

分厚い扉が閉じられると、空気はひんやりとし、

古い紙とインクの匂いがわずかに漂う。


エリシアは机に広げられた資料に目を走らせていた。

探しているのは――五百年前の英雄、ミレイユ・サンクティア。


ページをめくるたび、淡々とした視線が情報を拾い上げていく。


英雄ミレイユ・サンクティア。

ハーフエルフのヒーラー。

直系子孫はすべてハーフエルフ。


そして、現在の家系図の末端に記されていたのは――


十九代目:アレク・サンクティア

男性。

魔法剣士。

ブッカン騎士団所属。


エリシアは小さく息をついた。


(騎士団員か……話は早いな)


エリシアは資料を丁寧に閉じ、

閲覧室を出て保管庫前で待っていた案内係に手渡した。


「助かった。礼を言う」


案内係は深く頭を下げる。


「とんでもございません。

 また必要があれば、いつでもお申し付けください」


エリシアは軽く会釈し、

静かな保管庫を後にした。




大通りを歩きながら、エリシアは静かに思考を巡らせていた。


(ブッカン騎士団の訓練場は……確か、このあたりだったはずだが)


ブッカンの地理はほとんど頭に入っていない。

だが、一度だけ訪れた記憶がかすかに残っている。

その“かすかな記憶”と“勘”だけを頼りに、

エリシアは迷いなく歩を進めていた。


(ブッカン騎士団長なら、王都マッカリナで何度も会っている。

 アレク・サンクティアのことも、聞けばすぐに分かるだろう。

 少しめんどくさい奴だが、まあ仕方ない)


十九代目の子孫が騎士団員――

それは、調査としては非常に都合がいい。


だが、エリシアの思考はそこで止まらなかった。


(それにしても……代々ハーフエルフ、か)


ミレイユの家系は、五百年ものあいだ“純粋に”ハーフエルフを保っている。

偶然にしては出来すぎている。


(もしかすると、“欠片”も代々受け継がれている可能性があるな)


もしそうなら――

今回の調査は、驚くほど早く終わるかもしれない。


そんなことを考えながら歩いていると、

視界の先に広い敷地と石造りの建物が見えてきた。


(……あった)


ブッカン騎士団訓練場。

記憶の中の光景と、ほとんど変わっていない。


エリシアは小さく頷いた。


(我ながら、勘は鋭いな)


ほんの少しだけ、自分を褒めるように口元が緩む。

そして、訓練場の門へとまっすぐ歩いていった。




ブッカン騎士団の訓練所に足を踏み入れた瞬間、

エリシアは周囲を一瞥した。


広い訓練場には、魔法使いと魔法剣士が多く集まり、

火球、風刃、光の矢――

さまざまな魔法が飛び交っている。


設備も魔法用のものが中心で、

魔力を吸収する石壁や、魔法衝撃を軽減する地面が整備されていた。


(……ふむ)


マッカリナの鍾乳洞でソラトの魔法を見たあとでは、

訓練中の兵士たちの魔法は、どこか“可愛らしく”見えてしまう。


(さて……ダリオンはどこにいる)


ブッカン騎士団長・ダリオン。

王都マッカリナで何度も顔を合わせている人物だ。

彼に聞けば、アレク・サンクティアの所在もすぐに分かるだろう。


そんなことを考えていたその時――


「おお、ミス・エリシアではないか!」


背後から、やけに張りのある声が響いた。


エリシアが振り向くと、

そこには金髪を後ろに流し、胸を張ったダリオン騎士団長が立っていた。


「初めて見る私服姿、とても素敵ですねぇ。

 して、今日はどういうご用件で?

 もしかして……私に会いに来てくれたのですか」


(……めんどくさい男だ)


エリシアは心の中でため息をつく。


だが表情は変えず、淡々と答えた。


「ああ、そうだ。ダリオン騎士団長」


「おおっ、これはなんと身に余る光栄!

 ささ、立ち話もなんですから、わが団長室にどうぞどうぞ!」


ダリオンは大げさな身振りでエリシアを建物の中へ案内し始める。


エリシアは歩きながら、

(やはりめんどくさい男だ)

と、もう一度だけ心の中で呟いた。




ブッカン騎士団の団長室は、外の印象に反して、中は驚くほど整っていた。

机の上には書類がきっちりと並び、棚には騎士団の記録が寸分の乱れもなく収められている。

さらに、窓際には色とりどりの花が飾られ、ほのかに香りが漂っていた。


(……相変わらず、妙に几帳面な部屋だな)


エリシアがそう思っていると、

ダリオンは自らハーブティーを淹れ、優雅な仕草で差し出してきた。


「さあ、どうぞ。

 しかし……ミス・エリシアがわざわざ会いに来てくれるなんて、まるで夢心地ですね」


(これは……いつまで続くのだろうか)


そう思いながらも、エリシアはハーブティーを口に運ぶ。

すると――驚くほど香りが良い。

思わず目を瞬かせてしまうほどだった。


ダリオンはエリシアの正面に腰を下ろし、

こちらを見つめながら自分のカップを傾ける。


「して……私に打ち明けたい気持ち、しっかり受け止めます。

 さあ、どうぞ」


(……本当に、めんどくさい男だ)


エリシアはダリオンの言葉を完全に無視し、本題を切り出した。


「ここに、アレク・サンクティアという魔法剣士がいるはずだ。

 彼に会いたい」


ダリオンの動きが止まった。


「そっ、それは……どういった理由で?」


エリシアは淡々と続ける。


「いま私は、五百年前の八英雄について調べている。

 魔法剣士アレクは、英雄ミレイユの直系の子孫だと分かった。

 そこで、彼にいくつか尋ねたいことがある」


ダリオンは一瞬だけ肩の力を抜き、ほっとした表情を見せた。


「なるほど……そういうわけですか。

 しかし、なぜ八英雄のことを調べたり……」


「ダリオン団長もご存じだろう。

 勇者と賢者の出現に関係ある話だ。

 詳しくは話せないが――アレク・サンクティアを呼んでくれ」


ダリオンは慌てて立ち上がった。


「もちろん! ミス・エリシアの頼みなら、すべて聞き入れますとも。

 少々お待ちを!」


そう言うと、勢いよく団長室を出ていった。


その背中を見送りながら、エリシアは静かに思う。


(……あの男はいったい何を考えているのか)


ハーブティーの香りだけが、妙に落ち着いた空気を保っていた。

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