王が語る五百年と、賢者が歩き出す道
王都マッカリナへ続く街道は、王国でも最も整備が行き届いている。
石畳は均一で、馬車の車輪はほとんど跳ねずに滑るように進んだ。
王政府の馬車は荷馬車とは比べものにならないほど速く、揺れも少ない。
グランツからマッカリナまで、わずか二日で着くというのも頷ける。
マッカリナが近づくにつれ、行き交う人や馬車の数が目に見えて増えていった。
商人、旅人、兵士、そして王都へ物資を運ぶ荷車――
街道全体が、王都の息づかいをそのまま運んでくるようだった。
やがて、前方の地平線に巨大な影が現れる。
白い城壁と、その奥にそびえる王城。
ソラトとミリィは思わず前方の窓に顔を寄せた。
「……あれがお城なんだ」
ソラトの声は、驚きと感嘆が混ざっていた。
ミリィは得意げに胸を張る。
「ミリィは中に入ったことあるよ!」
「へぇ、すごいな。中はどんなだった?」
ミリィは説明しようとして、言葉に詰まった。
「ええとね、中はね……すごいんだよ。
ソラトも今から行くんだから、見たらわかるよ!」
その曖昧さが、逆に期待を膨らませる。
馬車は城壁の巨大な門を、検問も止まることもなく通過した。
王政府の紋章が掲げられた馬車は、特別な許可を持つ。
城壁の内側に入ると、空気が一段階澄んだように感じられた。
城へと続くまっすぐな城道を、馬車は速度を落とさず進んでいく。
やがて馬車は城門前の広場を通り抜け、王城の正面にある馬車寄せへと滑り込んだ。
そこには、馬車の到着を待ち構えていた従者や兵士、役人たちが整列している。
王政府の紋章を掲げた馬車が止まると、従者が素早く踏み台を置き、ドアを開けた。
最初に降りたのはエリシア。
続いてカイエンが軽く背伸びをしながら外へ出る。
その後――ミリィが踏み台を無視して、
空中で一回転しながら軽やかに着地した。
「おおっ……!」
周囲から思わず拍手が起こる。
ミリィは満足げに胸を張り、得意そうに笑った。
最後にソラトが降りると、待ち構えていた人々の視線が一斉に集まった。
賢者の名を持つ少年を一目見ようと、好奇と期待が入り混じった空気が漂う。
カイエンがエリシアに向かって言う。
「いやあ、ホント助かりましたよ。乗合馬車だと三、四日はかかりますからね」
エリシアは冷めた目でカイエンを見る。
「しかもタダだしな。行政院に交通費の請求をするんじゃないぞ」
「いやいやっ、そんなことしませんよ。ほんとに団長ったら……」
エリシアは無言でカイエンを見つめる。
その視線に、カイエンは肩をすくめた。
「それじゃ、私は王都本院に行きますので、これにて」
エリシアは軽く手を上げて応える。
カイエンはソラトへ向き直った。
「じゃあソラトくん、またいつか」
ソラトは頭を下げる。
「いろいろ教えてくれてありがとうございました」
カイエンは満足げに頷き、来た道を引き返して王都本院へ向かっていった。
そのタイミングで、城側から案内役が歩み寄ってくる。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
丁寧な一礼とともに、三人を城内へと導いた。
案内役に導かれ、三人が通されたのは広い会議室だった。
長い楕円形の机、その奥に座るのは――王と、側近と思しき二人の人物。
ソラトは思わず足を止めた。
玉座の間ではない。
王冠もない。
服装は正装だが、どこか“儀式”とは違う、実務的な雰囲気が漂っている。
王は穏やかな笑みを浮かべ、手を軽く上げた。
「おお、君が賢者のソラトくんか。待っていたよ。勇者ミリィも一緒だったんだね」
その柔らかい声に、ソラトはさらに驚く。
自分が想像していた“王”とはまるで違った。
そんなソラトの表情を見て、王はくすりと笑った。
「なんか思ってたのと違う、と言いたげな顔だね」
「あっ、いえっ、その……王様に会うのは、もっとこう……大変なんだと……」
王は軽く肩をすくめる。
「時代がもう違うんだよ。
まあ、席について話そう」
促され、全員が席に着く。
侍女が静かに紅茶と、見たことのない珍しい菓子を並べていった。
ミリィは早速、紅茶に砂糖をどっさり入れ、ぐるぐると掻き回しながら菓子を頬張る。
その無邪気な姿に、場の空気が少し和らいだ。
ソラトは紅茶を混ぜながらふと思い出す。
――そういえば、エリシアさんから“王に会うときの注意”なんて何も言われていなかった。
自分の中の“王”のイメージは、もっと厳格で、近寄りがたい存在だった。
だが、目の前の王はまるで違う。
王は紅茶を置き、ソラトの目をまっすぐ見つめた。
その視線は厳しさではなく、何かを“確かめるような”静かな強さを帯びていた。
「ソラトくん。そもそも“王”とは何だと思う?」
突然の問いに、ソラトは思わず言葉を失った。
考えたこともないテーマだった。
少し考え、恐る恐る答える。
「……指導者、ですか」
王は小さく頷く。
「まあ、そんなところだね。
混乱の時代に、みんなが頼れる代表者――
それが“王”の始まりだろう」
そこで王は一度言葉を切り、侍女が置いた菓子に視線を落とす。
ミリィはすでに二つ目を食べていた。
王は続ける。
「ここからは宮廷学士が調べた話なんだけどね。
ナラカム王国ができる以前――五百年以上前のこの世界は、
魔王ゴルダークが支配していたらしい」
ソラトは息をのむ。
ミリィも菓子を食べる手を止めた。
「そして五百年前。
勇者と賢者、そして他六名――“八英雄”が魔王ゴルダークを倒し、
人々は解放された」
王の声は淡々としているが、その奥には歴史の重みが宿っていた。
「しかし、魔王がいなくなったあと……
今度は“人同士の争い”が始まった。
国が乱立し、奪い合い、裏切り、戦いが絶えなかった」
ソラトは胸の奥がざわつくのを感じた。
英雄が世界を救っても、平和は続かなかったのだ。
王は静かに続ける。
「その混乱を統率し、大陸をひとつにまとめたのが――
初代ナラカム王なんだよ」
エリシアがわずかに頷く。
その頷きは、王の言葉が単なる伝説ではなく、
“この国の根幹”であることを示していた。
王は少し背もたれに寄りかかり、遠い昔を思い返すように目を細めた。
「それから五百年――太平の世は続いた。
だがそれは、良くも悪くも“何も変わらない”ということでもあった。
政治も、魔法も、人々の暮らしも、ほとんど動かなかった」
ソラトは思わず紅茶を持つ手を止める。
五百年という時間の重さが、急に現実味を帯びて胸にのしかかる。
王は続ける。
「ところが、三十年前だ。
グランツが急速に発展し始めた」
ミリィが「グランツ?」と小さくつぶやく。
エリシアは静かに頷き、王の言葉を促すように視線を向けた。
「もともとグランツは大きな街だったが……
この三十年で人口が倍になった。
人が増え、市場が大きくなり、専門職が増えた。
街そのものが“別物”になったと言っていい」
王は指先で机を軽く叩きながら言葉を続けた。
「それを仕掛けたのが、グランツの行政院だ。
王都本院は世襲貴族が多いが、
グランツの行政院は違う。
騎士や魔導院の卒業生、実績で爵位を得た者たちが中心になっている」
エリシアがわずかに目を細める。
「彼らは、今まであまり使われていなかった“通貨”を上手く使い、
街を発展させたんだよ」
王は話を続ける。
「そして、グランツの行政院はそのやり方で地方を発展させる案を、本院に提出してきた」
ソラトは思わず身を乗り出す。
「へぇ……じゃあ、ナラカム王国はこれからもっと発展していくってことですよね」
王は苦笑を浮かべ、首を横に振った。
「それが、そう簡単にはいかないんだよ」
ソラトはきょとんとする。
王は静かに説明を続ける。
「グランツは勇者の家の領地だ。
だが地方のほとんどは、王都本院にいる“世襲貴族”の領地なんだ」
ソラトは素直に疑問を口にした。
「えっ……じゃあ、余計に良くないですか?
街が発展したほうが、みんな嬉しいはずなのに」
王はその反応を予想していたように、ゆっくりと頷いた。
「簡単に言うとね。
街が発展して物流が増えると、商人が力をつける。
商人が力をつけると、いずれ街は“貴族の領地”ではなく、
“市場の領域”になってしまう」
ソラトは息をのむ。
エリシアは無言で、しかしわずかに目を細めた。
王は続ける。
「グランツの場合、勇者の家は“国家の保護家門”だ。
もともと統治はグランツの行政院が行っていた。
だから発展しても問題はなかった」
王はそこで一度紅茶を口にし、静かに言葉を締めた。
「民にとっては、街が発展して栄えるほうが喜ばしい。
だが――統治する貴族にとっては、
“変わらないほうが自分たちのためになる”んだよ」
ソラトは胸の奥がざわつくのを感じた。
五百年続いた平和の裏側に、
“変わりたくない者たち”の存在があることを、初めて知った。
王はソラトの表情をじっと見つめ、ゆっくりと問いかけた。
「ソラトくん。王がなぜ“血筋”で受け継がれるのか、その理由はわかるかい」
突然の質問に、ソラトは思わず息をのむ。
王……血筋……権力……。
頭の中で言葉を組み立てながら、慎重に答えた。
「……無駄な権力争いをなくすため、ですか」
王は満足そうに微笑む。
「さすが賢者ソラトくん。その通りだよ」
エリシアは静かに頷いていた。
王は続ける。
「権力を安定して引き継ぐことが目的なんだ。
王という存在は本来、争いを止める“調停者”だ。
その地位が毎回争われてしまえば、国そのものが成り立たなくなる」
そこで王は一度言葉を切り、紅茶を口にした。
その間に、ソラトは“王”という存在の重さを改めて感じる。
王は再び口を開いた。
「だから人々はこう考えるようになった。
血筋で継げば、誰が王かで争わなくて済む、と。
つまり――世襲とは“争いを避けるための仕組み”なんだよ」
ソラトは静かに息をのむ。
世襲という言葉に、そんな意味があったとは思いもしなかった。
王はさらに続ける。
「それは貴族も同じ理由なんだ。
領地を巡って争わないように、家を守るために、
“血筋で継ぐ”という仕組みが生まれた」
ソラトは深く頷いた。
王の言葉は、ただの歴史ではなく、
“今の世界の形そのもの”を説明しているのだと感じた。
王は組んでいた手をほどき、ゆっくりと机の上に置いた。
その仕草には、これから語る内容が“核心”であるという静かな重みがあった。
「ただ、世襲には大きな問題もある」
ソラトは自然と姿勢を正す。
王は続ける。
「初代の王や貴族たちは“国をつくった人たち”だ。
他の人たちより優れたものがあったのだと思う。
だが、その才覚は血筋で受け継ぐことはできない」
ソラトは小さく息をのむ。
エリシアは静かに目を閉じ、王の言葉を噛みしめるように聞いていた。
「受け継ぐのは権力と財産だけ。
そのあとは、ただ自分の受け継いだ権力と財産を次の世代に渡すことだけが続いてしまう。
だから――何も変わらなくなるんだよ」
王の声は淡々としているが、その奥には五百年の重みが宿っていた。
ソラトは思わず紅茶を見つめる。
五百年という時間の中で、どれほどの“変わらなさ”が積み重なったのだろう。
王は続ける。
「だが、変わらないことは決して悪いことではない。
平和とは、変わらないことの上に成り立つものだからね」
王はそこで一度言葉を切り、ソラトの目をまっすぐ見つめた。
「しかし――グランツを見てわかるように、
多くの民が、そして“時代そのもの”が変革を求め始めている」
王は最後に、ゆっくりと、確信を込めて言った。
「そして五百年ぶりに現れた賢者が、
その変革を物語っているんじゃないかね」
ソラトは言葉を失った。
自分が“時代の象徴”として語られるなど、想像したこともなかった。
王はゆっくりと椅子に背を預け、深く息をついた。
その表情には、五百年の歴史を背負う者だけが持つ静かな疲労と覚悟が滲んでいた。
「私で二十二代目だ。
混乱の時代はとうに終わり、
もはや“王国”である必要すらなくなっている」
ソラトは思わず王の顔を見つめた。
王自らがそんなことを言うとは思っていなかった。
王は続ける。
「これからは――エリシア騎士団長のように、
才能を努力で磨き上げた人物こそが、
時代の牽引役にふさわしい」
ソラトは自然とエリシアへ視線を向けた。
そういえば、彼女がどういう経緯で騎士になり、
どうやって団長にまで上り詰めたのか――
年齢すら知らないことに気づく。
エリシアはソラトの視線に気づいたが、
何も言わず、ただ静かに王の話を聞いていた。
王は話を続ける。
「グランツの行政院の貴族たちも、
民の人気と信頼をどんどん集めている。
それと同時に、世襲貴族に対して疑問を抱く民も増えてきている」
ソラトは小さく息をのむ。
確かに、グランツの街は活気に満ちていた。
王は指先で机を軽く叩きながら言葉を続けた。
「人は血筋で決まらない。
こんな当たり前のことに、ようやく皆が気づき始めている」
だが王の声は、そこで少しだけ低くなった。
「……しかし、これは世襲貴族にとっては非常に都合が悪い」
ソラトは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
王は静かに続ける。
「だから――血筋は正当だと民に思わせるために、
“勇者”と“賢者”を利用しようとしている者もいる」
ソラトはカイエンが言っていた言葉を思い出す。
――勇者と賢者は血筋にしか現れない。
その言葉が、今はまったく違う意味を帯びて響いてくる。
自分が“誰かの都合のために使われる存在”なのかもしれないという恐れが、
静かに胸の奥に広がっていく。
王は長い説明を締めくくるように、ふっと表情を和らげた。
「この国の歴史と現状は……まあ、こんな感じだよ、ソラトくん」
重い話を終えたというのに、王の声はどこか軽やかだった。
長年抱えてきたものを、ようやく誰かに託せると感じているような――そんな響きがあった。
王は続ける。
「そういえば、今から旅に出るんだよね」
「はい、そうです」
ソラトは姿勢を正して答えた。
王の話を聞いたあとでは、旅の意味が少し違って見える。
王は優しく微笑む。
「その旅が終わって帰ってきたら……
もしよかったら、グランツの行政院を手伝ってやってほしい」
ソラトは息をのんだ。
自分に何ができるのかなんて、まったく分からない。
賢者と呼ばれても、実感はない。
王の言う“変革”に、自分が関われるのかどうかも分からない。
――でも。
今まで聞いてきた王の話が、胸の奥で静かに熱を帯びていく。
五百年ぶりに現れた賢者。
変わろうとする時代。
揺れ動く王国。
その中心に、自分が立っている。
気づけば、ソラトの口が自然に動いていた。
「……はい。その時は、必ず」
広く、果てしなく続くような城の廊下。
天井は高く、足音が静かに反響する。
ソラトと、眠ってしまったミリィを軽々と抱えたエリシアが並んで歩いていた。
ミリィは王の話の途中で、甘い菓子を食べながら眠りに落ちてしまったらしい。
エリシアの腕の中で、安心しきった顔で眠っている。
ソラトはふと口を開いた。
「でも……王様がああだなんて、驚きましたよ」
エリシアは前を向いたまま、淡々と答える。
「グランツやマッカリナじゃ誰でも知っていることだ。
五十年前から、ソラトが思うような“王の姿”ではないぞ。
リベッタは辺境だから、情報が止まってしまっているんだ」
ソラトは苦笑しながら頷く。
確かに、リベッタでは“王”といえば絵本の中のような存在だった。
「ちゃんと国のことを考えている王さまですよね。
あんな人こそ、王にふさわしいんじゃないのかな」
エリシアはそこで足を止め、ソラトのほうをちらりと見る。
その視線は厳しいが、どこか優しさも含んでいた。
「いくら志があっても、能力が付いてこなければふさわしくはない。
例えば――魔物を倒して民を守りたいと思っていても、
剣技が付いてこなければ、他の騎士の足手まといだろう」
ソラトは息をのむ。
エリシアの言葉は、いつも現実的で、痛いところを突いてくる。
エリシアは続ける。
「王は、そんな“足手まとい”にならないように、
今は精いっぱい頑張っているように見えたぞ」
その言葉に、ソラトの胸がじんわりと熱くなる。
――王は、自分がやりたいけれど出来ないことを、
自分に託してきたのかもしれない。
そう思うと、胸の奥が少しだけ重く、そして温かくなった。
エリシアは眠るミリィを抱え直し、再び歩き出す。
ソラトもその後ろを静かに追った。
いよいよ廊下の先には、旅の始まりが待っている。




