魔導院の静寂に響くリヴェルの名
翌朝。
ソラトは軽い足取りで勇者邸へ向かって歩き出した。
昨日と同じ街並みのはずなのに、どこか違って見える。
制服姿で、赤や青の杖を持ったハーフエルフの子どもたちが通りを歩いている。
魔法学校の生徒だろうか。
彼らの杖が朝日に反射してきらりと光る。
(それにしても……人だらけだな)
その賑やかさに少し圧倒されながらも、
ソラトはどこか楽しく感じていた。
そうこうしているうちに、勇者邸の鉄柵が見えてくる。
(あれ、思ったより早く着いたな)
街を見物しながら歩いていたせいで、時間が短く感じたのだろう。
門の前に立ったソラトは、ふと気づく。
(……エリシアさんって、この敷地のどこに行けば会えるんだ?)
勇者邸は広い。
庭も広い。
建物も大きい。
どこに行けばいいのか、まったく分からない。
門の前で立ち止まり、どうしようかと考え込むソラト。
その様子を、門の警備兵二人がじっと見ていた。
鋭い視線。
無言の圧。
ソラトは視線に気づき、慌てて背筋を伸ばす。
そして――
考えるより先に、口が動いた。
「エリシアさん、どこですか!」
警備兵二人は顔を見合わせた。
一人が少し考えたあと、慎重にソラトへ問いかける。
「……騎士団長の身内の方かなにかかな?」
「えっ、あ、いや、その……!」
ソラトはあわあわと手を振り、
どう説明すればいいのか分からず混乱する。
声は裏返り、表情は完全に挙動不審。
その時――
「どうした、警備兵」
門の中から、澄んだ声が響いた。
エリシアだった。
彼女は門の影から姿を現し、
ソラトを見つけると、少し呆れたように笑う。
「なんだ、ソラトじゃないか。
どうした、出発はまだだぞ」
ソラトは心底ほっとした顔で駆け寄った。
「よかった……エリシアさん。
どうしようかと焦りましたよ」
警備兵たちはこの様子を見て、
「ああ、そういうことか」と納得したように頷き、
再び門の警備に戻っていった。
エリシアはソラトを門の内側へ招き入れ、
観光客の流れを避けるように、敷地の端の静かな場所へ移動した。
朝の光が芝生に反射し、風がほんのりと草の匂いを運んでくる。
「それで、私に何か用事か」
腕を組んだエリシアが、いつもの落ち着いた声で尋ねる。
ソラトは迷わず切り出した。
「魔法の杖の使い方を教えてもらえる人はいないですか」
エリシアは一瞬、ぽかんとした顔をした。
“魔法の杖? 何の話だ?”という表情。
ソラトは昨日、ガルドから杖をもらったことを説明した。、
エリシアは話を聞き終えると、
「なるほど」と頷いた。
「そういうことなら……魔法学校の校長を紹介しよう」
ソラトの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、エリシアさん!
で、学校の場所は……」
エリシアは軽く笑った。
「学校は行政院のすぐ近くにある。
私は今から行政院に行くところだったから、学校まで案内するぞ」
ソラトは心底ほっとした顔で頭を下げた。
「助かります」
エリシアは踵を返し、
「ついてこい」と軽く手を振る。
ソラトは駆け足でその後を追った。
魔法学校は勇者邸のすぐ近くにあった。
立派な門構えで、校名碑には堂々と刻まれている。
ナラカム王立魔導院
エリシアは慣れた足取りで門をくぐる。
授業が始まっているのか、校内は静かで、
魔力の気配だけが淡く漂っていた。
迷うことなく廊下を進み、校長室の前で立ち止まる。
コン、コン。
「どうぞ」
落ち着いた声が返ってきた。
エリシアはドアを開け、ソラトを連れて中へ入る。
校長は知的で、どこか癖のある優しさをまとった初老の男性。
机の上には魔導書が山のように積まれている。
エリシアの姿を見ると、校長はぱっと表情を明るくした。
「おお、団長。久しぶりじゃないか。
またいつもの後衛探しかな」
エリシアは首を振る。
「いや、今日は彼に杖の使い方を教えてやってくれないか。
彼はリベッタ村から来た――
ソラト・リヴェル だ」
その名を聞いた瞬間、
校長の目が大きく見開かれた。
驚きが、隠しきれない。
ソラトは慌てて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
校長はしばらくソラトを見つめ、
その表情は“信じられないものを前にした学者”そのものだった。
そして、かすれた声でつぶやく。
「……リヴェル、だと……?」
ソラトは、さっきエリシアに話したのと同じ内容を丁寧に説明した。
校長は腕を組みながら静かに聞いていたが、話が終わるとすぐに尋ねた。
「なるほど、そういうことですか。
で、ソラトくん、その杖は持ってこなかったのかね」
ソラトは「あっ」と思い出したように手を前に出す。
「これです」
ブンッ
小さな音とともに、赤い杖がソラトの手の中に現れた。
校長もエリシアも、同時に目を見開く。
校長は椅子から半分立ち上がりながら叫んだ。
「そっ、ソラトくん……これはいったい……!」
ソラトは平然と答える。
「あっ、これですか。
うちの魔導書庫に“杖の格納”の魔導書があったんですよ。
その魔法です」
校長は震える声で言った。
「杖の格納……?
そんな魔法、聞いたことがないぞ……」
ソラトは軽く頷く。
「ですよね。ガルドさんも言ってました。
多分、うちの先祖のオリジナル魔法なんじゃないかな」
校長もエリシアも、完全に固まった。
空気が止まる。
気まずくなったソラトは、そっと声をかけた。
「ああ、この魔術、けっこう簡単な魔術式なんですよ。
良かったら教えましょうか」
その瞬間――
固まっていた校長がガタッと動いた。
「ぜっ、ぜひ教えてください!」
ソラトが「じゃあ何か書くものとか……」と言いかけるより早く、
「はいどうぞ!」
校長は紙と筆を差し出していた。
ソラトは紙を受け取り、説明しながら魔術式を書き始める。
「……つまりこれは、分解と再構築に近いイメージなんですよね」
校長は身を乗り出して聞く。
「ふんふん、なるほど……!」
「だからこの時、魔力を手のひらから――」
「ほー、そういう理屈か……なるほど……!」
校長は完全に“弟子”の顔になっていた。
その横でエリシアは、行政院に行く用事があったことを思い出し、声をかけようとする。
「校長、私は――」
だが校長はソラトの説明に夢中で、
エリシアの声はまったく耳に届かない。
エリシアは小さくため息をつき、
「まあいいか」と黙って部屋を出ていった。
校長室には、
ソラトの説明と、
校長の「ほほう……!」という声だけが響いていた。




