新しい村の始まりの日
朝の光が納屋の隙間から差し込み、埃の粒が金色に揺れていた。
ガルドは馬車を引き出し、荷台の留め具を一つひとつ確かめていく。木の車輪がきしむ音が、静かな朝の空気にゆっくりと溶けていった。
その少し離れた場所で、ハルデン一家がソラトの前に立っていた。
ハルデンは深く息を吸い込み、震える指でソラトの手を握る。
「本当にありがとう、ソラトくん。
これで……ここに村を作る希望が出てきたよ。
本当に、ありがとう」
胸の奥から絞り出すような声だった。
ソラトは照れたように視線をそらしながらも、しっかりとうなずく。
ニーナが一歩前に出て、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうね。ほんと助かったわ」
そう言って、包みを差し出す。
「これは今朝作っといたお弁当よ。お昼にでも食べて」
ソラトが受け取ると、包みからふわりと温かい匂いが立ちのぼった。
レオは少し照れながらも、真っ直ぐな目でソラトを見る。
「ソラト……帰りは必ず寄ってくれよな。
その時は、今よりもっと発展させてるから」
ソラトは自然と笑みを返した。
「うん。必ず立ち寄るよ。楽しみにしてる」
その言葉に、レオの顔がぱっと明るくなる。
ハルデンもニーナも、未来を見つめるように静かにうなずいた。
ちょうどその時、馬車の準備を終えたガルドが、手を振りながら近づいてくる。
ハルデンはふと何かを思い出したように、ソラトへ視線を向けた。
その目には感謝だけではなく、理解しようとする真剣な光が宿っている。
「ところで……ちょっと気になったんだが、ソラトくんは詠唱なしで魔法を発動させられるんだよね」
問いかけに、ソラトは素直にうなずいた。
「うん、そうですよ」
ハルデンは腕を組み、遠い昔を振り返るように目を細める。
「私は騎士の時、魔物討伐のパーティーに魔法使いが何人もいたが……
みんな詠唱していた。
そんなことが出来る者は初めて見たよ」
ハルデンはさらに続ける。
「それに……見たところ属性が複数で、しかも同時に発動させていたよね。
あんな魔法も見たことがない……あれはいったい……」
ソラトは言葉に詰まった。
自分以外の魔法使いを見たことがないから、何が普通なのか判断がつかない。
「えっと……その……」
困ったように視線を泳がせた、その瞬間――
馬車の準備を終えたガルドが、軽く笑いながら近づいてきた。
「ソラトくんは規格外なんですよ。
なんといっても――あの賢者の末裔ですから」
ガルドの言葉を聞いた瞬間、ハルデンは目を大きく見開いた。
「……やはりそういうことですよね、あの賢者の子孫…
なるほど、ただの魔法使いじゃないわけだ……」
驚きと納得が入り混じった声だった。
ガルドは馬車の手綱を整えながら、苦笑いを浮かべる。
「私も最初は驚きましたよ。
なんせ、この前村に来た時のソラトくんは、どこにでもいる普通の少年でしたからね。
それが突然覚醒して、これですから」
ハルデン一家の視線が自然とソラトへ向く。
少年は照れくさそうに頬をかき、視線をそらした。
ガルドは続ける。
「これが“血筋で受け継ぐ能力”というやつでしょう。
グランツにいる勇者も規格外ですからね」
その言葉に、ソラトの胸がわずかに高鳴った。
(グランツの勇者……規格外……
どんな人なんだろう。
グランツに着いたら、まず会いに行ってみよう。
箱に入っていた紙にも書いていたし)
自然とそんな思いが浮かんでくる。
ハルデンは腕を組み、深くうなずいた。
「ようやく腑に落ちましたよ。
詠唱なし、複数属性、同時発動……
それに、杖なしであの精度と威力……」
その言葉に、ガルドの手がふと止まった。
「……そういえばソラトくん。
魔法の杖は持ってないのかね」
ソラトはきょとんとした顔で首をかしげる。
「なにそれ」
その瞬間、ハルデンとガルドは同時に固まった。
“魔法の杖を知らない魔法使い”――
その事実が、ソラトの規格外ぶりをさらに際立たせていく。
ガルドとソラトは馬車に乗り込んだ。
朝の光が木々の間からこぼれ、車輪がゆっくりと軋む。
ハルデン一家は馬車の横に並び、名残惜しそうに立っていた。
ガルドは帽子のつばを軽く上げ、礼儀正しく挨拶する。
「それではどうも」
ソラトも深く頭を下げた。
「どうもお世話になりました」
ハルデンは笑顔で首を振る。
「それはこっちのセリフですよ。
お二人とも、必ずまた寄ってくださいね」
馬車がゆっくりと動き出す。
ソラトは思わず身を乗り出し、大きく手を振った。
「じゃあ、また!」
ハルデン一家も手を振り返す。
ニーナは目を細め、レオは全力で腕を振り、ハルデンは誇らしげに微笑んでいた。
しばらくして、ガルドがふと思い出したように声をかける。
「ソラトくん。街についたら、君に渡したいものが出来たよ」
ソラトは前に向き直り、目を丸くした。
「えっ、何をですか」
ガルドは少し意地悪そうに笑う。
「それは、ついてからのお楽しみにしておこうか」
ソラトは考えた。
さっきの会話の流れから推測して――
「……魔法の杖ですか」
ガルドは思わず吹き出し、肩をすくめた。
「やっぱりソラトくんは賢者だね」
馬車はそのまま荒野へと進んでいく。
風が頬を撫で、遠くの地平線が揺らめいて見えた。
ソラトの胸には、これから始まる新しい旅への期待が、静かに、しかし確かに膨らんでいた。




