賢者の末裔ソラトと八英雄の遺産
やがて家が見えなくなり、馬車が森の小道へ差しかかったころ、
ソラトはようやく前を向き直って座り直した。
馬車は、人が歩くのと変わらないほどのゆっくりした速度で進んでいる。
「馬車ってこんなに遅いものなのか」と首をかしげていると、
ガルドが笑いながら声をかけてきた。
「このあたりは道が悪いからスピードが出せないけど、森を抜けたらもう少し早く走れるよ」
「ですよね。一瞬“えっ”て思っちゃいました」
ガルドは手綱を軽く引きながら、楽しそうに続ける。
「ところでソラトくん、グランツに着いたら宿泊はうちに来なさい」
「えっ、いいんですか?」
「昨夜、お父さんとお母さんに頼まれててね。
それに、うちは子どもも家を出て妻と二人暮らしだし、ソラトくんが来てくれたら妻も喜ぶよ」
ガルドはふと横目でソラトを見て、少し意地悪そうに聞いた。
「ところで、ソラトくんは食事とか寝泊まりはどうするつもりだったんだい?」
ソラトはあっけらかんと答える。
「狩りして、野宿するつもりだったよ」
ガルドは思わず吹き出した。
「ソラトくん、賢そうな顔してるのに……意外と野生児だね」
二人で笑い合うと、ガルドは少し真面目な声で言った。
「グランツの街は都会で、リベッタ村とはかなり違うからね。
道中でいろいろ教えておくよ」
ソラトは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにうなずいた。
「ありがとう、ガルドさん」
馬車は森の木漏れ日の中を、ゆっくりと進んでいく。
やがて馬車は森を抜け、視界の先に大きな湖が広がった。
陽の光を受けて揺れる水面は、まるで空を映した鏡のようだ。
ソラトがロックと遊びに来たことがあるのは、この湖のあたりまで。
ここから先は、ソラトにとってまだ見たことのない世界だった。
道が良くなり、馬車は速度を上げる。
湖を横目に見ながら、風が少し強くなり、旅の匂いが濃くなる。
湖を過ぎると、広い平原が現れ、その向こうには山脈が連なっていた。
そして、その手前――空気の層が揺らぐように、薄い膜のようなものが見えてくる。
ガルドが前を指さした。
「結界が見えてきたぞ」
ソラトは息をのむ。
リベッタ村の結界を見るのは、これが初めてだった。
ガルドはあらためて感嘆の声を漏らす。
「こんな広範囲に張ってる結界が五百年も続いてるなんて……
ソラトくんの祖先は、本当にすごいな」
馬車は結界へと近づいていく。
光のカーテンのような膜が、風に揺れるようにきらめいていた。
そして――
馬車はその光をくぐり抜けた。
一瞬、空気が変わる。
胸の奥がふっと軽くなり、世界が広がったように感じた。
その瞬間、ソラトははっきりと悟った。
――自分の冒険が、今まさに始まったのだ。
ワクワクが止まらず、胸が熱くなる。




