第56話:教会からの新たな監視官派遣
王宮から戻って一週間。
日常が、戻りつつあった。
授業、訓練、課題。
外交実習前と同じ生活だった。
しかし、平和は長くは続かなかった。
「殿下、大変です」
ある朝、セラが血相を変えて駆け込んできた。
「どうしましたか」
「教会から、新しい監視官が派遣されたそうです」
「監視官……」
「しかも、今までとは違う、高位の監察官だそうです」
ルーカスの顔が、少し曇った。
* * *
その日の午後、学院長から呼び出しがあった。
ルーカスは、学院長室に向かった。
「殿下、お待ちしていました」
学院長の顔は、いつもより硬かった。
「何があったのですか」
「教会から、正式な通達がありました」
「通達……」
「殿下の監視を担当する、新しい監察官が着任します」
「新しい監察官……」
「名前は、エリアス・ブレンナー。教会の『異端審問官』です」
異端審問官。
その言葉に、ルーカスの体が強張った。
「異端審問官……」
「はい。『禁忌』を専門に扱う、特殊な監察官です」
「……」
「彼は、今日の夕方、学院に到着します」
学院長の声は、重かった。
* * *
夕方、学院の門に、馬車が到着した。
中から、一人の男が降りてきた。
黒いローブを着た、若い男だった。
年齢は、三十代前半くらいだろうか。
鋭い目つきで、周囲を見回していた。
「エリアス・ブレンナー監察官です」
学院長が、出迎えた。
「学院長、お会いできて光栄です」
エリアスは、丁寧に挨拶した。
しかし、その目には、何か冷たいものがあった。
「早速ですが、第三王子殿下にお会いしたい」
「殿下は、今……」
「すぐにお願いします」
エリアスの声は、断定的だった。
学院長は、少し困った顔をしながら、頷いた。
* * *
ルーカスは、学院長室に呼ばれた。
そこには、エリアスが待っていた。
「初めまして、殿下」
「初めまして」
「私は、エリアス・ブレンナー。教会の異端審問官です」
「異端審問官……」
「はい。殿下の監視を担当することになりました」
エリアスの目が、ルーカスを見つめた。
その目には、探るような色があった。
「殿下、単刀直入に聞きます」
「何でしょうか」
「外交実習で、殿下は不思議な力を見せたと聞いています」
「……」
「皮膚が金属のように光り、人間離れした動きをしたと」
「……はい」
「それは、事実ですか」
「……」
ルーカスは、どう答えるべきか迷った。
否定しても、証言がある。
認めれば、「禁忌」として扱われる。
「事実です」
ルーカスは、正直に答えた。
嘘をついても、見抜かれるだろう。
「なるほど」
エリアスは、小さく頷いた。
その顔には、勝ち誇ったような表情があった。
* * *
「殿下、あなたは『禁忌』です」
「……」
「教会は、『禁忌』を認めていません。あなたは、本来ならば処分されるべき存在です」
「エリアス監察官、言葉を選びなさい」
学院長が、厳しい声で言った。
「殿下は、王族です。軽々しく『処分』などと言うべきではありません」
「失礼しました。しかし、事実を述べたまでです」
エリアスは、平然としていた。
「殿下、私は今後、あなたを監視します」
「……」
「あなたが『禁忌』の力を使えば、すぐに報告します。そして、適切な処置が取られるでしょう」
「適切な処置……」
「はい。あなたが危険でないことを証明できれば、問題ありません。しかし、危険と判断されれば……」
エリアスは、言葉を切った。
その意味は、明らかだった。
「分かりました」
ルーカスは、静かに答えた。
「では、今日はこれで。また、お会いしましょう」
エリアスは、部屋を出ていった。
* * *
エリアスが去った後、学院長がため息をついた。
「厄介な人物が来ましたね」
「はい……」
「殿下、気をつけてください。彼は、以前の監察官とは違います」
「違う……」
「はい。彼は、『禁忌』を排除することに、使命感を持っています」
「使命感……」
「彼にとって、『禁忌』は悪です。排除すべき存在です。話し合いや妥協は、通用しません」
学院長の言葉は、重かった。
「どうすれば、いいのでしょうか」
「力を見せないことです。彼に、口実を与えないこと」
「分かりました」
「殿下、辛いかもしれません。しかし、耐えてください」
「はい」
ルーカスは、頷いた。
* * *
部屋に戻ると、セラが待っていた。
「殿下、どうでしたか」
「厳しい人でした」
「……」
「僕を『禁忌』と断言していました。監視すると」
「そんな……」
「でも、大丈夫です」
「え……」
「力を使わなければ、問題ありません。今まで通り、普通に生活します」
「殿下……」
セラの目には、心配の色があった。
ルーカスは、微笑んで彼女の手を取った。
「セラがいれば、大丈夫です」
「殿下……」
「約束しましたよね。一緒に乗り越えると」
「はい……」
「だから、大丈夫です」
セラは、少し涙ぐんでいた。
ルーカスは、彼女の涙を拭った。
* * *
翌日から、エリアスの監視が始まった。
彼は、学院内に常駐するようになった。
ルーカスの授業、訓練、食事。
全てを、見張っていた。
「殿下、あの人、ずっと見ていますね」
セラが、小声で言った。
「分かっています」
「不気味です……」
「でも、何も悪いことはしていません。堂々としていればいいのです」
「……はい」
ルーカスは、平静を装っていた。
しかし、内心は緊張していた。
エリアスの目は、鋭かった。
少しの隙も、見逃さないだろう。
力を使うことは、絶対に避けなければならない。
* * *
数日後、エリアスがルーカスに声をかけてきた。
「殿下、少しお話がしたい」
「何でしょうか」
「殿下の過去について、聞きたいことがあります」
「過去……」
「はい。殿下は、いつから『禁忌』の力を持っていたのですか」
「……」
ルーカスは、慎重に言葉を選んだ。
「覚えていません」
「覚えていない……」
「気づいたときには、普通の人より力が強かったです。それ以上は、分かりません」
「なるほど」
エリアスは、ルーカスの顔をじっと見つめた。
嘘を見抜こうとしているのだろう。
「殿下、一つ忠告します」
「何でしょうか」
「嘘は、いずれバレます。正直に話した方が、身のためです」
「嘘は、言っていません」
「そうですか。なら、いいのですが」
エリアスは、にやりと笑った。
その笑顔には、不穏なものがあった。
* * *
その夜、ルーカスは考え込んでいた。
エリアスの監視。
それは、今までとは次元が違う。
彼は、本気で自分を排除しようとしている。
「どうすれば……」
小さく呟いた。
力を使わなければ、問題ない。
しかし、何か起きたとき、力を使わないわけにはいかない。
人命が危険なとき、自分だけが助けられるとき。
そのとき、どうするのか。
「考えても、答えは出ない……」
ため息をついた。
コンコン。
ドアがノックされた。
「はい」
ドアを開けると、セラが立っていた。
「殿下、眠れませんか」
「少し、考え事を」
「私も、です」
「入ってください」
ルーカスは、セラを部屋に入れた。
「殿下、あの監察官のこと、心配ですか」
「少しだけ」
「私も、心配です」
「……」
「でも、私は殿下を守ります」
「セラ……」
「何があっても、殿下の味方です。それだけは、忘れないでください」
セラの目には、強い決意があった。
ルーカスは、その目を見つめた。
「ありがとう、セラ」
「お礼は、いりません」
「でも、言わせてください。セラがいてくれて、本当に心強いです」
「殿下……」
セラの顔が、赤くなった。
「これからも、一緒に乗り越えましょう」
「はい」
二人は、手を握り合った。
困難は、まだ続く。
しかし、一人ではない。
セラがいる。
それだけで、頑張れる。
ルーカスは、そう思いながら、夜を過ごした。




