第39話:第2部クライマックス前哨戦「監査の罠」
特別監査の日が来た。
会場は、学院の大訓練場だった。
広大なフィールドの周囲には、教会の監察官たちが並んでいた。
その数は、十人以上。
これまでにない規模だった。
「殿下、準備はいいですか」
セラが、控え室で声をかけた。
ルーカスは、深呼吸をした。
「はい。準備はできています」
「無理をしないでください」
「分かっています」
「私は、ずっと見ています。何かあったら、すぐに駆けつけます」
「ありがとう、セラ」
二人は、お互いの手を握り合った。
セラの手は、少し震えていた。
心配しているのだろう。
「大丈夫です。乗り越えてみせます」
「はい。信じています」
ルーカスが、微笑んだ。
セラも、微笑んだ。
しかし、その目には、涙が浮かんでいた。
* * *
大訓練場に入ると、厳しい空気が流れていた。
教会の高位監察官、アウグスト・ヴェーバーが待っていた。
その隣には、ヴィンセント・モローもいた。
「殿下、お待ちしておりました」
アウグストが、冷たい声で言った。
その目には、獲物を見るような光があった。
「では、特別監査を始めます」
「内容を、教えてください」
「実戦形式の試験です。殿下の戦闘能力を、測定します」
「相手は」
「こちらで用意しました」
アウグストが、手を振った。
訓練場の反対側から、三人の男が現れた。
全員、黒い衣を着ていた。
教会の粛清騎士だ。
「三人……同時にですか」
「はい。殿下の実力を正確に測るためです」
「……分かりました」
ルーカスは、訓練場の中央に立った。
木剣を受け取る。
相手も、木剣を構えた。
「では、開始してください」
アウグストが、合図を出した。
三人の粛清騎士が、同時に動いた。
* * *
三人の攻撃が、同時に襲いかかってきた。
速い。
教会の粛清騎士は、実戦で鍛えられた戦士だ。
学院の生徒とは、比較にならない強さだった。
ルーカスは、三人の攻撃を避けた。
しかし、反撃はしなかった。
力を抑えなければならない。
異常を見せてはならない。
「どうした、殿下。反撃しないのですか」
アウグストが、挑発するように言った。
ルーカスは、答えなかった。
集中していた。
三人の粛清騎士が、再び攻撃を仕掛けてきた。
連携が取れている。
一人が正面から、二人が左右から。
逃げ場を塞ぐような攻撃だった。
ルーカスは、小さく動いて攻撃を避けた。
最小限の動きで、最大限の効果を得る。
それが、力を隠すための戦い方だった。
「避けてばかりですね。それでは、試験になりません」
ヴィンセントが、にやにやと笑っていた。
ルーカスは、彼を無視した。
挑発に乗ってはいけない。
しかし、状況は厳しくなっていった。
三人の粛清騎士の攻撃は、どんどん激しくなっていった。
明らかに、本気で攻撃してきていた。
訓練の域を超えていた。
「くっ……」
木剣が、ルーカスの腕をかすめた。
痛みが走った。
しかし、その痛みが、身体に変化をもたらそうとしていた。
――警告:外部刺激検知。防衛モード起動準備。
脳内に、赤い文字が浮かんだ。
まずい。
「自己修復」が、活性化し始めている。
痛みに反応して、身体が変化しようとしている。
「落ち着け……」
小さく呟いた。
深呼吸をする。
身体の変化を、抑えようとする。
しかし、粛清騎士たちは止まらなかった。
攻撃は、さらに激しくなっていった。
ルーカスの身体に、何度も木剣が当たった。
痛みが、蓄積していった。
* * *
観客席では、セラが顔を青くしていた。
ルーカスが、追い詰められているのが分かった。
「あれは……試験ではありません」
隣にいたマーガレット先生が、低い声で言った。
彼女も、状況を理解していた。
「あの粛清騎士たちは、本気で攻撃しています。殿下を傷つけようとしています」
「なぜ……」
「殿下を暴走させるためです。痛みを与えて、『自己修復』を活性化させようとしています」
「そんな……」
セラの顔が、さらに青くなった。
これは、試験ではない。
罠だ。
ルーカスを暴走させるための、罠だ。
「止めなければ……」
セラが、立ち上がろうとした。
しかし、マーガレット先生に止められた。
「待ってください。今、飛び出しても、状況は変わりません」
「でも……」
「殿下を信じましょう。殿下なら、乗り越えられます」
「……」
セラは、唇を噛んだ。
信じるしかない。
ルーカスを、信じるしかない。
* * *
訓練場では、攻防が続いていた。
ルーカスの身体には、いくつもの傷ができていた。
木剣とはいえ、本気で打たれれば痛い。
その痛みが、身体を変化させようとしていた。
――警告:システム負荷上昇。防衛形態移行準備中。
脳内の警告が、激しくなっていた。
身体が、熱くなっていく。
皮膚に、金属のような光沢が走り始めていた。
「見えました! 殿下の腕が光っています!」
ヴィンセントが、叫んだ。
アウグストが、満足そうに微笑んだ。
「やはり、『禁忌』ですな」
「これは、証拠になります。殿下は、人間ではありません」
二人の監察官が、勝ち誇ったように言った。
ルーカスは、必死に耐えていた。
「止まれ……止まってくれ……」
身体に、語りかけていた。
変化を、止めようとしていた。
しかし、痛みと怒りが、抑えを外そうとしていた。
粛清騎士たちが、さらに攻撃を強めてきた。
渾身の一撃が、ルーカスの背中に当たった。
激しい痛みが、走った。
その瞬間、ルーカスの意識が、遠くなりかけた。
身体が、完全に変化しようとしていた。
防衛形態への移行が、始まりかけていた。
* * *
「殿下!」
セラの声が、訓練場に響いた。
彼女は、観客席を飛び出していた。
訓練場に向かって、走っていた。
「ルーカス! 私の声が聞こえますか!」
その声が、ルーカスの意識に届いた。
遠くなりかけていた意識が、少しずつ戻ってきた。
「セラ……」
「ルーカス! 大丈夫です! 私がいます!」
セラが、訓練場のフェンスに駆け寄った。
その目には、涙が浮かんでいた。
しかし、強い光が宿っていた。
「深呼吸してください! ゆっくり、息を吸って、吐いて!」
セラの言葉に従って、ルーカスは深呼吸をした。
ゆっくりと、息を吸う。
ゆっくりと、吐く。
身体の熱が、少しずつ引いていった。
金属光も、薄れていった。
意識が、はっきりしてきた。
「セラ……」
「大丈夫です。私がいます」
「ありがとう……」
ルーカスの目から、涙がこぼれた。
セラの声が、アンカーになった。
暴走を、止めることができた。
* * *
「ヴェルディ殿、何をしているのですか!」
アウグストが、怒りを込めて叫んだ。
セラは、振り返らなかった。
「試験を妨害しています! 退場しなさい!」
「妨害ではありません。殿下を守っているだけです」
「守る……? これは、正式な監査です!」
「監査ではありません。これは、罠です」
セラが、冷たい声で言った。
アウグストの顔が、歪んだ。
「罠……何を言っているのですか」
「殿下を暴走させるために、わざと傷つけていました。それは、監査ではなく、拷問です」
「証拠があるのですか」
「あの粛清騎士たちの攻撃を見れば、分かります。訓練の域を超えています」
「……」
アウグストは、言葉に詰まった。
セラの指摘は、正しかった。
彼らは、ルーカスを傷つけるために、本気で攻撃していた。
それは、明らかに「監査」の範囲を超えていた。
「学院長!」
セラが、観客席に向かって叫んだ。
学院長が、立ち上がった。
彼女も、状況を見ていた。
「監査は、中止します」
学院長が、宣言した。
アウグストが、抗議しようとした。
「待ってください。まだ……」
「アウグスト監察官、あなた方の行為は、明らかに規定を逸脱しています。これ以上の監査は、認められません」
「しかし……」
「抗議があれば、後日、正式な手続きで行ってください。今日は、これで終わりです」
学院長の言葉は、断固としていた。
アウグストは、悔しそうな顔をしていたが、それ以上は何も言えなかった。
* * *
監査が中止になった。
粛清騎士たちは、引き上げていった。
監察官たちも、不満そうな顔で去っていった。
ルーカスは、訓練場の中央に座り込んでいた。
身体中が、痛かった。
しかし、それ以上に、心が疲れていた。
「殿下……」
セラが、駆け寄ってきた。
ルーカスの隣に、膝をついた。
「大丈夫ですか」
「はい……大丈夫です」
「怪我は……」
「少しだけ。大したことはありません」
「良かった……」
セラの目から、涙がこぼれた。
ルーカスは、その涙を拭った。
「セラ、ありがとう」
「何がですか」
「助けてくれて」
「……当然のことをしただけです」
「でも、ありがとう。セラの声が聞こえなかったら、暴走していたかもしれません」
「……」
セラは、何も言えなかった。
ただ、涙を流していた。
「セラがいてくれて、本当に良かった」
「私も……殿下がいてくれて、良かったです」
二人は、お互いを見つめた。
涙を流しながら、微笑み合った。
* * *
マーガレット先生が、駆け寄ってきた。
医療道具を持っていた。
「殿下、傷の手当てをしましょう」
「ありがとうございます」
「ここでは目立ちます。医務室に行きましょう」
「はい」
ルーカスは、セラに支えられながら立ち上がった。
身体が、少しふらついた。
しかし、歩くことはできた。
「殿下、今日は本当によく耐えましたね」
マーガレット先生が、静かに言った。
ルーカスは、少し微笑んだ。
「セラのおかげです」
「いいえ。殿下の意志の力です」
「意志の力……」
「殿下は、人間として生きようとしています。その意志が、暴走を止めたのです」
「……」
「誇りに思っていいと思いますよ」
マーガレット先生が、微笑んだ。
ルーカスは、その言葉に胸が温かくなった。
監査は、何とか乗り越えた。
暴走は、ギリギリで止められた。
しかし、戦いはまだ続く。
教会は、諦めないだろう。
次の罠が、待っているかもしれない。
それでも、諦めない。
セラがいる。
味方がいる。
人間として生きるという夢がある。
それを胸に、ルーカスは前を向いた。
新たな試練を、乗り越えるために。




