第32話:検査当日、ギリギリの演技で乗り切る
検査当日の朝。
ルーカスは、いつもより早く目を覚ました。
緊張で、あまり眠れなかったからだ。
窓の外を見る。
朝日が、静かに昇り始めていた。
今日という日が、始まろうとしていた。
「よし……」
ルーカスは、ベッドから起き上がった。
机の上に置いてあった鎮静剤の小瓶を手に取る。
検査の一時間前に飲む、とマーガレット先生は言っていた。
まだ、飲むには早い。
身支度を整え、朝食を済ませた。
食欲は、あまりなかった。
しかし、体力をつけるために、無理やり食べた。
* * *
検査は、午前十時から行われる。
会場は、学院の医務棟だった。
普段の医務室とは別の、検査専用の施設だ。
九時になると、セラが迎えに来てくれた。
「殿下、調子はいかがですか」
「緊張しています」
「大丈夫です。練習した通りにやれば、うまくいきます」
「はい」
「私も、傍にいます」
「ありがとうございます」
セラの言葉に、少し気持ちが楽になった。
一人ではない。
それを、改めて実感した。
「鎮静剤は、飲みましたか」
「まだです。九時に飲む予定です」
「では、今ですね」
「はい」
ルーカスは、小瓶を取り出した。
スプーンに一杯分を注ぐ。
透明な液体が、光を反射した。
「では、飲みます」
「はい」
ルーカスが、鎮静剤を飲んだ。
苦い味が、口の中に広がった。
しかし、すぐに飲み込んだ。
しばらくすると、身体が少しずつ重くなってきた。
眠気も、じわじわと押し寄せてくる。
これが、鎮静剤の効果だろう。
「効いてきましたか」
「はい。少し、眠いです」
「大丈夫ですか」
「大丈夫です。これくらいなら、耐えられます」
ルーカスが、首を振った。
鎮静剤の副作用は、想定内だった。
むしろ、これで「自己修復」が抑えられるなら、ありがたい。
* * *
医務棟に到着した。
入り口には、教会の役人が待っていた。
冷たい目で、ルーカスを見ている。
「第三王子殿下ですね。こちらへどうぞ」
「はい」
ルーカスは、役人の後について歩いた。
セラも、一緒に来ようとした。
「付き添いの方は、待合室でお待ちください」
「しかし……」
「規則です」
役人が、きっぱりと言った。
セラは、悔しそうな顔をした。
しかし、従うしかなかった。
「殿下、頑張ってください」
「はい。大丈夫です」
「私は、ここで待っています」
「ありがとう、セラ」
ルーカスは、セラに小さく頷いた。
そして、検査室に向かった。
* * *
検査室は、白い壁に囲まれた部屋だった。
中には、様々な検査器具が並んでいた。
そして、三人の人物がいた。
一人は、教会の医療官。
白衣を着た、中年の男性だ。
もう一人は、監察官のヴィンセント・モロー。
そして、もう一人は、学院のマーガレット先生だった。
「先生……」
「学院長の許可で、立ち会うことになりました」
「ありがとうございます」
マーガレット先生がいてくれることで、少し安心した。
彼女なら、不当な検査を止めてくれるだろう。
「では、検査を始めます」
医療官が、無機質な声で言った。
ルーカスは、指示された椅子に座った。
検査が、始まった。
* * *
最初は、血液検査だった。
腕に注射針を刺され、血液を採取される。
痛みは、ほとんどなかった。
鎮静剤のおかげか、感覚が鈍くなっていたからだ。
「血液は、問題なさそうですね」
医療官が、採取した血液を見ながら言った。
ルーカスは、内心ほっとした。
血液検査は、クリアだ。
次は、筋力検査だった。
握力計を渡される。
「全力で握ってください」
「……はい」
ルーカスは、握力計を握った。
しかし、全力ではない。
練習した通り、力を抑える。
普通の人間と同じくらいの力で、握る。
カチッ。
数値が、表示された。
「四十二キログラム」。
「……四十二ですか」
医療官が、眉をひそめた。
十五歳の男子としては、平均的な数値だ。
しかし、実技祭で見せた力とは、かけ離れていた。
「本当に、全力ですか」
「はい。少し、体調が悪いので」
「体調が悪い……」
医療官が、疑わしそうな目で見てきた。
しかし、それ以上は追及しなかった。
「次に、背筋力を測ります」
「はい」
背筋計を使った検査も、同様に力を抑えた。
数値は、「六十八キログラム」。
これも、平均的な数値だった。
「……筋力は、普通ですね」
医療官が、記録を書き込んだ。
ヴィンセントが、不満そうな顔をしていた。
予想していた数値とは、違ったのだろう。
* * *
次は、反射速度検査だった。
光が点灯したら、できるだけ早くボタンを押す、という検査だ。
「準備はいいですか」
「はい」
ルーカスは、ボタンの前に座った。
意識を分散させる。
セラのことを考える。
彼女の笑顔を、思い浮かべる。
ピカッ。
光が点灯した。
ルーカスは、わざと遅らせて、ボタンを押した。
数値が表示された。
「0.8秒」。
「……0.8秒」
医療官が、少し驚いた顔をした。
これは、普通の人間の反応速度だ。
いや、むしろ少し遅いくらいだ。
「もう一度、測定します」
「はい」
二回目の測定。
ルーカスは、同じように意識を分散させた。
ピカッ。
ボタンを押す。
「0.21秒」。
「……」
医療官が、記録を書き込んだ。
ヴィンセントの表情が、さらに険しくなった。
明らかに、期待外れだったようだ。
「反射速度も、普通ですね」
医療官が、淡々と言った。
ルーカスは、内心安堵した。
ここまでは、うまくいっている。
* * *
次は、魔力量検査だった。
魔力測定器に手を置き、魔力量を測る。
数値が表示された。
「三百二十」。
「平均以下ですね」
医療官が、記録を書き込んだ。
魔力量は、心配していなかった。
ルーカスの強さは、魔力ではなく、身体能力に由来しているからだ。
「では、最後の検査です」
医療官が、メスを取り出した。
皮膚組織検査だ。
これが、一番の山場だった。
「腕から、皮膚片を採取します」
「あの……」
「何ですか」
「腕ではなく、背中からお願いできませんか」
「背中……?」
「腕には、最近傷がありまして。背中の方が、採取しやすいと思います」
ルーカスが、お願いした。
マーガレット先生のアドバイス通りだ。
腕は、「自己修復」が進んでいる。
背中なら、まだマシかもしれない。
「……いいでしょう。背中から採取します」
医療官が、頷いた。
ルーカスは、ほっとした。
これで、少しは安心だ。
服を脱ぎ、背中を見せる。
医療官が、メスを当てた。
麻酔のおかげで、痛みはなかった。
薄く、皮膚が削り取られる。
「採取完了です」
医療官が、採取した皮膚片を容器に入れた。
それを、顕微鏡で調べ始めた。
ルーカスは、緊張しながら待った。
鎮静剤が効いているはずだ。
「自己修復」は、抑えられているはずだ。
大丈夫なはずだ。
しかし、不安は消えなかった。
もし、金属の成分が見つかったら……
そう考えると、心臓が速く鳴った。
* * *
医療官が、顕微鏡から顔を上げた。
その表情は、読み取れなかった。
「……どうでしたか」
ヴィンセントが、身を乗り出した。
期待に満ちた目をしていた。
「組織は……正常です」
「正常……?」
「はい。特に異常は見られません」
「そんなはずは……」
ヴィンセントが、驚いた顔をした。
彼は、異常が見つかることを期待していたのだ。
「もう一度、確認してください」
「何度見ても、同じです。普通の人間の皮膚組織です」
「しかし……」
「ヴィンセント監察官、検査結果は、検査結果です」
医療官が、冷たく言った。
ヴィンセントは、悔しそうな顔をしていた。
マーガレット先生が、安堵の表情を浮かべた。
ルーカスも、胸をなで下ろした。
鎮静剤が、効いていた。
「自己修復」が抑えられていたおかげで、金属化の兆候は見つからなかった。
「検査は、以上です」
医療官が、宣言した。
ルーカスは、服を着直した。
検査が、終わった。
* * *
「殿下、検査結果をお伝えします」
医療官が、書類を見ながら言った。
「血液検査、正常。筋力、平均。反射速度、平均。魔力量、平均以下。皮膚組織、正常」
「……」
「すべての項目において、異常は認められませんでした」
「ありがとうございます」
ルーカスが、頭を下げた。
医療官が、書類にサインをした。
「以上で、検査は終了です。お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
ルーカスは、検査室を出た。
廊下では、マーガレット先生が待っていた。
「殿下、よく頑張りましたね」
「先生のおかげです」
「いいえ。殿下の努力の結果です」
「ありがとうございます」
ルーカスが、深く頭を下げた。
マーガレット先生が、微笑んだ。
* * *
待合室では、セラが待っていた。
ルーカスの姿を見るなり、彼女は駆け寄ってきた。
「殿下! どうでしたか」
「大丈夫でした。すべての検査、クリアしました」
「本当ですか」
「はい」
「良かった……」
セラが、安堵のため息をついた。
その目には、涙が浮かんでいた。
「セラさん、泣いていますか」
「泣いていません。ホコリが、目に入っただけです」
「そうですか」
「……はい」
セラが、涙を拭った。
ルーカスは、その姿を見て、胸が温かくなった。
「ありがとうございます。心配してくれて」
「当然です」
「セラさんがいてくれたから、頑張れました」
「私は、何もしていません」
「いいえ。セラさんの存在が、力になりました」
「……」
セラの顔が、赤くなった。
ルーカスは、その様子を見て、微笑んだ。
「帰りましょうか」
「はい」
二人は、医務棟を後にした。
外は、穏やかな天気だった。
青空が、広がっていた。
* * *
「殿下、今日は本当に頑張りましたね」
「はい。でも、ギリギリでした」
「ギリギリ……」
「力加減も、反射速度も、本当にギリギリでした。一歩間違えたら、バレていたかもしれません」
「でも、バレませんでした」
「はい」
「それが、大切です」
セラが、にこりと笑った。
ルーカスも、笑った。
「来月も、検査がありますね」
「はい。毎月、あるそうです」
「大変ですね」
「でも、乗り越えられます。今日、乗り越えられたのですから」
「そうですね」
「セラさんがいてくれれば、大丈夫です」
「……はい」
セラの顔が、また赤くなった。
ルーカスは、その反応が可愛いと思った。
検査は、無事に終わった。
しかし、戦いはまだ続く。
来月も、検査がある。
これからも、ずっと。
それでも、諦めない。
人間として生きるために。
大切な人たちと共に歩むために。
ルーカスは、そう決意した。




