肚を決めた
-Celestine-
アリアス様は、本当によくしてくれる。
エレーナも喜ぶほどに、わたしに優しいし、親切だし、忙しいのに時間をとってくれて、お喋りやお散歩をしてくれる。
そのたびにお礼を言うと、「夫婦なら当たり前じゃありませんか?」と棒読みのくせにうれしいことを言ってくれる!
胸の奥が、キューン! とするこの感覚は何だろう? ということが、アリアス様といると頻繁にあります。
苦しいような、うれしいような。
これをエレーナに話すと、彼女は笑った。
「姫様、それはキュンキュンするということです」
「キュンキュンする?」
「はい……しかし姫様、これまで四度の時はなかったのですね……わたしは悔しいですぅ」
エレーナ……嫌な記憶を蘇らせないで……。
これまで四度の時……なかった。最初の時は、何がなんだかわからなかったし、二度目は会話すらなかった……三度目の幸せは出会ってしばらくだけで、いざ夫婦となったら邪魔者だったし、外の女に奪われて……四度目なんて、あれだけ努力したのにゴミカスのように……。
「姫様、アリアス様がもっと姫様を好いてくださるように、アリアス様が望むことをしてさしあげるのはいかがでしょう?」
「……アリアス様が? しかしですね、四度目の時にそれで頑張ったら地獄でした」
「……」
「喜んでくれると思っていたことが、逆だった場合、大変なことになるのでは?」
「……姫様、今度は大丈夫です。というのも、アリアス様は立派な為政者であられます」
「それは間違いないです」
そうです。アリアス様は素晴らしい為政者であり、領主であり、男性であり、お……おおお夫です! いつもわたしの手を握ってくれて……恥ずかしいからと見つめてくれないけど、時間を作っては一緒にいてくれようとして……好きです。
アリアス様、結婚してください……あ、大丈夫、してる。
ニヤけるのは仕方ない。
素晴らしい人なんですから。
領民の誰もが、アリアス様が領主でよかったと思っているに違いないほど、その評判はいい。実際、その暮らしぶりはとても豊かで、驚くべきは子供の死亡が少ないってこと……オルネスト殿とあれこれと議論していて、いい領地の定義やら、その評価指数などを話していた時、彼からアリアス様の言葉を聞かされた。
『子供……十二歳までの生存率を評価指数のひとつにしようと思う。子供の不幸が少ない領地は、いい領地であろうと思うよ』
すばらしいお考えです。
兄上に、その才の欠片を分けてあげてやってほしい!
……ともかく、立派な為政者であることは間違いがない。
エレーナは、アリアス様がそうであるからという前置きで、こう言った。
「姫様、ご実家で領政を執り仕切っておられました。お手伝いなさっては?」
「ダメ! それはダメ」
「どうしてです?」
「いくら夫婦といえど、わたしは黒蝶公爵の娘です。アリアス様のご領地に口を出したりするのは図々しいうえに、間諜のごとき行いというものです」
「……そうですか、残念です。ですが姫様、お得意ですので必ずお役に立てると思いますが」
「……他に、女性として役に立つ方法を考えて」
「……」
「ほら……言って」
「……」
「……」
「……」
何か言ってよ!
-Celestine-
最近のアリアス様は、とってもお忙しい。
それなのに、わたしとの時間を必ずとってくれている。今日は午後、わたしを遠駆けに誘ってくれた。
「馬に乗るなんてとんでもない! 馬車になさい! はしたない!」
と、よく母上に怒られていたし、これまでの夫も同じ考えだったのだが、アリアス様は違った。
「馬、乗れるんですか? いいですね」
棒読みだったけど、そう言ってくれたのだ。それでお誘いしてくれて、今はベルク城から馬で四半刻もかからない野原に来ている。
スズランの群生地をアリアス様は知っていて、連れて来てくれたのだ。
白とピンクの可愛らしい花々が、緑で染まった一帯にアクセントとなっていてほのぼのとする。風も穏やかで日差しも柔らかい。お散歩にはちょうどいい場所だ。
二人で小川まで歩き、小魚の群れを眺めた。
こんなに贅沢な時間の使い方をしたのは、ひさしぶり……これまで何かに追われるように、あれこれと考えて、生きてきたように思う。
好かれようと、頑張ったのに……。
「セレスさん」
まだ、セレスと呼んでもらえない。だけど、少しずつ目を見てくれるようになってきた……夫である人の態度としてはおかしいのだけど、アリアス様だから、そういうことも微笑ましくて、なんだかうれしく感じている。
「なんでしょう?」
わたしが彼の顔をうかがうと、無表情でわたしを見つめてくる。
すぐにわかった。
照れて視線をそらしたいけど、頑張って見てくれているのだと。
だから、その無表情が嬉しくて、笑みを返した。
ぷいっと、あっちを見られた……笑みにはまだ、耐えられないようだ。
かわいい……いかん、だめだめ……夫なる人をかわいいだなんてダメ。
「話しておきたいことがあります」
「はい」
彼は視線を、小川と花々が彩る風景へと泳がせたまま口を開く。
「俺は……公爵になります」
公爵?
わたしの脳内には、たくさんの質問が生じたが、彼が続きを話そうとしていて……どう話そうかと考えてくれているとその横顔が伝えてくれていたから、微笑みのまま彼の少し後ろで待った。
「陛下に……父が話をします……黒竜公爵を俺に譲ると……明日の定例公会が終わってから、陛下に申し上げてご許可を賜る予定です。陛下はこれを、春花祭の場で内外に発表なさいます」
「……おめでとうございます、とお伝えしたいのですが、アリアス様は嬉しくお思いではないのですね?」
「はい……怖いです」
アリアス様は、「座りましょう」と言うと、マントを脱いで地面に広げた。
花たちをつぶさないように、砂利と土の上にマントを広げてしまう彼はやはり変わった人だと思う。公爵家の者であるという紋様が入ったマントは、刺繍代もあってかなり高価なものに違いないのに……草や花をつぶさないようにする優しさは、男らしさを良しとする帝国の男性にはふさわしくないのかもしれない。だけど、そういう人だから、民の暮らしに細やかな気配りができるのだろうと思えた。
「高い確率で、兄たちと争いになります。軍勢をもっての争いになるでしょう」
「……はい」
「兵たちに、死地へと向かわせることになります」
「……はい」
「俺は、自分のために他人に死ねと言います」
「……だからこそアリアス様は、領政で民に還元しなければならないと、わたしは思います。生かされる立場であるからこその辛さの裏には、責任があるとわたしは思います」
わたしはアリアス様の斜め後ろに座っているので、その顔を見ることはできない。
でも、悩んで、困って、苦しんでいることはわかった。
自然と、彼の背に触れる。
アリアス様は、何も言わない。
「お許しなく触れて申し訳ございません。でも、触れていたくて……よろしいですか?」
「はい、そうしていて、ほしいです」
わたしは、アリアス様が大事なことを話してくれたことよりも、素をさらしてくれることへの喜びを感じていた。だから、図々しいと思われる心配よりも、彼の心の負担を少しでも軽くしてあげたいと願って、言葉を紡ぐ。
「アリアス様だからこそ、お父上はお決めになられたのでしょう。そこに政略があろうとも、根本は、アリアス様こそ公爵にふさわしいということを、陛下もお認めになられたからです。そして、領民にとってこれ以上ない喜ばしい継承とわたしは自信をもって申し上げます」
「俺は、ベルク郷だけでよかったんですよ……恵まれた環境で育ち、領地経営も好きだった。これ以上を望むことはない人生のはずでした」
「アリアス様の公人としての評価は、他人が決めます、失礼ながら」
アリアス様が、わたしと向かいあうように座りなおした。
でも、視線はわたしの首あたりだ。これが精いっぱいなのだろうと思うも、励まそうと彼の顔をのぞきこむ。
目があった。
アリアス様は、一瞬だけ目をそらしたけど、彼の瞳にわたしが映る。
「セレスさん……セレスさんから見て、俺は公爵にふさわしいでしょうか? 少ししかまだ一緒にいませんが、セレスさんの意見を聞きたいです……」
「正直に、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ぜひ、お願いします」
わたしは、瞼を閉じた。
彼の緊張した顔を見つめていると、笑ってしまいそうだから。
「わたしは、アリアス様こそご兄弟のなかで……いえ、帝国においても、黒竜公爵にふさわしい方はいないと断言いたします」
本当に、心からこう思う。
この領地にやって来てから、あちこちを見学し、多くの人と会話をし、家中の人たちと関わったわたしは、アリアス様が黒竜公爵になれば、公爵領はとても豊かになり、多くの民が幸せになると思えた。
瞼を閉じたまま、自然と笑みとなる。
きっと、目の前には緊張したアリアス様がいるなぁと想像したから。
「セレスさん、改めて……なんですけど」
「はい」
ふふふ……棒読み……緊張してるんだろうなぁ。
「とても好きなので、結婚してください」
おかしい……おかしなことを!
笑うのを我慢するわたしは、目を開きたいけど我慢して応える。
「もう、わたしたちは結婚して夫婦になっておりますよ?」
「いえ、ちゃんとお願いしていませんでした。セレスさんのことを、とても大事にしたいと思います。俺と結婚してください」
アリアス様の声が、近くでした。
はい、と答えるより先に、わたしの唇にやわらかなものが触れたと感じる。
……キスをされているとわかった。
わたしは、このままでいたくて彼の背に両手をまわす。
わたしたちは、しばらくそうしていることができた。
-Alias-
帝国暦三二五年、五月二十日の春花祭で、皇帝陛下が来客者たちを前に、黒竜公爵アキレス……父上の引退を発表すると同時に、公爵位が四男の俺へと継承されることを示した。
翌日には、兄たちは公都からそれぞれの領地へとすっ飛んで帰り、二十二日にはそれぞれが「認めん!」という内容の発表をしたのである。
鳩やら鷹やらが飛び回って、俺が黒竜公爵になったことを広めたけど、まだ誰からも……家中は除き、外部からの祝いなどはまったくない。
内戦が、始まるからです。
わかりきっているからです!
祝ったけど、その相手が死んじゃったよ! てなると誰もが思っているからです!
三人対一人、だからだもの
だけど……だけどだ。
俺は、もう肚を決めている。
いろいろと悩むこともあったけど、セレスさんの言葉で、そうしようと決めたのだ。
俺は、他人に死ねと命じることから逃れられない立場となる。だけど、その人たちへの感謝と、その人たちへの恩を忘れることなく、多くの民が幸せでいられる領政をしくことを決めた。
この世界で、俺は公爵となって生きていく。
セレスさんが、いてくれれば頑張れる。
あんな素敵な励ましをしてくれる女性と、夫婦になれた幸運に感謝する。
父にも、すばらしい人を薦めてくれてありがとうと、平時になってからお礼を言おう。
俺は、なれない甲冑を着て、城の内庭に出た。
部隊指揮官たちが、整列している。
俺の後ろには、セレスさんがついた。
「兄たちの軍勢が、発したと報告を受けた。俺はこれを討ち、黒竜公爵となる。励め!」
仕官たちが気合いの声を一斉にあげ、それぞれの部隊へと向かう。
その場には、ヴォルツとボバンが残った。
二人は片膝をつき、俺を見ていた。
「よし、ひねりつぶしに行くぞ。ついて来い」
二人は笑みで一礼し、立ち上がる。
俺は、後ろのセレスさんに振り返った。
彼女の美しい笑みを正面に、笑みを返す。
「行ってきます」
「お早いお帰りを……」
セレスさんは、一礼で顔を隠した。
わかっている。
俺は、戦に行くよりも緊張したけど、頑張って彼女へと歩み寄り、その顔をのぞきこむ。
泣いていた。
俺を励ましてくれて、背を押してくれても、心配で泣いてしまった彼女のために、俺はしゃがんでセレスさんを見上げた。
「必ず、セレスさんのもとに帰ってきます。俺はセレスさんを、幸せにしたいから」
彼女の涙が、俺の頬に落ちる。
温かい。
生きて帰る。
セレスさん、待っていてください。




