溜まれば疲れるもの
-Alias-
帝国暦三二五年、五月一日。
朝から忙殺されていた俺が、爺を執務室に呼んだのは斜陽が窓から差し込む頃合いだった。
目的は、黒竜公爵位生前相続発表後の、領内の混乱を素早く収束させる方法を打ち合わせるためだ。こういう悪巧み……謀略……言葉が悪いが仕方ない。
皇帝陛下は五月二十日に帝都で開催される春花祭の場で、黒竜公爵位が俺へと相続されることを発表なさる。
その後、必ず兄上達が軍勢を率いて俺を攻撃してくるだろう。
鳥は空を飛ぶ、というほどに明らかなことだ。これまでの関係性、あいつらの考えの浅さ……いや、考えの無さ、高すぎる自己評価などなど……わかりきっていることなのだ……残念ながら。
セレスさんが淹れてくれた緑茶――セレスさんが淹れてくれたってだけで最高に美味しい! ――をゴクリと飲み、爺の着席を待って尋ねる。
「爺、俺を公爵にという爺の企みに乗ることにした時、頼んだことを覚えているよな?」
「もちろん……速やかに収束させまする」
「いかがする?」
「は……いくつか案がございます……まず、発表直後に暗殺をする、次はすでに準備をしておりますが、発表後に呼吸をあわせて軍を発して先制いたします。最後は、離間させ各個に破ります……どの案をご説明いたしましょうか?」
「……暗殺は後に禍根を残す。先制は大儀を奴らに与えてしまう……一番、確実で民に被害が出ないが俺の領政に悪影響ゆえ先制は避ける。となれば、離間案をとりたい」
暗殺……全てこれで解決するなら苦労はしない。だけど、失敗することもあり、その時は非常に悪評をばらまくことになる。また、暗殺は証拠がなくとも、利害関係で俺が犯人だと広まればそれはよくないのだ。
先制攻撃も、相手が油断しているうちに攻撃するのはいいことだけど、これをすると、俺は発表前に公爵を継ぐことを知っていたとなり、それは俺が父に取り入りそうさせたと思う奴らを生む……とくに、今は兄たちについている譜代家臣たちがそう想像し、噂をし……俺の邪魔をする。
ここは、攻撃されるまでを甘んじて受けた後に、反撃で倒すしかないが、普通にやっても勝てるものではない。兄たちがその領地で兵を集めれば、それぞれ五〇〇〇ほどの軍勢になり、さらにここに譜代家臣たちがつけば、一万を超える。その軍勢が集まり俺に向かえば、公爵領内の紛争とは思えないほどの軍勢が動くことになる。
俺はせいぜい二〇〇〇が限界だ。黒竜騎士団五〇〇が味方してくれるのはデカいけど、やはり数が多いほうが圧倒的に有利なのだ。
味方してくれる諸侯も……ミラ伯はしてくれるだろう。だけど、巻き込むわけにはいかないと思う。
「アリアス様、離間案をとりますと領内に敵を招きいれての撃破を私は考えておりますが、よろしいでしょうか?」
「ダメだ。領地の外で迎撃したいが、まず離間案を聞かせてほしい」
「長兄様には、アリアス様が爵位を譲ることを条件に、次兄様の軍勢を撃破してほしいと頼む手紙を出します。野心あり、自らが継ぐことが当然と考えておられますゆえ、あっさりと承知いたしますでしょう。次兄様にも、同じ内容の申し出を私が使者となりいたします。といいますのも、次兄様の側近にはウデゴール卿がおりますので、私が相手せねば動きますまい……三兄様の軍は領内に引き込み伏兵で撃破……と考えておりました」
「一部、修正する。カジニスとジストアはそれでいいが、その戦場には黒竜騎士団を派遣し、両軍の戦闘が終結の気配をみせたところで急襲させ、兄たちを捕えさせる。最悪、カジニスだけでもいい。次、ファレルの軍勢を迎え撃つ場所は領地の外……ミラ伯の領地もダメだ。こちらで選定し、そこでやる。爺はジストアへの使者ゆえ、戦闘はヴォルツに指揮してもらおう」
「承知いたしました」
爺が退室した後、俺は緑茶のおかわりがほしくて困る。
セレスさんを呼びつけるような真似はしたくない……。
しかたない。自分で淹れるか。
部屋を出て、城の狭い通路を歩いていると内庭のほうから声が聞こえてきた。
「エイ! ヤー! ハ!」
「参った!」
……セレスさんが、黒竜騎士団の騎士相手に、模擬戦で一本をとったのだとわかった……。
稽古してたのね。
あんな美人が……傷でもついたらと思うと怖いけど、本人がしたくてやるのを止めるのは如何なものかと思って言えない。
厨房に入ると、料理人たちが晩飯の用意をしてくれていて、もうそろそろ晩御飯だなと思いつつお湯を分けてもらいお茶を……料理人が淹れてくれた。
「ありがとう」
「とんでもございません!」
温かい杯を片手に、外に出て内庭に行く。そこは庭というよりも練兵場と呼ぶほうがふさわしいかもしれない。砂が撒かれた兵站な広場なので、運び込まれた物資を、一時的に置く場所にも使う。
セレスさんは、動きやすい恰好……いかん、いかんぞ……脚ばかりを目で追ってはいかんと思い、視線をあげると笑顔の彼女と目があった。
硬直する。
「アリアス様! お打ち合わせは終わりましたか?」
「あ……はい、終わりました」
セレスさんは、騎士たちが見送りの一礼をしたことへ会釈を返しながら「またお相手してください」と言い、ニコニコとして俺へと歩み寄ってくる。
いかん……可愛いすぎる!
いや、俺より年上だから可愛いってのは失礼だから、美しすぎる! に直します。
直視できないので……情けなくない! 直視できないので、彼女の胸元あたりを見てお話をしますです、はい……ふくらみが……いかん、いかんぞ。
煩悩を振り払い、心配していることを伝えた。
「怪我、しないように、気を……て」
「ええ、騎士の方々が手加減をしてくださるので大丈夫ですよ」
俺が彼女の後方を見ると、会話が聞こえていた彼らは、手をぶんぶんと振りながら、首を左右にふっていた。
手加減してないって伝えたいらしい。
「そろそ……んご飯です。一緒に」
「はい!」
完全にコミュ障になっている俺は、杯を持っていない手を彼女に差し出す。
努力したんだよ!
自然な動作でできるように、鏡の前で何度も練習したんだ!
今こそ! 見せるとき!
ん?
セレスさんが、困っている?
「アリアス様……わたしは、その……」
「はい?」
「あの……今は汗をかいており……」
俺は、セレスさんの手をとって握った。
驚く彼女に、頑張って声を出す。
「晩ご……ん、一緒に」
汗臭くないかと気にしているらしい。
いい匂いがします! と言って変態がられるのは嫌だから黙っておきます。
セレスさんも、俺の手をキュっと握ってくれた。
-Alias-
夜、ヴォルツとボバンを執務室に呼んだのは、例の戦闘のことを任せたいからだ。
こう言ってはなんだけど、俺は戦いが苦手だ。専門外と言っていい。日本人だった時なんて喧嘩すら御免だったし、人を殴るなんてことも十年以上……二十年以上したことない。子供の頃に喧嘩したのが最後なんですから……。
二人を長机に招き、俺が地図を広げる。
「ボバンには、兄上たちの戦闘を見守り、その終息前に両軍を急襲してもらいたい。二人を捕えることができれば最高だが、拘らない。可能であればカジニスを捕えよ。難しい場合でも問題ない。両者の軍勢を壊滅させておくことがこの戦闘の目的である」
俺の説明に、ボバンは力強くうなずく。
スラリとした容姿からは、とても黒竜騎士団の副長とは思えないが、その剣と魔法の腕前は疑う余地がない。しかしそれよりも、彼の価値は軍指揮官であるとわかっている。
彼は茶の髪をいじりながら地図を眺め、疑問を口にした。
「しかし閣下――」
「おい、閣下はやめてくれ」
俺の指摘に、ボバンは目を丸くした後に「あ、失礼しました」と詫び、言い直す。
「若様、想定戦場がこの一帯となる確率は高いのでしょうか? もし違う場所となるならば、こちらの移動で存在がばれるかもしれませんが?」
ボバンの問いは当然のことだ。
兄上たちが、俺が地図に丸印をつけた場所で戦う保証などない。しかし、二人はそこを戦場にするだろうという確信がある。
両者の領地から軍を発し、お互いがお互いを倒そうとするならば、それぞれが戦いやすいと思う場所にするはずだ。そしてさらに、俺も思っていることではあるが、自らの領地を出た場所であることが望ましい。
となれば、両者の領地の外側で、まだ父上の直轄領であるこの丘陵地帯が、大規模な軍勢を展開させるにも十分であるし、双方ともに後方の領地からの兵站確保に街道を使えるから便利なはずだ。
しかし、万が一ということもある。
その為に、爺がジストアの軍勢に使者としてつくことで、誘導するのである。
こういう説明をしたところ、ボバンは真剣な表情で地図を見つめていたが、大きくうなずいて俺を見る。
「若様、承知いたしました。最後の仕上げを任せてくださり感謝申し上げます」
「頼む、だが無理はするな。俺がお前に頼みたいのは、両軍の壊滅もそうだが、騎士たちの被害を最小限に抑えてもらいたいことだ」
俺の言葉に、ボバンは目を見開いたがすぐににんまりとした。
イケメンの笑顔って、素敵ですね。うらやましい。
「承知いたしました。若様の大事な騎士を減らしたりいたしません」
「いや……ま、いい」
君らの命は俺のものってわけじゃないんだから……例のガキ大将じゃあるまいし。
ま、この手のことを話しているとまた「変わり者」だと言われるのでやめておく。
俺は、ヴォルツへと視線を転じて、地図上の印を指し示しながら口を開いた。
「ヴォルツには、ベルグで集めた領兵の指揮を頼みたい。傭兵、民兵あわせて二〇〇〇が限界だが、魔獣どもへの警戒もあるし全軍を率いて出るわけにもいかない。一〇〇〇で三兄を相手する」
「……ファレル様の軍勢は少なく見積もっても、直下の兵数だけで五〇〇〇近くになります。ここはフェラン卿の案である自領に引き込んでの奇襲殲滅戦をお勧めいたします」
「だめだ、民が困る」
「ですが、敗れれば結果的に民が困ることになります」
「だから、勝たねばならない」
「アリアス様、しかし戦に常勝はございません」
「ヴォルツ……」
俺は誤解されても仕方ないと思いうも、説明することにした。
「……俺は民の生活を脅かす領主にはなりたくない」
これは、市民の生活を顧みない増長した政治家たちを知るから強く思うことだ。俺は今、批判されるべき立場、身分にあることを自覚している。しかし帝政であるこの国でそれをする民はいないが、俺は俺自身を律すると決めていたから、こう強く思う。
下衆な政治家、一流気取りの経済人たちへの、ルマンチサンとは言い難い憤りは現在の俺は受けたくない。
だから、戦に負ければ民が困るというならば、俺は勝ち続けるしかないと思う。
「ヴォルツの言いたいことはわかる。戦に負ければ民が困るということは、よく理解している。しかし、それを理由に民に苦労を強いる権力者はクソだ。苦労するのは、権力者であるべきだからだ。俺が苦労する」
ヴォルツは真面目な顔で俺を見つめ、頷くと椅子から立ち、その場で片膝をついた。
「おい、やめてくれ」
俺が腰を浮かすも、彼は頭をたれたまま言う。
「お任せください。浅慮での意見をした無礼、お許しください」
「いや、意見をしてくれてありがとう」
しかし、悩ましいな。
理屈では、わかっている。
だけど、どうしても心が追い付かない。
他人に死ねと口にはしないが、戦争をするということはそういうことなんだ。
公爵になると、その規模もさらに大きなものになる。
ヴォルツやボバンの前では、吐けない弱音は飲み込むしかないんだ。
そういうものが溜まると、やはり疲れるな。
疲れる……。




