表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ぼっちを満喫したい俺に、なぜかクラスのヒロインたちが懐いてくる  作者: 富益 啓


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/7

第5話「幼馴染は、いつも少しだけ遠い場所にいる」

 水瀬凛(みなせりん)という人間は、滅多に感情を表に出さない。


 幼い頃から知っている(ゆう)の観察によれば、(りん)は怒っても泣いても、顔の表面がほとんど変わらない。代わりに、少しだけ言葉が減る。少しだけ歩くペースが変わる。そういう小さな変化で、凛の内側を読むしかない。


 だから悠は、今朝の異変にすぐ気づいた。


 廊下で凛とすれ違ったとき、凛は「おはよう」と言わなかった。


 言わなかっただけじゃない。悠の方を見なかった。視線がわずかに逸れて、前を向いたまま通り過ぎた。


 ほんの二秒の出来事だ。


 でも十年以上の幼馴染の勘が、静かに警告を出した。


(何かある)


    ◇ ◇ ◇


 一時限目の休み時間に、悠は凛のクラスをのぞいた。


 凛は席にいたが、クラスメイトと何か話していて、悠に気づいた様子はなかった。いや、気づいていて気づかないふりをしているのか——その判断が、悠にはできなかった。


 声をかけることができずに、悠は廊下に戻った。


 二時限目の間中、なぜか集中できなかった。


    ◇ ◇ ◇


 昼休み。


 悠が凛のクラスに行くと、「今日は生徒会室にいます」と隣の席の子に言われた。


 生徒会室は職員棟の二階だ。行けば会える。


 悠は三歩進んで、止まった。


(何を言いに行くんだ)


 凛を心配して会いに行く。それはわかる。でも何を聞く? 「なんで避けてる」と直接聞くのか。そんなことを聞ける間柄だろうか。というか、そもそも本当に避けられているのか。自分の思い込みかもしれない。


 悠は三十秒考えて、結局引き返した。


 教室に戻ると、間宮(まみや)がいた。


「水瀬さんのとこ行ってきたのか」


「……どうしてわかる」


「顔に書いてある。で、行けたの?」


「生徒会室にいると言われた」


「行かなかったんだ」


「……何を言えばいいかわからなかった」


 間宮は珍しく、笑わなかった。


「お前がそれを言うのは、かなり進歩だぞ」


「何が」


「『何を言えばいいかわからなかった』って、ちゃんと考えたってことじゃないか」


 悠は答えなかった。間宮はそれ以上追わなかった。


    ◇ ◇ ◇


 放課後、家庭科室にて。


 試作三回目は、順調に進んでいた——最初の十分間は。


「やっほー、お邪魔しまーす」


 扉を開けて入ってきたのは、野中美咲(のなかみさき)だった。エプロン持参で。


「なんで美咲がエプロン持ってる」と白瀬(しらせ)が固まった。


(さくら)が毎日楽しそうにしてるから、理由を確かめに来た」野中はきょろきょろと室内を見渡した。「あ、プリン作ってる。かわいい」


「見学だけにしろ」と悠が言った。


「えー、一緒に作りたい」


「一緒に作ると試作にならない。邪魔になる」


「ひどい。じゃあ(たちばな)ちゃんとかいう後輩ちゃんはいいの?」


「橘は試作メンバーに入ることで了承済みだ」


「私も了承します!」


「了承するのは俺だ」


「……了承してください」


 野中は両手を合わせた。白瀬が横からそっと言った。


成瀬(なるせ)くん、一人増えてもそんなに変わらないから」


「変わる。俺の管理できる人数を超える」


「管理て」と野中が笑った。「成瀬くん、桜に対してもそんな感じなの?」


「そんな感じとは」


「なんか……先生みたい」


 白瀬が少し俯いた。


「……先生、かな」


「違うの?」


 白瀬は答えなかった。その沈黙を、野中はじっと見ていた。


 悠はプリン液を温めながら、鍋の方を見ていた。


「白瀬」と悠が言った。


「なに」


「火、弱すぎる。もう少し上げていい」


「……うん」


 白瀬はガスの火を調整した。それだけだった。


 野中は小さく息をついて、白瀬の隣に並んだ。


「ねえ桜」と小声で言った。「好きなの?」


「……な、なんのこと」


「なんのことって言いながら顔が赤い」


「料理してるから暑いだけ」


「家庭科室、そんな暑くないよ」


「……うるさい」


 白瀬は声を落として最後の一言を言い、それ以上答えなかった。野中は何かを言いかけて、止めた。


    ◇ ◇ ◇


 試作が終わって、全員でできあがりを食べているとき。


 凛が来た。


「遅れてごめんなさい。生徒会が長引いて」


 全員が凛の方を向いた。凛は室内を見渡し、野中を見て、一瞬だけ表情を止めた。


「……また増えてる」


「野中さん、白瀬さんの友達」と間宮が説明した。


「知ってる。生徒会で顔を合わせたことがある」


水瀬(みなせ)さん、こんにちは」と野中は愛想よく言った。


「水瀬さんって、成瀬くんと幼馴染なんですよね?」


「そうよ」


「いいですね、幼馴染って」


「……そうね」


 凛は静かに答えて、空いている席に座った。悠の向かいの席を選ばずに、橘の隣に座ったのは——悠は気づいたが、意味を考えなかった。


「水瀬先輩、プリンできてますよ! 私が計量したものです!」と橘が元気よく言った。


「……ありがとう」と凛はプリンのカップを受け取った。「計量、ちゃんとできた?」


「今日は完璧です! 先週の反省を活かしました!」


「成長ね」


「えへへ」


 プリンを一口食べて、凛は「おいしい」と言った。


「今日は私、作ってないけど」


「悠が作ったから」


「……そう」


 また、短い返答。


 悠は凛を見た。凛はプリンを見ていた。


    ◇ ◇ ◇


 片付けが終わり、家庭科室の明かりがひとつ消えた。


 みんなが帰り始めても、悠は廊下に残っていた。

 凛が最後に出てきて、扉に鍵をかける。その横顔に声をかける。


「一緒に帰るか」


 凛の手が、鍵を持ったまま止まった。


「……生徒会室に忘れ物がある」


「取ってくる間、待つ」


「いい。先に帰って」


 即答だった。

 けれど悠は、動かなかった。


「待つ」


 凛はもう一度だけ悠を見た。何かを言いかけて、結局、小さく息を吐く。


「……五分かかるかも」


「かまわない」


    ◇ ◇ ◇


 職員棟の廊下で、悠は壁に背をもたせて待った。


 夕方の学校は静かだ。遠くから部活の掛け声が聞こえる。廊下に差し込む光が、少しずつオレンジになっていく。


 凛が戻ってきた。


 二人で廊下を歩き始めてから、悠が先に口を開いた。


「昨日、先に帰ってたな」


「……うん」


「今日も、声かけても来なかった」


 凛は少し黙った。


「気づいてたの」


「気づいた。なんかあったか」


「……別に、何も」


「凛」


 悠は歩きながら凛の横顔を見た。凛は前を向いたままだった。


「俺が何かしたか」


 その問いに、凛の歩みがほんのわずかに遅くなった。


「……してない」


「じゃあなんで」


「してないから、なんでもない」


 ぐるぐるとした会話だ。悠にはその意味がわからなかった。


 でも凛が「してない」と言ったとき、その声が——ほんの少しだけ、震えていた気がした。


「凛」


「なに」


「怒ってるか」


「……怒ってない」


「ならよかった」


「よくない」


 凛は言ってから、はっとしたような顔をした。


 悠は立ち止まった。凛も止まった。


「……よくない、って」


「……なんでもない」


「なんでもなくない」


 凛はしばらく黙ったまま、うつむいていた。夕方の光が、凛の横顔に柔らかく当たっていた。


「怒ってないし、悠は何もしてない」


 静かな声だった。


「ただ——ちょっとだけ、疲れてただけ」


「何に」


「自分に」


 それ以上は言わなかった。


 悠も聞かなかった。


 ただ、「自分に疲れた」という言葉の意味が、何となく、ぼんやりと——悠の胸の中に引っかかった。


 二人は並んで歩き始めた。今日の凛の歩くペースは、いつもと同じだった。


    ◇ ◇ ◇


 家の近くの交差点で別れるとき、凛が振り返った。


「プリン、おいしかった」


「ああ」


「次も作って」


「文化祭まで続く」


「じゃあ毎回食べに行く」


 それだけ言って、凛は角を曲がった。


 悠はしばらくその場に立っていた。


 さっきよりも、少しだけ凛が近い場所にいる気がした——気のせいかもしれなかったが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ