第8話:涙の誕生日と、めんどくさい女神たちの急襲
修行を始めて、一年が経ち、ケントはこの世界での暮らしにもすっかり慣れていた。
そして、姉たちの指導もまた、容赦のない「本格的」なものへと変化していた。
月曜日、シオンによる魔法講義。
すでに初級の魔法と魔術をすべて習得したケントに、シオンが課したのは『無詠唱かつ多重起動』という技術だった。
「ケント、一発ずつ詠唱していては、戦いでは隙を晒すだけよ。呼吸をするように、望む数だけ、望む速さで発動できるようになりなさい」
訓練所には、肌を焼くような熱気と、何かが炭になったような焦げ臭い匂いが充満していた。
十数個の火球を同時に生み出し、一つの的の同じ一点へ撃ち込む。
精度と制御力を極限まで高めるための特訓だった。
魔力を使い果たすたびに魔力の器が広がり、ケントの魔力量は大きく成長していった。
火曜日、凪による武術特訓。
そこにあるのは、ひたすらな反復だった。剣、槍、斧、そして素手。あらゆる武器の「基本の型」を、体が自然と動くようになるまで、何万回と繰り返した。
「派手な技なんて後でいいわ。一振りの精度を極めなさい。それが結局、一番強いんだから」
凪の鋭い視線の前で、ケントは滝のような汗を流しながら、空気を切り裂く鋭い音を響かせ続けた。
武器を振るたび、潰れたまめが裂け、柄が血で赤く染まる。
腕は悲鳴を上げていたが、それでも凪は止めなかった。
水曜日、雅との錬金術。
窯の前に座るケントが挑むのは、『異種の同時生成』。ポーションを作りながら、同時に別の素材から魔導具の部品を練り上げる。全く異なる二つの工程を脳内で分割して制御する訓練は、精神を極限まで削った。
「そうそう、右脳で煮込み、左脳で成形! これができれば、戦闘中に道具を自給自足できるわよ!」
「うっ……!」
ポーションを煮込む火力を調整した瞬間、もう片方で成形していた魔導具の部品が、ぐにゃりと歪んで崩れ落ちた。
「あーっ! 今度はそっちが止まっちゃった! もう一回よ!」
雅の明るい声とは裏腹に、ケントの脳は常に沸騰寸前の熱を帯びていた。特訓が終わる頃には、座っているだけで地面が迫ってくるような目眩と、その場から一歩も動けないほどの疲労感、そして脳が焼けるほどの甘いものへの渇望が、ケントを一度に襲うのだった。
そして木曜日、ノノによる隠密と護身。
ノノの気配遮断は、もはや「消えた」としか思えないレベルに達していた。
「……ケント、後ろ」
「っ!」
ケントは反射的に体をひねるが、そこには誰もいなかった。
「……上」
「えっ!?」
見上げた瞬間、ノノの姿が視界から消える。
「……つかまえた」
次の瞬間には、もう背後から抱きつかれていた。
そんな心臓に悪いかくれんぼを一日中繰り返すことで、ケントの『気配察知能力』は、否応なしに研ぎ澄まされていった。
これらの日々を、ケントは「姉さんたちに追いつくための最低限のメニュー」だと信じ込んで、今日も泥のように眠り、夜明けと共に起き上がるのだった。
*
ある日、いつも通りに目を覚ましたケントは、すぐに奇妙な違和感を覚えた。
いつもなら、誰かが自分のベッドに潜り込んでいて、着替えを済ませて部屋を出れば、他の姉たちが競い合うように自分を待っていたはずだ。なのに今朝は、屋敷全体がしんと静まり返っている。
(……もしかして、捨てられたの?)
そんな最悪の想像が頭をよぎった。ケントは必死に首を振ったが、一度浮かんだ恐怖はなかなか消えてくれなかった。
足音を忍ばせながらリビングの扉の前に立つと、その扉もいつもと違うように感じた。まるで、自分を拒んでいるかのように、扉は静かで、冷たく、重かった。
ケントは震える手を伸ばし、その冷たいドアノブを握った。そして、覚悟を決めて扉を開けた瞬間、パァンッ! と乾いた火薬の音が鳴り響き、ケントの頭の上に色とりどりの細い紙吹雪が降り注いだ。
「「「「ケント、お誕生日おめでとう!」」」」
そこには、クラッカーを手に持った四人の姉たちが、これ以上ないほどの満面の笑みで立っていた。
「…………え?」
頭に色とりどりの紙吹雪を乗せたまま、ケントはポカーンと口を開けて固まってしまう。紙吹雪が一枚、ひらひらと鼻先に落ちてきた。しかし、数秒の静寂の後、その瞳に大きな涙が溜まり、ポロポロとこぼれ落ちた。
「「「「ええっ!??」」」」
まさかの反応に、さっきまで自信満々だった姉たちは一転してオロオロし出す。
「ど、どうしたのケント!? 驚かせすぎちゃった!?」
「どこかぶつけた!? 痛いところはない!?」
四人は、まるで壊れ物を扱うようにケントを囲んでうろたえる。その姿は、普段の頼もしさとはあまりにかけ離れていて、どこか滑稽で、でも、とてつもなく温かかった。
ケントは袖で何度も涙を拭いながら、震える声で答えた。
「……ちがう、違うんだ。……また、捨てられたのかと思ったんだ……」
シオンは何も言わず、そっとケントを抱き寄せた。
「バカねぇ……約束したじゃない。私たちは絶対にケントを幸せにするって。もう、ケントに辛い思いなんてさせないわよ」
他の姉たちも安心したように顔を見合わせ、優しく微笑んだ。シオンの腕の温かさに、ケントの心はゆっくりと解き放たれ、深い安心感に包まれた。
「さあ、お祝いを楽しみましょう!」
シオンが明るく声を上げた、その時だった。
――ピンポーン。
場違いなほど、冷たく乾いたチャイムの音が屋敷に響いた。
扉を開けると、そこには見知らぬ三人の女性が立っていた。シオンたち四人は彼女たちを見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。
その目は、心底「面倒な相手が来た」と物語っていた。
「こんにちは。あなたが雪月ケント君?」
真ん中に立つ、真紅の髪と瞳を持つ女性が、鈴を転がすような声で問いかけてきた。祝いの空気とはまるで無関係な、外からの訪問者。その存在だけで、部屋の空気がわずかに変わった。
「は、はい……」
ケントが戸惑いながら答えるより早く、シオンたちがケントを奪い返すように抱き寄せる。
「ケントに変なことしないでくれる? ……それよりあんたたち、仕事はどうしたのよ」
「そんな硬いこと言わないでよ〜。神界での仕事はちゃんと終わらせてきたんだから」
「ね、ねえ。雅ねぇ、さっきあの人『神界』って言ってなかった?」
ケントが震える声で尋ねると、雅はいつものような気楽さで答えた。
「あぁ、言ってたわよ。あいつら一応、この世界の神様なの」
ケントは二度、驚愕して目を見開いた。
神が目の前にいる。
それだけでも十分信じられないのに、その神を姉たちは「あいつら」と呼び、面倒そうにあしらっている。
ケントの常識は、音を立てて崩れ去った。
「……それで、あんたたち何の用なのよ。手短に済ませなさい」
シオンの冷たい視線に、赤髪の女神は不敵な笑みを浮かべ、ケントを真っ直ぐに見つめた。
「そんなに警戒しないでよ。私たちは今日、ケント君に『あるもの』を授けに来ただけなんだから」
「……あるもの?」
その言葉が発せられた瞬間、部屋を満たしていた温かな空気が、嘘のように消え去った。
逃げ場のないプレッシャーが四方からケントを押し包み、思わず息を詰める。
お読みいただきありがとうございました!文章表現を少し変えて、よりケントの「体感」に近い形にアップデートしてみました。最後に現れためんどくさい女神たち(笑)。彼女たちが持ってきた「あるもの」とは一体何なのか……次回の展開もご期待ください!




