第七話:初めての王都と、姉たちの暴走
その日の朝、修行を始めようと気合を入れていたケントに、長女のシオンが穏やかな笑顔で告げた。
「ケント、今日は修行はお休み。みんなで王都へ行きましょう」
「えっ……でも、まだ全然できてないことがたくさんあるし、休んでる暇なんて……」
焦るケントの頭を、次女の凪が優しく撫でる。手のひらの温かさが、髪の間を通り抜けていった。
「いいのよ、ケント。あんまり根を詰めすぎると、逆に足が動かなくなっちゃうわよ?」
「……そうなの?」
「ええ。ずっと全力疾走してたら、いつか膝がガクガクになって、そのまま倒れちゃうでしょ? 『しっかり止まって休むこと』も、次に速く走るための大事な準備運動なのよ。だから今日は、心の準備運動をしに行きましょ」
「そうそう! 美味しいもの食べて、綺麗なものを見て、心を動かすのも強くなるためには必要なの!」
三女の雅も、準備万端といった様子でウィンクして見せた。
(息抜きも、修行……)
前の家では、休むことは「怠惰」であり「罪」だった。けれど、姉たちの言葉はどこまでも優しく、ケントの心にストンと落ちた。胸の奥に長く凝り固まっていた何かが、すっと緩むのを感じた。
家を出ると、シオンは指を鳴らした。
足元に淡い光の魔法陣が広がり、景色がゆっくりと白く霞んでいく。
「少しだけ目を閉じていてね」
シオンの声が聞こえた次の瞬間、目の前には、空を突くような高い城壁と、威厳あふれる巨大な石造りの門がそびえ立っていた。
「わあ……すごい……! こんなに大きな街、初めて見た……!」
「ふふ、あれが王都『アステリア』の正門よ」
門の前には長い列ができており、重厚な鎧を着た門兵たちが一人ずつ検問を行っている。鎧が擦れる金属音が、列の先からかすかに響いてきた。やがてケントたちの番が回ってきた。
「次の方、住民票かギルドカードを提示してください」
姉たちは手慣れた様子でカードを提示していくが、ケントの番で手が止まった。
「あ、あの……僕は、その、何も持ってなくて……」
不安げに姉たちを見上げるケント。すると、門兵はケントの小ささと、後ろに控える姉たちから察したのか、苦笑いしながら一枚の薄い魔導カードを取り出した。
「大丈夫ですよ。八歳ならまだ持ってなくて当然だ。身元保証人は……このお姉さんたちだね。はい、これが『仮入国証』。王都にいる間は肌身離さず持っておくこと。無くすと面倒なことになるからね」
「はい! ありがとうございます!」
受け取ったカードは、不思議な冷たさと魔力の気配を帯びていた。指先に伝わるその感触に、ケントは小さく息を呑む。
たった一枚のカードなのに、この街に「入ってもいい」と認めてもらえた気がして、ケントはカードを宝物のようにぎゅっと握りしめた。
「さあ、まずは食材の買い出しに行きましょうか!」
雅の声に弾かれるように、ケントは初めて踏みしめる王都の石畳を、一歩ずつ踏みしめて歩き出した。靴底に伝わる石の硬さすら、どこか新鮮だった。
市場へ入った瞬間、ケントの口は開きっぱなしになった。
色鮮やかな果物が山のように積まれた店、宝石のように輝く魔石を並べている露店、大きな鍋から湯気を立ち上らせる屋台。
行き交う人々の笑い声と商人たちの威勢のいい呼び込みが、市場全体を活気で満たしていた。
香ばしい肉の焼ける匂い、甘い蜜飴の匂い、商人たちの威勢のいい声が一斉に押し寄せてきた。
「わあ……、あそこでお肉焼いてる。……こっちは、キラキラした石が売ってる……!」
きょろきょろと周囲を見渡しては、小さな子供らしく純粋に驚き、感動するケント。その様子を見ていた姉たちの瞳に、怪しい光が灯った。
「……ねえ、みんな。見た? 今のケントの顔。……可愛すぎない?」
「雅、あんたもそう思う? ……あんな顔されたら、何でも買ってあげたくなっちゃうわよね」
「……ケント、似合う服、いっぱいある。……全部、着せる」
凪と雅、そしていつもは物静かなノノまでが、獲物を見つけた猛獣のような笑みを浮かべている。
「ちょ、ちょっと、お姉ちゃんたち……?」
引きつった笑いを浮かべるケントの予感は的中した。
「これ、絶対にケントに似合うわよ!はい次! これも着てみて!」
「えっ!? さっき着替えたばっかり、」
「雅、待ちなさい。まずは歩きっぱなしなんだから休憩よ。ケント、このアイス食べてみる?」
雅と凪がケントの両手を引いて、あっちの店、こっちの屋台へと風のように駆け抜けていく。
ノノは少し後ろを歩きながら、ケントが足を止めて見つめていた小物を、いつの間にかそっと買い物かごへ入れていた。
「わ、わわっ、二人とも、そんなに引っ張ったら……!」
「いいのよケント、今日は『息抜き』なんだから! 体力の限界まで遊ぶわよ!」
「あはは……。……助けて、シオン姉さん……!」
助けを求めて振り返った先には、少し離れたところで優雅に微笑むシオンがいた。彼女だけは、山のような荷物(主にケントへのプレゼント)を魔法でふわりと浮かせて、優雅に歩いている。
「ふふ、元気ね。今日は修行じゃないもの。思い切り楽しみなさい。……雅、凪、ほどほどにしておきなさい。ケントが目を回しているわよ」
嗜める声はどこまでも穏やかだが、シオンの目も、新しい服を着せられたケントを見るたびに「あら、素敵……」と、心なしかキラキラと輝いている。
直接暴走はしないけれど、弟の可愛さを一番特等席で堪能しているのは、実はこの長女なのかもしれなかった。
そんな中、少し後ろを歩いていたノノが、そっとケントの袖を引いた。
「……ケント」
「ん?」
ノノがそっと近づき、小さな木彫りの小鳥を差し出した。
「……さっき、見てた」
「えっ……覚えててくれたの?」
ノノは小さく頷くだけだった。
「ありがとう、ノノ姉ちゃん! 僕、あれ可愛いなって思ってたんだ!」
ケントが嬉しそうに受け取ると、ノノもほんの少しだけ口元を緩めた。
やがて、夕焼けが王都アステリアを黄金色に染め始めた頃。
遊び疲れてお腹を空かせた(一部お腹いっぱいの)一行は、街で一番と評判のレストランの前に立っていた。
「……ここが、今日のご褒美よ。ケント、行こうか」
シオンが優しく背中に手を添える。
そこは、これまでの賑やかな市場とは違う、落ち着いた大人の雰囲気が漂う場所。市場の喧騒が嘘のように、扉一枚を境にぴたりと静まり返った。
ケントにとって、それは本当の意味で「新しい世界」への入り口だった。
店員が丁寧に扉を開けると、落ち着いた音楽と料理の香りが迎えてくれた。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、王都でも五本の指に入る名店『銀の月亭』の最上階だった。
白く清潔なテーブルクロスの向こう、大きな窓からはアステリアの夜景が宝石箱をひっくり返したように輝いている。柔らかな灯りの粒が、どこまでも遠くまで連なっていた。
店員が椅子を引くと、ケントは思わず背筋をぴんと伸ばした。
「なんだか緊張する……」
「そんなに肩に力入れなくてもいいのよ」
シオンが優しく微笑むと、雅たちもつられるようにくすりと笑った。
ほどなくして、美しい磁器に乗った「フルコース」が運ばれてきた。皿が置かれるたびに、ふわりと立ち上る湯気と香りが鼻先をくすぐる。
前菜から始まり、芳醇な香りのスープ、そしてメインの肉料理。
ナイフを入れるだけで解けるほど柔らかいお肉を口に運んだ瞬間、ケントの手が止まった。
「……っ。おいしい、です……」
前の家では、冷えたパンの耳や、腐りかけのスープが当たり前だった。
舌の上でとろける脂の甘みと、鼻に抜けるソースの香り。それはケントが想像していた「食べ物」という概念を、優しく、けれど鮮烈に塗り替えていく。気づけば、目の縁がじんわりと熱くなっていた。
「ケント、泣いてるの? そんなに美味しかった?」
凪が心配そうに顔を覗き込むと、ケントは慌てて目元を拭って、最高に幸せそうな笑顔を見せた。
「うん、それに嬉しいんだ。……みんなと一緒に、こんなに美味しいものが食べられて……僕、夢じゃないかって」
その言葉に、それまで楽しそうに笑っていた姉たちが、ふと真剣な表情を浮かべた。テーブルの上の喧騒が、一瞬だけ静かになる。
シオンがケントの小さな手の上に、自分の手をそっと重ねた。
「夢じゃないわ、ケント。これは、あなたがこれから手に入れる日常の、ほんの入り口に過ぎないの」
シオンの言葉を継ぐように、雅と凪、そしてノノもケントを真っ直ぐに見つめた。
「そうよ! 私たちは決めたんだから。ケントを、必ず幸せにするって」
「……約束。誰にも、邪魔させない」
ケントは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……うん。ありがとう、お姉ちゃん!」
自分を「必ず幸せにする」と言ってくれる四人の姉たちのために、自分ももっと強く、立派になりたい。
贅沢なフルコースの最後を飾る甘いケーキを口に運びながら、ケントは心の中で静かに誓った。
(今度は、僕がみんなを守れるくらい強くなろう)
その小さな決意は、ケントの胸の奥で、誰にも消せない灯火となって静かに燃え始めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます!初めての王都、ケントにとっては驚きの連続でしたが、ケントの姉たちの暴走も凄まじかったですね(笑)。雅と凪、そしてノノの「弟を可愛がりたい欲」は、もはや最強の魔物より手に負えないかもしれません。ラストでシオンたちが誓った「ケントを必ず幸せにする」という言葉。この家族の絆が、今後の物語の大きな鍵になっていきます。次回、王都から帰ったケントたちの家に、『三人の特別な訪問者(仮)』がやってくる……!?新たなキャラをぜひお楽しみに!




