第43話:ケントの異変
辺りは静まり返っていた。
突如として燃え尽きたスキルの書を見て、生徒たちはもちろん、隼人やフローラまでもが言葉を失っていた。
「……え?」
ケントは自分の手を見つめたまま固まっている。
そこには先程までスキルの書があったはずだった。
しかし今は灰すら残っていなかった。
「いや、なんで燃えたんだよ!?」
最初に我に返った隼人は思わず叫んだ。
「わ、わたくしも初めて見ましたわ……」
フローラも困惑を隠せていなかった。
周囲の生徒たちもざわつき始めた。
そんな中、シオンはケントを見つめたまま何かを考えるように黙り込んでいた。
そして数秒後、小さく息を吐いて、
「……ごめんなさい」
「え?」
ケントが顔を上げる。
「どうやら何か問題があったみたいね」
シオンは少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら続けた。
「原因までは分からないけれど、そのスキルの書は正常に機能しなかったみたい」
「そんなことあるんですか?」
フローラが驚いたように尋ねた。
「極めて稀だけどね」
シオンは苦笑した。
「今回は学院側の不手際だから代わりのを用意するわ」
そう言うと、シオンは別のスキルの書を取り出した。
「代わりにこれを渡すわね」
そしてケントへ差し出した。
「鑑定のスキルの書よ」
「鑑定ですか?」
「ええ。これなら問題なく使えると思うわ」 ケントはその本を受け取った。
(今度こそ……)
ケントは心の中で使用を念じると、今度は本が燃えることはなかった。
スキルの書は静かに宙へ浮かび上がった。「おっ」
隼人が思わず声を漏らした。
ページが高速で捲られ始め、淡い光が本から溢れ出していく。
やがて最後のページへ辿り着いた瞬間、ケントの頭の中へ声が響いた。
《鑑定のスキルを獲得しました》
その声と同時に、本に書かれていた文字は全て消え去った。
全てのページは真っ白となり、そのまま地面へ落ちたのだった。
「成功したみたいだね」
ケントが安堵したように笑った。
「今度は燃えなかったな」
隼人もホッとした表情を浮かべた。
「本当に何だったんでしょう……」
フローラは未だに不思議に思っていた。
一方でシオンは、誰にも気付かれないように小さく胸を撫で下ろし、同時にどこか悲しい顔をした。
こうして三人は、それぞれ新たな力を手に入れたのだった。
その日の夜。
学院の生徒たちが実践演習の終了を祝い、それぞれの時間を過ごしている頃――。
誰もいないはずの場所で、二つの声が静かに響いていた。
「……やっぱり血には抗えなかったみたい」
その声はどこか複雑そうだった。
安堵とも、諦めとも取れる響きが混じっていた。
それに対し、もう一人が答えた。
「それに成長速度が私たちの予想以上だった」
わずかな沈黙の後、その人物はさらに続けた。
「早いけど、今の段階で実行しないと……災厄、死んじゃうかもしれないから」
その言葉を最後に、会話は途切れ再び静寂だけが残った。まるで最初から誰も存在しなかったかのように――。
そしてその夜、ケントは夢を見ていた。
見慣れた景色であり、そこには隼人やフローラ、シオンたち姉がいた。
ケントの大切な人たちが皆、自分の目の前に立っていた。
「みんな?」
ケントは声を掛けるが、彼らは何も答えず、そのまま歩き始めた。
「待って!」
ケントは慌てて後を追いかけたが、距離は縮まらなかった。
「待ってよ!」
ケントはもう一度叫んが返事はなかった。
そして次の瞬間だった。
目の前にいたはずの全員が気づいたときには消え去っていた。
「――え?」
そしてケントは体勢を崩し、そのまま地面へ転がっていき手をついてしまった。
べちゃり。
そんな粘ついた液体の感触がして、ケントは嫌な予感がした。ケントは恐る恐る床を見ると、息を呑んだのだった。
そこには先程まで立っていたはずの皆が血まみれで倒れていて、地面は赤く染まっていた。
「な、んで……」
ケントは声が震え、理解が追いついていなかった。
だが、それ以上に恐ろしいことに気付いてしまった。
自分の手が血で濡れているのだった。
手だけでなく、腕や服、全身が血に染まっていた。
「違う…違う……!」
ケントは震えながら後ずさったが、血に染まった地面に自分の顔が見えた瞬間、動きが止まった。
そこに映る自分は、顔へ血が付着していて、右目が赤色に左目は緑色に変わっていた。
見慣れているはずの自分の瞳の色がなく、今は別の瞳の色で不気味に感じた。
「――ッ!!」
次の瞬間、ケントは勢いよく目を覚ました。
「ハァッ……!」
息は荒く漏れて、心臓は激しく脈打っていた。
額には大量の汗が浮かび、寝間着はじっとりと湿っていたのだった。
実践演習が終了してから数日後。
生徒たちは再びいつもの授業へと戻っていた。
そして現在行われているのはシオンの魔法・魔術実技の授業であった。
「今回の授業では、実践演習を経てどれだけ成長したのかを確認します」
生徒たちは静かに耳を傾けた。
「ですので、皆さんには現在使用できる最大威力の魔法または魔術を披露してもらいます。順番に行いますので、名前を呼ばれた人から前へ出てください」
そうして授業は始まり、生徒たちは次々と前へ出て、自身が扱える魔法や魔術を披露していった。
初級しか扱えなかった生徒が中級を使えるようになっていたりと、それぞれの成長が現れていた。
特に目立ったのはフローラで、彼女は上級魔法を無詠唱で披露してみせた。
その実力に教室のあちこちから感嘆の声が上がった。
「流石ラザフォード家だ……」
「無詠唱で上級を使えるのかよ……」
そんな声が聞こえた。
「素晴らしいですね。実践演習の成果がしっかり出ています」
そして何人もの生徒が発表を終えた後――
「次、雪月ケント」
シオンがケントの名前を呼んだ。
「はい」
ケントはシオンの前まで歩いていった。
「あなたの場合、この教室では危険そうだから、異空間で行いましょう」
シオンが指を軽く振ると巨大な魔法陣が展開され、教室が真っ白の別の空間に変わっていた。
ケントは異空間の誰もいない歩いていくと、深く息を吸って静かに目を閉じた。
ケントはゆっくりと口を開き始めた。
「――自然は摂理、摂理は死、死は地獄。我、今ここに地獄の業火を使わん。業火の龍よ、我の敵を全て焼き払いたまえ」
赤黒い炎が周囲へ現れ始めた。
それは通常の炎とは明らかに異なる禍々しい炎であり、炎は渦を巻きながら龍の形を取り始めた。
そしてケントは右手を前へ突き出し、
「火系統獄級攻撃魔法・獄炎龍破」
と言った瞬間、巨大な赤黒い業火の炎龍が咆哮を上げて異空間を埋め尽くす勢いで放たれたのだった。
シオンは様子を確認すると小さく息を吐いて、
「……十分ね」
そう呟くと指を振るった。
次の瞬間、異空間は解除され、ケントは再び訓練場へと戻っていた。
周囲では生徒たちがざわついていた。
「獄級だと……?」
「本当に学生かよ……」
「いや、あれ絶対おかしいだろ……」
そんな声が聞こえたが、ケントにはそれどころではなかった。
ヘルフレアドラゴンを放った直後から、胸の奥に言いようのない違和感が生まれていたのだ。
熱いようで寒いようなそんな、奇妙な感覚だった。
その感覚は時間が経つごとに強くなっていくのだった。
それに耐えきれなかったケントは手を上げた。
「ん?」
「少しお手洗いに行ってきます」
「あら、構わないわよ」
シオンがそう答えると、ケントはすぐにその場を後にし、訓練場を離れて男子トイレへ入った。
ケントは手洗い場へ辿り着くと、両手をついて大きく息を吐いていた。
「はぁ……っ」
額には汗が滲んでいて、心臓の鼓動も妙に速かった。
しばらく俯いていたケントは、ゆっくりと顔を上げて鏡を見た。
「――ッ!?」
すると思わず息を呑んだ。
鏡の中に映る自分の右目が赤く染まっていた。
まるで血のような深い赤色であり、夢で見た自分と同じ瞳だった。
「な、んで……」
慌てて目を擦ってもう一度鏡を見ると、そこにはいつもの自分しかいなかった。
「……気のせい?」
そう呟いたものの、不安は消えなかったのだった。
その日以降からケントは毎晩のように同じ夢を見るようになった。
血まみれの自分と地面に倒れている大切な人たち。そして、赤と緑の瞳を持つ自分の姿。
さらに、少しでも全力を出そうとすると、右目が一瞬だけ赤く変色するようになっていた。
誰にも気付かれていないが確実にケントの身に起きている異変だった。
ケントはそんな自分が嫌で怖かったのだ。
もし夢が現実になって、本当に大切な人たちを傷付けてしまったらと。
そんな考えが頭から離れなかったのだった。
ある夜、ケントは寮のベッドから静かに起き上がった。
夢を見るのが怖くて眠れなかったのだ。だからこっそり寮を抜け出したのだった。
冷たい夜風が吹いていた。
街灯の灯りだけが道を照らしている薄暗い通学路を一人、歩いていたケント。
すると――。
コロコロコロ
ケントの足元に何かが転がる音が聞こえた。
「ん?」
足元へ視線を向けるとそこには酒瓶が転がっていた。
ケントは不思議に思い、その先を見るとベンチに人が寝転がっていた。
「……リリア先生?」
ベンチに寝転がっていたのはBクラス担任のリリアだった。
顔は真っ赤で手には酒瓶を持っていて、どう見ても酔っ払っていたのだ。
「先生、大丈夫ですか?」
ケントが声を掛けるとリリアは顔を上げた。
「ん~……?おぉ~、ケント君じゃないかぁ」
「その……こんなところで何してるんですか?」
「それはこっちの台詞だぞぉ?学生がこんな時間に彷徨いてちゃいけないだろぉ~」
リリアはケントに指を突き付けた。
「す、すみません」
そうケントが謝ろうとした瞬間、リリアは突然笑い出した。
「な~んてな」
「え?」
「私もこんな所で飲んでるし、これはお互い様だから、二人の秘密な?」
リリアは酒瓶を掲げて、ニヤリと笑い、ケントは思わず苦笑した。
「分かりました」
するとリリアは急に真面目な顔になった。
「……で?」
「え?」
「なんか悩んでるだろ」
リリアのその言葉にケントは言葉を失った。
「君の顔にわかりやすく出ているよ」
「そんなにですか?」
「そんなにだ」
リリアは頷きながら立ち上がった。
「教師ってのはな、生徒を不安なく学園生活送らせて、悩みや後悔なく卒業させるのが仕事なんだよ」
リリアは夜空を見上げながらそんなことを言った。
その言葉にケントは黙り込んだのだった。
ケントは少し迷ったが話してみようと思い、夢のことや目のことでの不安を全部話した。
リリアは途中で茶化すこともなく静かに聞いていた。そして、ケントの話の最後に尋ねた。
「頼れる人はいないのか?」
「います。でも……もし本当に夢みたいになったら、僕がみんなを――」
ケントが拳を握り、そこまで言い掛けた時だった。
「そんなの気にしたって仕方ないだろ」
とリリアがあっさり言って、ケントは驚いていた。
「え?」
「人間ってのはな、絶対いつか死ぬんだよ。だから失うのが怖いって理由で距離取ったって意味ない」
リリアは空を見上げながらそう言った。その言葉は妙に真っ直ぐだった。
「消えた後に残るのは後悔だけだ」
そう言って酒瓶を軽く揺らしながらケントを見た。
「だったら今一緒にいろ。不安なんか押し退けて、大切な奴らと笑ってろ」
ケントはしばらく何も言えなかったが、胸に張り付いていた重たいものが少し軽くなった気がした。
「……ありがとうございます」
「いいよいいよ」
リリアは笑いながら酒瓶を掲げた。
「よし!」
そして勢いよく立ち上がったのだった。
「不安も解消したことだし酒飲め! 酒!」
「いや、飲めませんよ」
「ちぇ~」
リリアは露骨に残念そうな顔をした。
それを見てケントは思わず笑った。
「じゃあ」
「ん?」
「僕がお酒飲める年齢になったら、またここで一緒に飲みましょう」
「ははっ」
一瞬だけ、リリアが目を丸くして笑った。その顔はどこか嬉しそうだった。
「なら私は教師続けないとな」
そう言って空になったグラスをケントに差し出した。
ケントも受け取り、二人は軽くグラスを合わせた。
「「乾杯」」
小さなガラスの音が夜の通学路に響いた。
この時だけは、ケントの胸を締め付けていた不安も少しだけ遠ざかっていた。
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