第四話: 雪月の目覚め、家族の温もり
眩い光に包まれ、意識が遠のいてからどれほどの時間が経ったのだろうか。
ふと、頬に当たるシーツの柔らかな感触で目が覚めた。
(……あれ? 痛くない……)
いつもなら、冷たくて固い床の上で、節々の痛みと共に朝を迎えるはずだった。けれど今、ケントを包んでいるのは、羽毛のように軽くて温かな布団のぬくもりだった。
ケントがおそるおそる目を開けると、そこは見たこともないほど天井の高い、広い部屋だった。窓からは柔らかな陽光が差し込み、磨き上げられた木の床を照らしている。
「……目覚めたかしら、ケント」
聞き慣れた穏やかな声に、ケントはハッとして隣を見た。
そこには、椅子に腰掛けて静かに本を閉じるシオンの姿があった。その表情は、あの暗い精神世界で見たときよりもずっと柔らかく、どこか誇らしげに見える。
「お姉、ちゃん……。ここは?」
「私たちの家よ。……おかえりなさい、ケント。無事にこちら側の世界へ辿り着いたわ」
シオンは立ち上がり、ゆっくりと窓を開けた。
ケントがベッドから這い出し、その窓の外を覗き込むと、そこには今まで住んでいた場所とは全く違う、宝石を散りばめたような美しい景色と、空を飛ぶ見たこともない大きな鳥の姿があった。
「本当に……来たんだ……」
窓の外の光景に圧倒されるケントの肩に、シオンが優しく手を置いた。
「ええ。もう誰も、あなたを傷つけたりはしないわ。……そういえばケント、まだ自分の姿を見ていないわね。あちらの鏡を見てごらんなさい」
シオンが指差した先には、豪奢な装飾が施された大きな姿見があった。
ケントはごくりと唾を飲み込み、一歩ずつ、その鏡の前へと歩み寄った。
今まで鏡を見るのが嫌いだった。
映るのはいつも、痣だらけで、怯え、憎まれている「あの家族」と同じ顔をした誰かだったからだ。
けれど、鏡の前に立ったケントは、思わず目を見開いた。
「……これ、が……僕?」
鏡の前に立ったケントは、思わず息を呑んだ。
薄い青みがかかった白銀の髪に、一房だけの鮮やかな青。宝石のような水色の瞳。
何より驚いたのは、その顔立ちだった。
八歳の男の子相応の体格ではあるものの、その輪郭やパーツは驚くほど整っており、どこか女性的な柔らかさを帯びている。すっと通った鼻筋に、血色の良い薄い唇。
少年らしい凛々しさよりも、少女のような儚さと可憐さが同居した、中性的な美しさがそこにはあった。
(……女の子、みたいだ……)
困惑気味に自分の頬に触れるケント。その時、ケントがいる部屋の扉が勢いよく開いた。
バタン! と勢いよく扉が開け放たれた。
「シオン! ケントが起きたって本当――っ!?」
先頭を切って飛び込んできた、銀髪で活発そうな女性が、鏡の前に立つケントを見た瞬間、言葉を失って硬直した。
続いて入ってきた、落ち着いた雰囲気の女性と、少し幼さの残る少女も、まるで時間が止まったかのように立ち尽くす。そして、部屋には一瞬、奇妙な静寂が訪れた。
「…………っ!!」
沈黙を破ったのは、先頭の女性の絶叫だった。
「な、ななな、なによこの可愛さ! 天使!? 天使がうちに舞い降りたのっ!?」
彼女は考えるより先に体が動いたという様子で、ケントへ猛烈に突進した。
「可愛い! 可愛すぎるわケント! お姉ちゃん、もう我慢できないっ!」
「わわっ!?」
驚くケントを軽々と抱き上げると、彼女はそのまま力いっぱい抱きしめて、頬ずりを始めた。
「ねえ、この子に似合いそうな服、もう山ほど用意してあるの。あとでお着替えしましょうね、ふふ、楽しみ!」
「だ、誰……っ!? 苦しいよ……っ」
そんな狂乱の様子を少し離れた場所から眺めていた女性は、一見すると腕を組んで落ち着いているように見えた。しかし、独り言も混ざりながらケントを自室に誘っていた。
「後で私の部屋に来なさい。……あなたにぴったりの、花があるから。それを見た時のあなたの顔……あぁ、絶対に可愛らしいわ……」
そして、もみくちゃにされるケントの真横に、いつの間にか無口そうな少女が音もなく立っていた。
「…………」
彼女はじっと、宝石のようなケントの瞳を見つめている。
そして、抱きしめられているケントの手を、誰にも気づかれないような速さでぎゅっと握りしめた。
驚くほど近い距離。無言の圧力と、繋いだ手の熱に、ケントは顔を赤くして固まってしまう。
「もう、みんな落ち着きなさい。ケントが怖がっているわ」
長女のシオンが苦笑しながら、ケントを救い出した。ケントはシオンの背後に隠れるようにして、おそるおそる彼女たちを見上げる。
「紹介するわね、ケント。彼女たちがあなたの他のお姉ちゃんよ」
シオンはまず、抱きついて離れようとしない元気な女性を指差した。
「今あなたを離さないのが、三女の雅。一番の行動派で、多分ケントによくハグすると思うわ」
次に、少し離れたところでそわそわしている少女に目を向ける。
「そして、いつの間にかあなたの隣にいるのが、四女のノノ。無口だけど、こう見えて一番距離が近いわ」
最後に、シオンは腕を組んでクールを装っているが、期待で声が裏返っていた女性を見て、いたずらっぽく微笑んだ。
「……で、あそこで落ち着いているふりをして、内心あなたに何をプレゼントしようか顔に出ちゃっているのが、次女の凪よ」
「ちょっと、シオン! 余計なこと言わないで頂戴!」
図星を突かれた凪が、顔を真っ赤にして反論する。その声はやはり、ケントへの期待で少し上ずっていた。
「凪お姉ちゃん、雅お姉ちゃん、ノノお姉ちゃん……」
ケントが戸惑いながらもその名前を口にすると、三人の姉たちは一斉に表情を輝かせた。しかし、三女の雅が「待った」をかけるように身を乗り出す。
「あっ! ケント、私は『雅ねぇ』って呼んで欲しいな!」
雅は期待に満ちた目でケントを見つめる。すると、隣にいたノノも服の裾をぎゅっと握りしめて後に続いた。
「……なら、ノノは……『ノノ姉ちゃん』って、呼んで欲しい」
無口なノノの、精一杯の自己主張。
それを見ていた凪も、クールな表情を崩さないように努めながら、上ずった声で付け加えた。
「わ、私は『凪姉さん』でお願い。……その方が、響きが綺麗でしょう?」
三人からの猛烈なリクエストに、ケントは目を白黒させた。
「え……? あ、うん。わ、わかった。……雅ねぇ、ノノ姉ちゃん、凪姉さん」
たどたどしく呼び直すと、三人はそれぞれ「合格!」と言わんばかりに満足げな表情を浮かべた。
「ふふ、良かったわね。……さて、自己紹介も済んだことだし、そろそろケントを休ませてあげないと。まずは食事にしましょうか」
シオンが場をまとめようとした時、ケントがふと彼女を見上げて問いかけた。
「あ、シオンお姉ちゃんはなんて呼んだらいいの?」
他の三人がそれぞれリクエストしたのを見て、ケントなりに気を使ったのだろう。
シオンは少し意外そうに目を丸くし、それから少し考えたが、特にこだわりはないという風に微笑んで答えた。
「なんでもいいよ。ケントが呼びやすい呼び方でいいよ?」
「わかった。じゃあ……シオン姉さんって呼ぶね」
「……ええ。よろしくね、ケント」
2人のやりとりを見ていた凪たちが、「シオンだけずるい!」と言いたげに頬を膨らませたが、シオンはそれを気にせずに受け流した。
「さあ、お喋りはここまで。ケント、お腹が空いているでしょう? ダイニングへ行きましょう」
第4話までお付き合いいただき感謝です!
地獄のような日々を抜け出し、ついに本当の家族との時間が始まりました。
ここからは、ケントが失っていた「子供らしい時間」を取り戻していく平和な日常が続いていきます。
でも、雪月家での生活は一筋縄ではいかないようで……?
第5話「雪月の食卓(仮)」でお会いしましょう!
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