第35話:舞踏会
「――ふふ、これで全部丸く収まったわね」
シオンはほっとしたように息を吐くと、いつもの温かい笑みを浮かべた。
「さて、大切な秘密も共有できたところで、少し気が早いけれど来週の話をしましょうか。ケント、隼人君、フローラさん。来週開催される『新入生歓迎会の舞踏会』に着ていくお洋服は、もう決まっている?」
「あ、はい! わたくしは実家から寄贈されたドレスを、すでに用意しておりますわ」
フローラが微笑みながら答える。
「俺も親父にうるさく言われてよ、仕立て屋に頼んだ礼服がもう寮に届いてるぜ」
隼人も頭を掻きながら、準備万端といった様子で頷いた。
二人の順調な答えを聞き、ケントだけが一人、ぽかんと口を開けて固まっていた。
「……はっ? ぶ、舞踏会……? 洋服……?」
完全に初耳だと言わんばかりに目を丸くするケントを見て、シオンと雅、ノノが顔を見合わせ、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる。
「あら、ケント。あなた自分の分の心配はしなくていいのよ? あなたの衣装なら、私たちお姉ちゃんたちが『とびきり素敵で特別なもの』をもう用意してあるんだから!」
雅が胸を張って嬉しそうに宣言する。
「……ケントの、お洋服……。すっごく、似合うの、選んだよ……」
ノノもボソボソと、しかし妙に嬉しそうにパチパチと拍手をした。
「え、ええ……? 嫌な予感しかしないんだけど……」
ケントがじりっと後ずさりする中、シオンが空間から一つのの衣装を付けられたマネキン取り出して見せた。
それは、夜空を彷彿とさせる深いネイビーブルーから、澄んだ星空のような水色へと移り変わる美しいグラデーションを描き、非常に洗練されたデザインの一着であった。
胸元をシャープに引き締める黒のスタンドカラーには、幾重にも繊細なフリルとレースが重ねられた、華やかな黒のリボンタイが飾られ、高貴な気品を漂わせていた。
ジャケットは直線的な美しさであり、袖口から覗く両手にはフィット感のある黒の薄手の手袋が着用されている。
下半身は足元まで流れるようなラインのスラックスでスマートにまとめられ、右側にだけあしらわれた、まるでマントのようにひらりと揺れるサイドの意匠が目を引いた。生地の至る所には、繊細で細やかな金色の刺繍が美しい星座のような模様として散りばめられていて、最高峰の完成度を誇る服だった。
「な、何これ……!? 凄く綺麗だけど……かっこいいっていうか、これ、男が着る服……?」
ケントは引き気味に、少し嫌そうな顔をして声を尖らせた。
「何言ってるの、ケント! ぱっと見のシルエットはすごく高貴な若き領主様みたいで素敵じゃない!」
シオンが目を輝かせて力説する。
「う、嘘だぁ……! 雅ねぇ、これ絶対にダメだよね⁈だって……こんな服着たら、ただでさえ薄い僕の『男っぽさ』が、さらに消えちゃうじゃん……っ!!」
ケントが頭を抱えて全力で抗議する。
小柄で整った顔立ちのケントがその服を身にまとえば、少年というよりも、美しすぎる少女が男装して舞台に立っているようにしか見えなくなるのは火を見るより明らかだった。
嫌がるケントと、ニヤニヤが止まらない姉たちを見て、隼人は「ぶふっ」と吹き出し、フローラも楽しそうにクスクスと笑い声を漏らす。
「いいじゃねぇかケント、似合ってるぜきっと!」
「ええ、わたくしもケント君のそのお姿、ぜひ拝見したいですわ」
「みんなまで何言ってるんだよー!」
部屋の中に、先ほどまでの重苦しさは微塵もなく、ケントの悲鳴とみんなの温かい笑い声がいつまでも響き渡るのだった。
――そして、新入生歓迎会の舞踏会当日。
煌びやかなシャンデリアが眩い光を放つ大ホールには、着飾った多くの新入生たちが集まり、華やかな熱気に包まれていた。
壇上に立った学園長が、集まった生徒たちをゆっくりと見渡した後、重みのある声を響かせる。
「新入生の諸君。我が学び舎に集いし若き俊英たちよ、学園の生活にはもう慣れたかね?」
その厳かでありながらも温かみを含んだ問いかけに、ホール中の視線が一斉に壇上へと集まった。
「本日この場を設けたのは、過酷な試練を乗り越え、晴れて我が学園の門を叩いた君たちを心から歓迎するためだ。日頃の厳しい鍛錬や座学のことは、今宵ばかりは綺麗さっぱりと忘れなさい。美味しい料理と音楽に身を委ね、新たな友人たちとの絆を深め、存分に楽しむといい」
学園長が穏やかに微笑みながら右手を掲げると、会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「それでは、新入生歓迎舞踏会の幕開けだ。諸君らの未来に、大いなる祝福があらんことを!」
その宣言を合図に、軽快で優雅なオーケストラの演奏が始まり、会場のあちこちで楽しげな談笑の声が広がり始める。
この学園の規則として、教師陣はトラブル防止と監視を兼ね、ホール全体を見渡せる上の階にしか滞在できないことになっている。そのため、シオンや凪、ノノたちは、上層階の手すりから楽しそうに下の様子を見守っていた。
仕立て屋から届いた立派な礼服に身を包んだ隼人と、実家から寄贈された最高級のドレスを纏ったフローラは、下のフロアでキョロキョロと辺りを見回しながら、まだ見ぬ友人の姿を探していた。
「おいフローラ、ケントの奴まだ来てないのか? 先生たちは上の階に行っちまったし、一人で来るはずだけど……あの服を着るのが嫌で、寮の部屋で泣き入ってなきゃいいけどよ……」
「ふふ、隼人。あの方たちのことですもの、きっとばっちり着替えさせて送り出しているはずですわよ。……あ、ご覧になって!」
フローラがホールの入り口を指差した瞬間、それまでざわついていた周囲の新入生たちの声が、まるで波が引くようにピタリと止まった。
誰もが言葉を失い、入り口の一点へと釘付けになっている。
そこには、たった一人で少し恥ずかしそうに会場へと足を踏み入れた、ケントの姿があった。
ネイビーと水色のグラデーションが美しい、あの美麗な衣装に身を包んだケント。
その姿は、あまりにも美しすぎた。
小柄で整った顔立ちも相まって、他クラスの生徒たちには、少年というよりも「美しい少女が、あえて男装して気品高く佇んでいる」ようにしか見えなかった。
「……な、なぁ、あの綺麗な子、誰だ……?」
「新入生にあんな美少女がいたのか……っ!?」
ケントが別クラスの男子たちの視線に気づき、居心地悪そうに身を縮めた瞬間、彼らは一斉にケントの元へと群がった。
「そこの綺麗な君! よければ俺と一曲踊ってくれないか!?」
「いや、僕と踊ろう! ずっと君のことを見ていたんだ!」
「俺と踊ってくれ! 頼む!」
我先にと差し出される無数の手に、ケントは完全に圧倒され、顔を真っ赤にしてパニックに陥ってしまう。
「えっ!? あ、あの、ごめんなさい! 僕は男だし、それに……っ」
「そんな照れ隠しはいいからさ! さあ、ホールの中心へ!」
「ちょ、ちょっと待って! 本当にごめんなさい……っ!」
必死の拒絶も、男子たちの熱狂にかき消されて届かない。助けを求めるように視線を泳がせ、困り果てて涙目になるケント。
その時、群がる男子たちの隙間から、ガシッと力強い腕が伸びてきた。
その腕はケントの細い肩をぐっと引き寄せると、男たちの前に立ちはだかるようにして遮った。
「――おいおい、お前ら。よってたかって、俺の友達を困らせてんじゃねぇよ」
しっかりと通る声で言い放ったのは、立派な礼服を纏った隼人だった。
突然の乱入者に、群がっていた男子たちが不満げに眉をひそめる。
「なんだよお前、邪魔するなよ!」
「そうだぜ、彼女が誰と踊るかは彼女が決めること――」
「わりぃな、こいつは『俺』と踊るんだよ!」
隼人はニカッと不敵に笑うと、男たちの反論を一切無視して、ケントの手をグッと引いた。
そのまま、唖然とする男子生徒たちを置き去りにして、ホールの真ん中へと堂々と突き進んでいく。
「へっ!? は、隼人君……っ!?」
「いいから足合わせろ、ケント! ほら、行くぞ!」
オーケストラの優雅な三拍子が響き渡る中、隼人はケントの腰にそっと手を回し、もう片方の手をしっかりと握り合わせた。
上の階から見下ろしているシオンや雅、ノノたち姉たちは、その光景を特に気にする様子もなく、ただ淡々と見守っていた。
しかし、フロアの隅でその様子を見つめていたフローラは、違った。
フローラは両手を胸の前で軽く組み、頬を少しだけぷくっと膨らませて、むすっとした表情で二人を見つめるのだった。
曲の終わりを告げるオーケストラの華やかな音が響き渡り、隼人とケントは息を合わせて綺麗にステップを止めた。
「ふぅ……。ほらなケント、なんとかなっただろ?」
隼人はニカッと笑った。
「う、うん……。助けてくれたのは本当にありがたいんだけど……男同士でホールの真ん中で踊るの、めちゃくちゃ恥ずかしかったよ……」
ケントは顔を真っ赤にしたまま、衣装の裾をそっと整えた。
そんな二人の元へ、ツカツカと少し早足で近づいてくる人影があった。
実家から寄贈された最高級のドレスを綺麗に揺らしながら歩いてきたのは、フローラだった。その美しい顔は、まだ少しだけむすっとしたままである。
「あ、フローラさん。ごめんね、一人にしちゃって」
ケントが申し訳なさそうに手を合わせると、フローラはフスッと小さく息を吐き、フリルのついたスカートをつまんで綺麗な一礼をして見せた。
そして、真っ直ぐにケントを見つめ、少し拗ねたような、けれど真剣な瞳でこう告げた。
「ケント。……わたくしとも、一曲踊ってください。」
「ええっ!? 僕と、ですか!?」
予想外の申し込みに、ケントは思わず声を裏返らせて一歩後ろに下がった。
「そうですわ。隼人君ばかりずるいですもの。……それとも、わたくしでは不満ですか?」
そう尋ねるフローラに、ケントは慌てて両手を振った。
「そ、そんなわけないよ! でも、僕、うまくリードできるか分からないから……」
「ふふ、構いませんわ。ケントならちゃんとリードできますわ。」
ちょうど次の、今度は少し落ち着いた大人の雰囲気を醸し出す曲が流れ始める。
「おいおい、俺を置いて二人で盛り上がるなよなー」
隼人が苦笑いしながら見守る中、ケントは緊張で少し手を震わせながらも、黒の薄手の手袋に包まれた手をフローラへと差し出した。フローラはその手をそっと優しく包み込む。
ケントがフローラの手をエスコートし、ゆっくりとホールの中心へ進み出ると、周囲の新入生たちの間にさっき以上の大きな衝撃が走った。
「おい、見ろよ……! さっき男子と踊ってたあの子、今度はフローラ様と……!?」
「そんな……! あの方はあのラザフォード家のご令嬢、フローラ・ラザフォード様よ!?」
周囲の男子も女子も、驚愕のあまり目を丸くして二人を凝視している。
それもそのはず、男子と踊っていた人物が、今度は貴族であるラザフォード家のご令嬢から直々にダンスを申し込まれ、美しく手を合わせているのだから。
「あの子、一体何者なんだ……? 男子と踊ったかと思えば、今度はあのフローラ様とまで踊るなんて……」
「まさか、どこかの国の異国の皇族、とか……?」
ざわざわと困惑と感嘆が混ざった囁き声が広がる中、オーケストラの重厚な音が響き渡る。
ケントは周囲の視線に緊張しながらも、真剣な表情でフローラの腰に手を添え、ゆっくりとステップを踏み出した。
「ふふ、ケント君、とってもお上手ですわ」
至近距離でケントを見つめるフローラは、周囲のどよめきなどどこ吹く風で、とても嬉しそうに微笑みながらケントのリードにその身を委ねていた。
華やかな新入生歓迎会の舞踏会も閉幕し、夜も更けた頃。
生徒たちはそれぞれの余韻に浸りながら、各々の寮へと帰路についていた。
男子寮のロビーでは、数人の上級生の先輩たちが待ち構えていたのだった。
「おい、そろそろ新入生どもが帰ってくる時間だぞ」
「毎年恒例のこの寮生による新入生歓迎をしないとな。」
不敵な笑みを浮かべながら、新入生たちの帰還を待っていたのだ。
パタンと重厚な扉が開き、先に帰ってきていた新入生の男子生徒たちがどっとロビーに入ってくる。
「お、帰ってきたな!」
先輩たちが声をかけようとした、まさにその時だった。
胸元の華やかなリボンタイ、黒の薄手の手袋、そして小柄で整った顔立ち。どう見ても「美しすぎる男装した少女」にしか見えないケントの姿が、男子寮のロビーに現れたのだった。
その瞬間、待ち構えていた先輩たちの誰もが、驚愕のあまりあいた口が塞がらなくなり、時間が止まったように硬直した。
「……は? げっ、お前……っ!?」
一人の先輩がケントを指差し、声を裏返らせて叫んだ。
「なんで女子がこっち来てるんだよ!! ここは男子寮だぞ! 入る建物を完全に間違えてんだろ!?」
「えっ!?」
突然怒鳴られたケントは、ビクッと肩を揺らして目を丸くした。
「あ、あの、違います! 僕はちゃんとここの――」
「違うじゃねぇよ! おいお前ら、早くこの子を女子寮に送り届けてやれ! 警備の奴らに見つかったら大ごとになるぞ!」
先輩たちは完全にケントを女子生徒だと勘違いし、パニックになりながら周りの新入生男子たちに指示を出し始める。
せっかく舞踏会が終わってホッとしたのも束の間、男子寮の入り口で再び大騒動に巻き込まれ、ケントは困り果ててガックリと肩を落とすのだった。
「え……? ぼ、僕、本当に男なんですけど……」
ケントは困惑しながら、学生証を差し出した。
それを受け取って覗き込んだ先輩たちは、記載された『性別:男』の文字を見た瞬間、顔を青ざめさせたのだった。
「――って、本当に男だったのかよ!?」
「す、すまん! 完全に女子だと思い込んでた! 悪かったな!」
先輩たちは一斉に頭を下げて平謝りし、ロビーにはどっと安堵と笑いが広がった。
そんな大騒ぎの誤解がようやく解けた後、食堂のソファやテーブルの周りには、先輩と新入生が混ざったいくつかの即席のグループが出来上がっていた。
「おい、ところでよ。お前ら新入生の中で、今一番気になってる女子は誰なんだ?」
一人の先輩がニヤニヤしながら、同じテーブルにいたケントと隼人に話を振ってきた。
他のグループからも
「やっぱりあのクラスのあの子だろ!」
「いや、俺はフローラ様一択だ!」
といった声が聞こえてくる。
そんな中、話を振られたケントは少し困ったように頬を掻き、隼人も腕を組んでうーんと唸った。
「いや……先輩。僕たち、学園に入学してからまだ一週間しか経ってないんですよ? さすがにそんな、気になる女子なんてまだいないんじゃ……」
ケントが素直な感想を口にすると、隼人も横から
「そうそう、そいうの気にしてなかったし」
と同意して頷いた。
すると、それを聞いた先輩は、フッと鼻で笑って立ち上がると、二人の肩をガシッと掴んで力強く言い切った。
「甘いな、新入生! 男って生き物はな、一週間だろうが一日だろうが、いつでも女子のことが気になるもんなんだよ!!」
「うおっ!?」
「いや無茶苦茶すぎません?」
先輩はそう堂々と断言したのだった。
「いいか? 綺麗な薔薇を見たら、いつだって目を奪われるだろ? それと同じさ! ほら、隠さずに言ってみろ。舞踏会で誰か良いなと思った奴はいなかったのか?」
身を乗り出してくる先輩の迫力に、ケントと隼人は一瞬だけ顔を見合わせた。
数秒の迷いもなく、二人は完璧に声を揃えて即答した。
「「いないです(ねぇよ)」」
あまりにも綺麗にハモった、一切の躊躇のない二人の即答。
ロビーの喧騒の中で、その一言だけが妙にハッキリと響き渡り、問い詰めていた先輩は「ぶふっ」と変な声を漏らしてずっこけそうになった。
「お、おいおい、お前らなぁ……! そこはちょっとくらい照れたり、嘘でも誰かの名前を挙げたりするところだろ!?」
「いや、だって本当にいないんですもん。恋愛っていう概念自体は分かりますけど、僕にとってはみんな大切な友達ですから。」
ケントは呆れたように肩をすくめ、衣装の袖を少し引っ張った。
「そうだぜ。俺も恋愛もよくわかってないし」
そんな二人の頑なな態度に、周りの先輩たちは「これだから新入生は……」
「まだウブなんだな」
と口々に言いながら、今度は楽しそうにケントたちの肩をぽんぽんと叩くのだった。
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