第32話:ケントの訓練
その日の夜、ケントは自室のベッドの上で、昼間の錬金術の授業のことを思い出していた。
(どうして、あんな形になっちゃったんだろう……)
脳裏に焼き付いているのは、無数の禍々しいトゲトゲが自分を閉じ込めるように囲っていた、あの異様な檻の姿だ。
魔力はその人の心の在り方を映し出すという。それなら、自分の心にあんなおぞましい檻があるということなのだろうか。どれだけ考えても理由が分からず、ケントは小さくため息をついた。
「……考えても分からないや。明日、図書館に行って魔力の具現化について調べてみよう」
そう決心して目を閉じると、日中の疲れもあったのか、ケントはすぐに深い眠りへと落ちていった。
――暗闇の中、突如として、ケントの記憶にはないはずの情景が鮮明に浮かび上がった。
それは、誰もいなくなった昼間の錬金術の講義室。
真剣な眼差しで雅姉さんに詰め寄る、フローラさんの姿だった。
『あのおぞましいトゲトゲの檻は、一体何なんですの? ケント君の心は、一体どうなっていらっしゃいますの?』
その問いかけに、いつものフランクな笑顔を消した雅ねぇが、ひどく悲しそうな顔で静かに首を振る。
『ごめんなさい、フローラちゃん。それについては、あなたには絶対に話せないわ。……ケントが昔、どんな目に遭って、どんな痛みを抱えたのか。私たち四姉妹はすべて知っているけれど、それを他人に開示するつもりは一切ないわ』
「――っ!」
そこで跳ね起きるように、ケントは目を覚ました。
窓から差し込む朝の光の中で、心臓がドクドクと早く脈打っている。
今のはただの夢か、それとも自分の魔力が、あの場所に残って二人の会話を無意識に拾い上げたのだろうか。どちらにせよ、夢の中の雅ねぇの言葉は、冷たく、そして切なくケントの胸に突き刺さっていた。
ケントは寝汗を拭い、自身の両手を見つめる。
「……そっか。僕はもう大丈夫だって思っていたけど、僕の心は……まだあの時のことを、全然忘れられていなかったんだね」
シオン姉さんたちに救われ、温かい日常を取り戻した今でも、無意識の底にある「過去の傷」は消えていない。
自分の内面にあるその弱点と、向き合うためにベッドから立ち上がった。
講堂に集まったSクラスの生徒たちの前に、ノノが立った。
「皆さん、おはようございます。今日の授業は『体術』です。二人一組になって、近接戦闘における身体の捌き方と、基本の受け流しを徹底的にやってもらいます。隼人君、フローラさん、しっかり動いてくださいね」
「おう! 体を動かす授業なら大歓迎だぜ!」
「……よろしくお願いいたしますわ」
ノノの鋭い号令とともに、講堂のあちこちで
バシィィン!
ゴツッ!
と、激しい肉体の衝突音や気合の声が響き始めた。隼人やフローラたちも、真剣な表情で互いに技を繰り出し、汗を流していく。
ケントも最初は周りと同じように体術の型をこなしていた。しかし、拳を突き出し、足を動かすたびに、脳裏には昨日の「トゲトゲの檻」の光景と、夢の中の雅姉さんの悲しそうな言葉がぐるぐると駆け巡る。
(やっぱり、今のままじゃダメだ。小手先の技術じゃなく、もっと根本的なところを変えないと……!)
ケントは一度動きを止めると、指導のために講堂を見渡しているノノのもとへと真っ直ぐ歩み寄った。
「ノノ姉ちゃん。……少し、お願いがありるんだけど」
「ん… どうしたの…ケント」
ノノは静かに弟を見つめ返した。ケントは講堂の喧騒を背にしながら、まっすぐに姉の目を見て、強い覚悟を込めて告げる。
「僕に……僕に、今の僕に必要な、『精神を鍛える特別な訓練』をやらせてほしんだ」
ノノは一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、すぐに弟の確固たる決意を察し、愛おしそうに、そして誇らしそうに微笑んだ。
「……そっか。……いいよ。……自分の弱さと、向き合うんだね。……えらい、よ」
ノノはいつも通り、小さな声でボソボソと、一つひとつの言葉を確かめるようにゆっくりと喋る。
「……でも、……手加減は、……出来ないから。」
ノノはそう告げると、自身の右手をケントの額の前へとそっとかざした。
瞬間、彼女の指先から、精神を揺るがすような特殊な魔力の波動が放たれる。
「……『地獄の悪夢』。……ケントの悪夢…目覚めよ、……出てきて。……負けちゃ、ダメだよ」
ノノの低く、ゆっくりとした呟きが耳元に届いた直後、ケントの視界がぐにゃりと歪んだ。
ハヤテ君たちの声が急速に遠ざかっていく。
ケントが目を開けると、そこは「小学校の教室」だった。
しかし、そこは空気はどす黒く淀み、壁や床からはドロドロとした黒い怨念のような液体が染み出していた。
そしてケントを取り囲むように、人の形をした「何か」が立っていた。
それは、かつてケントを嘲笑い、蔑んできた者たちの言葉と行動をそのまま模した存在だった。
『お前なんで生きてるんだよ!』
『お前生きている価値あるのか?』
『お前、本当に俺らのきょうだいなのか?』
脳裏に直接響くような罵声とともに、それらの身体はぐにゃりと歪み始めた。
人間の皮が内側から破れるようにして、全身から無数の黒い触手や、鋭い牙を持つ巨大な口が、パキパキと音を立てて這い出てきた。
かつてケントを肉体的にも精神的にも追い詰めた存在の言動を模したそれらは、ケントの恐怖の記憶を栄養にして、文字通り悍しい「怪物」へと変貌していく。
怪物の群れは、ケントを鋭いトゲトゲの檻の中に閉じ込めるように包囲し、一斉に醜悪な咆哮を上げた。
その咆哮は、かつてのトラウマを一瞬にして何度も再体験させられているかのように、ケントの心を激しく打ちのめした。
「う、あ……っ、げほっ……!」
ケントはその場に手をついて、激しく嘔吐してしまった。
涙で視界がにじみ、激しい嫌悪感に頭を支配されていた。
そこへ、醜悪な姿に変わり果てたものが、鋭い触手を振りかざして一斉にケントへと襲いかかってきた。
『死ね! 出来損ないが!』
「――っ」
ケントは襲いかかる触手を反射的に身をよじってかわした。
「……はぁ、はぁ……っ!」
激しい呼吸を繰り返しながらも、ケントは真っ直ぐに目の前の怪物を見据え続ける。
立て続けに繰り出される猛攻を前に、ケントは一度仕切り直そうと、後ろへ距離を取ろうとした。
(――待って。これは『逃げ』なんじゃないの……?)
そう考えた、ほんの一瞬。心の迷いが、動きに決定的な遅れを生じさせた。
「が、はっ……!?」
ケントは攻撃をまともに喰らってしまった。
その瞬間、現実で目を閉じて立っていたケントの口から、鮮血がどっと吐き出された。精神世界でのダメージが、現実の肉体にまで牙を剥いたのだ。
「ケントっ!?」
周囲で体術の稽古をしていた隼人やフローラが驚愕の声を上げる中、ケントは吐血をしたのだった。
冷たい床に叩きつけられ、ケントは痛みに耐えながら、自分の犯した過ちを理解した。
(そっか……僕は、逃げようとしたのか。……そんなの、ダメだ……!)
過去の恐怖から、無意識に後ろへ退がろうとした自分。その弱さを、ケントは激しく拒絶した。
「……そんなの、絶対にダメだ!」
ケントは気力を振り絞ってその場に立ち上がると、気合いを入れ直すように自身の両頬をパーン! と強く叩いた。
ケントは再び、目の前に立ちはだかる存在を真っ直ぐに見据えた。
ケントは、迎撃するために魔法や魔術を放とうと、自身の魔力を操作しようとした。しかし、どれだけ意識を集中させても、身体の中に魔力の感覚が全くないことに気づいた。精神世界ゆえか、あるいは悪夢の呪縛のせいか、魔力を全く練ることができないのだ。
「――っ!」
魔力を封じられたケントへ、再び容赦なく攻撃を仕掛けてきた。
しかし、ケントはその迫り来る触手や爪の猛攻をひらり、ひらりと紙一重で避けてみせたのだ。
(……あ。遅い)
ケントはこの時、自分に襲いかかってくるそれらの行動速度が、あまりにも遅いことに気がついた。
いくら姿が怪物になろうとも、そのスピードは今のケントの肉体からすれば、止まって見えるほどに脆弱なものだった。
これなら魔力がなくても戦える。ケントは対抗するための武器を欲しながら、咄嗟に辺りを見回した。すると、まるでその願いに応えるかのように、ケントの目の前の空間に一本の木刀が突如として現れた。
落ちてきた木刀をしっかりと掴みながら、ケントは不思議に思う。
(どうして、何もないところに木刀が……?)
ケントは検証を確かめるべく、何を思ったのか、空いた左の手のひらをおもむろに怪物へと向けた。
パッ、と手のひらの先に、火の玉が発生した。それはケントの意志に従い、猛烈な勢いで前方へと飛んでいった。
その光景を見て、ケントはすべてを理解した。
(そっか……ここは精神世界だ。だから、自分の精神を強く持って、はっきりとイメージすることで、武器も魔法もすべてここに具現化するんだ!)
仕組みさえ分かれば、もう恐れるものは何もない。ケントは木刀を構えると、眼前の怪物の群れに向かって一歩を踏み出した。
刹那、凄まじい速度で放たれた一太刀が空間を薙ぎ払い、襲いかかってきていた怪物の大半を一瞬で仕留めた。
しかし、悪夢はそう簡単には終わらなかった。仕留めた先から、小学校の床を突き破るようにして、どす黒い怪物の群れが無尽蔵に湧き出してくる。
それらは互いに引き寄せ合うように、何十体もがドロドロと一つにまとまっていった。
(……っ、合体してる……!?)
融合を果たしたそいつらは、先ほどまでの完全に別物だった。
禍々しく巨大化した肉体から放たれるオーラ。攻撃力、速度、防御力、そのあらゆる面において、先ほどとは段違いに強くなっていた。
ドゴォォン!!
凄まじい衝撃音と共に、合体した怪物の一体が信じられない速度で肉薄し、鋭い爪を振り下ろす。ケントは具現化した木刀でそれを受け止めた。
しかし、合体した怪物が周囲に八体以上も立ち塞がっていた。
どうでしたでしょうか?今回はケントが己のトラウマを克服しようとした回です。この話が面白いと感じた人はブックマーケ評価してくれると嬉しいです。
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