第31話:雅の授業
重厚な木製の扉を開けると、実験器具や怪しげな薬瓶が所狭しと並ぶ教室が現れた。独特の薬品臭が漂い、棚に並んだガラス瓶は、窓から差し込む光を受けて色とりどりにきらめいている。鼻をくすぐる薬草の青臭さと、ほのかに甘い鉱石の粉の匂いが、入室した生徒たちの好奇心をくすぐった。
教壇の奥に立っていた雅は、明るい声で生徒たちに話しかけると、教室全体を見渡した。
「さて、今日から始まる錬金術の授業だけど……。ま、ぶっちゃけ座学なんてしても実際にできるとは限らない。早速だけど、最初から実践を始めちゃいましょ」
その言葉に、生徒たちの間に緊張と期待が走る。ざわめきが一瞬だけ静まり、ごくりと喉を鳴らす音さえ聞こえてきそうだった。
「今日やってもらうのは『魔力による植物錬成』。一人で黙々とやってもいいし、誰かと一緒にグループでやってもいいよ。それじゃ、始めてー」
指示を受けた生徒たちは、さっそく仲間を探したり、錬成に必要な素材を取りに行ったりし始めた。椅子を引く音や棚を開ける音があちこちで響き、講義室が一気に賑やかになる。
「おいケント、一緒にやろうぜ」
隼人が、いつものようにのんきな笑顔でケントの肩を軽く叩いた。
「そうですね。ケントと出来るならどれほど心強いものか」
フローラも優雅に微笑みながら、ケントの隣へと歩み寄ってくる。
「俺は戦力外かよ!」
「一言も言ってないですよ。ただ、貴方のことですので考えなしにやるでしょ?」
「全然否定できねえ」
がっくりと肩を落とす隼人の様子に、ケントは思わずくすりと笑みをこぼした。
「あはは、そうだね。じゃあ三人でやろうか」
そうして、ケント、隼人、フローラの三人は自然と一つのグループになった。
棚からとってきた特殊な触媒を前に、三人はそれぞれ集中して魔力を練り込んでいく。指先から淡い光が流れ込み、触媒がほんのりと温かな熱を帯び始めた。空気がわずかに揺らぎ、それぞれの手元で魔力の気配が静かに満ちていく。
「おっ、なんか形になってきたぜ!」
隼人が声を弾ませる。やがて、それぞれの個性を映し出すように、三人の手元に「錬成された花」が姿を現した。
「できましたわ……! 見てくださいな」
最初に声を上げたのはフローラだった。
彼女の手元に咲いたのは、透き通るような花弁を幾重にも重ねた、優雅な大輪の花だった。高級なドレスのフリルを思わせる花弁の縁が光を受けて輝き、気品ある甘い香りを漂わせている。
「すげえ、めちゃくちゃ綺麗じゃん! フローラっぽくていいな」
「当然ですわ。ところで、貴方のはどうなったんですか?」
フロ-ラがのぞき込むと、隼人の花はおよそ植物とは思えないほど荒々しかった。
花弁そのものが赤々と燃え盛る炎でできており、その周囲では青白い雷光がバチバチと不規則に弾けている。手元からは、肌をちりちりと焦がすような熱気が伝わってきた。
「貴方の魔力はいったいどうなっているのですか?」
「知らね。ぐわーってやったらこうなったんだ」
「全く説明になっていませんわ。」
フローラは隼人の態度に呆れてため息をついてしまった。
その後、二人はケントの花を見ようとした。
「ケントはどんな花を作ったんだ……って、うおっ!?」
隼人が声を上げる。隣で花を見たフローラも、「……っ!?」と息を呑み、その場に固まった。
ケントの手元に咲いていたのは、二人が想像していたような穏やかな花ではなかった。
花弁を覆うのは、鋭いトゲが幾重にも絡み合った、禍々しい檻。中心の芯を守るように硬質なトゲが密集し、まるで内側にある何かを、外の世界から必死に隠そうとしているかのようだった。
その花の周囲だけ、まるで誰も近づけまいとするかのように、ひやりと冷たい空気が漂っていた。
「……ケント、これは一体……?」
フローラが恐る恐る尋ねる。
「え? あはは……ちょっと魔力の調整を間違えちゃったのかな?……変な形になっちゃったな」
ケントは頬を掻きながら、苦笑いを浮かべた。その表情はいつもと変わらず穏やかで、自分の花の異様さに、まるで気づいていないかのようだった。
「――はい、そこまでー。はい、みんな注目ー」
雅はいつの間にかケントたちの班の前に立つと、パンパンと手を叩いた。
「ケントたちの班は、とっても個性的なお花が作れたみたいだから、他のお手本にするために先生がいったん回収しちゃいまーす。他の班はそのまま続けてねー」
そう言って、雅は三人の花を教壇へと運んだ。ケントの花を手に取る動きだけが、ほかの二つよりもわずかに素早かった。
「やっぱり、魔力系は苦手だぜ」 と疲れた様子の隼人とほかの班の花を見ようとしているケントをよそに、フローラは教壇に置かれたケントの花から目を離せずにいた。
(あれは、いくらなんでも異様ですわ……)
胸の奥に、冷たいものがじわりと広がっていく。
やがて、終了のチャイムが鳴り響き、生徒たちがガヤガヤと講義室を後にする。けれど、フローラだけは荷物をまとめる手が遅れていた。
「ケント、隼人。あなたたちは先に行っていてください。 わたくし、少し雅先生に錬金術の質問がありますの」
「お、熱心だなフローラ。じゃあ食堂の席取っとくぜ!」
「うん、また後でね、フローラさん」
二人の足音が廊下に消えていく。講義室に残ったのは、教壇で片付けをする雅と、フローラの二人だけになった。窓から差し込む光が傾き始め、静まり返った室内に、瓶がカチャリと触れ合う小さな音だけが響いていた。
フローラは意を決して教壇へ歩み寄り、単刀直入に問いかけた。
「雅先生。先ほどの錬金術について、一つお聞きしたいことがありますの」
「んー? なあに、フローラちゃん」
雅はいつも通りのフランクな笑顔で振り返る。その態度に、フローラは真っ直ぐな視線をぶつけた。
「植物錬成は、術者の魔力だけでなく、精神状態にも左右されるはずですわ。魔力量によって花の大きさが変わり、心の状態によって、その形も変化する……そう習いました」
フローラは教壇の上の、あの禍々しい花を指差した。
「……あのおぞましい、トゲトゲの檻は、一体何なんですの? ケント君の心は、一体どうなっていらっしゃいますの!?」
クラスメイトとして、友人として、あまりにも異常であるケントの精神を放っておけなかった。
その必死の問いかけを聞いた瞬間。
雅の顔から、いつものフランクな笑顔がふっと消えた。
どこか遠くを見るような、ひどく悲しそうな顔。そして雅は、静かに、けれど断固とした拒絶を込めて首を振った。
「……ごめんなさい、フローラちゃん。それについては、あなたには絶対に話せないわ」
「どうしてですの!? わたくしたちは友達で――」
「ケントが昔、どんな目に遭って、どんな痛みを抱えたのか、私たち四姉妹はすべて知っている。……けれど、それを他人に開示するつもりは一切ないわ」
「納得がいきませんわ!」
フローラは一歩踏み出し、さらに食い下がろうとした。
「彼があんなに苦しんでいるなら、友としてそれを放っておくなんて――」
――ドンッ!
次の瞬間、講義室の床が大きく震えた。棚の薬瓶が一斉に音を立て、重苦しい圧力がフローラの全身を押し潰すようにのしかかる。
「……っ!?」
とっさに身構えようとした。けれど、身体が動かない。逃れようとしても、指先ひとつ動かせなかった。
「言ったはずよ」
雅の声から、いつもの明るさが消えていた。
「今回のことについて、これ以上話すつもりはない。……それ以上、私たちの家族に踏み込まないで」
その底知れない威圧感と、暗い拒絶の力に、フローラの意識は急速に遠のいていった。視界の端が白く霞み、足元がふわりと浮くような感覚に襲われる。
「あ……、あ……」
限界を迎えたフローラの身体から力が抜け、そのまま前に倒れ込む。
床に激突する寸前、雅が、彼女の身体を優しく両腕で受け止めた。
気を失ったフローラを抱きかかえながら、雅は元のフランクな、けれど今度は本物の、泣き出しそうなほど悲痛な声を漏らした。
「あの子のことを思ってくれるのはうれしいわ……けどね、ごめんなさい。このことを貴方たちには話せないわ……」
腕の中の少女を見下ろす雅の瞳は、わずかに潤んでいた。
その後、雅はぐったりと意識を失ったフローラを背負い、静まり返った廊下を歩いて保健室へと運んだ。夕暮れの光が長い影を廊下に落とし、彼女の足音だけが静かに響いていく。
保健室のベッドに横たえられたフローラは、深い眠りの中に落ちていた。
それからしばらくして、パタパタと慌ただしい足音が保健室に近づいてきた。
「失礼します。――あら、フローラさん」
入ってきたのは、女子寮の寮長を務める上級生の、セリス・ヴィオラだった。眼鏡の奥の知的な瞳に心配の色を浮かべ、眠るフローラのもとへ歩み寄る。雅から連絡を受け、彼女を迎えに来たのだ。
彼女はまだ目を覚まさないフローラを優しく抱き上げると、静かに彼女を女子寮へと連れて帰った。
寮の自室へ戻る道中、心地よい揺れの中で、フローラはゆっくりと意識を取り戻した。夕暮れの風が、頬をそっと撫でていく。
「……う、ん……。わたくし、一体……」
「あら、気が付いたかしら、フローラさん。無理に動いちゃダメよ」
フローラを背負いながら歩いていたセリスが、ほっとしたように声をかけてくる。
「セリス先輩……? なぜ、わたくし……」
状況が掴めず困惑するフローラに、セリスは少し呆れたような、けれど温かい苦笑いを向けた。
「雅先生から連絡があったのよ。あなたが講義室で急に倒れてしまったって。先生が言うにはね、『最初の実践だからって張り切りすぎて、魔力を使いすぎちゃって倒れたみたい』とのことよ。……本当に、頑張るにしても限度を考えてよね? あなたに何かあったら、寮長として胃が痛くなってしまうわ」
「魔力の……使いすぎ……?」
セリスの言葉を聞いた瞬間、フローラの脳裏に、あの記憶が鮮烈に蘇った。
(魔力の使いすぎ……? 違いますわ。そんなはずがありません。わたくしは確かに、あの時――)
一瞬、すべては自分の見ただらしない夢だったのではないか、という考えが頭をよぎった。錬成の授業で疲れて、そのまま変な幻覚でも見たのではないか、と。 けれど、フローラの背中には、今も消えない冷や汗の感覚と、恐怖による微かな震えがしっかりと残っていた。
(……いいえ。絶対に、夢なんかじゃありませんわ)
ケントの作った、あの棘だらけの檻のような花。
そして、ケントの過去を守ろうとする雅の、常軌を逸したほどの拒絶。
その背後には、四姉妹だけが知る、決して明かせない秘密があるのではないか。
思い出すだけで呼吸が浅くなるほどの恐怖を刻まれながらも、フローラは夕暮れの景色をまっすぐに見つめた。
茜色に染まった空の下、彼女は心に誓う。
いつか必ず、ケントの抱える秘密を知るのだと。
どうでしたでしょうか?今回フローラがケントのことを少なくとも友達と思っていることがはっきりと分かりましたね。
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