第29話:シオンの授業
チャイムの余韻が消え去ると同時に、訓練所の最奥にあるステージの上に、長女のシオンが静然と姿を現した。
「これより、今年度最初の合同授業を始めるわ。担当は私、雪月シオンよ。……最初の講義は、【魔法】と【魔術】の違いについて、だわ」
シオンが声を響かせると、Bクラスの生徒たちの間に、どこか拍子抜けしたような空気が流れた。
(なんだ、そんな基本中の基本かよ……)
(もう家庭教師から耳にタコができるくらい教わってるっつーの)
あらかじめ知っている知識だと、あからさまに授業を侮った様子を見せる彼らの態度を、シオンの鋭い眼光が見逃すはずもなかった。
シオンはフッと冷ややかな笑みを浮かべると、小馬鹿にしたような顔をしていたBクラスの生徒の一人を、適当に指先で示した。
「そこの君。……ええ、あなたよ。分かっているような顔をしているわね。では、その【魔法】と【魔術】の違いを、皆の前で説明してみなさい」
指名されたBクラスの男子生徒は、待ってましたとばかりに自信満々な表情で胸を張った。
「はい! 魔法とは自然界の現象を技として再現させる『神秘の力』そのものであり、一方で魔術とは、数式や魔方陣などの『規則性のある術式』によって人工的に構築されたもので自然界の現象を技として再現するものです!」
完璧に教科書通りの答えを口にし、男子生徒は得意げに周囲の仲間と視線を交わした。Bクラスの他の生徒たちも「当然だろ」と言いたげに頷いている。
しかし、教卓の前に立つシオンの表情は、ピクリとも動かなかった。
「……なるほど、教科書の内容をそのまま暗記しただけの、見事な回答だわ」
シオンは冷淡にそう言うと、冷たい視線のまま告げた。
「言っていることは合っているわ。……けれど、最も重要な『本質』を何も理解していない。今の回答には、10点満点中、半分の5点しか上げられないわね」
その容赦のない言葉に、得意げだった男子生徒の顔がサッと強張った。教科書通りの正解を出したはずなのに、なぜ半分しか点数がもらえないのか。侮るような空気に包まれていたBクラスの生徒たちの間に、一転してざわめきと動揺が広がり始めるのだった。
「少し意地悪な聞き方をしてしまったかもしれないわね。けれど、本質をしっかりと掴んでいれば、答えはすぐに出てくるはずよ」
シオンは冷たい笑みを少しだけ和らげ、教卓に上品に手を突いた。
「私が本当に聞きたかったのは、定義そのものではなく、私たちが実際にそれら『を使う時の違い』についてよ」
シオンのその言葉に、訓練所内の生徒たちは一斉に「使う時の違い……?」と顔を見合わせ、再び考え込み始めた。今度は先ほどのような軽んじる空気はない。
張り詰めた沈黙が流れる中、シオンの鋭い視線がSクラスの列へと向けられ、一つの大輪の華を射抜いた。
「――では、フローラ。あなたなら分かるかしら?」
指名されたフローラは、ふっと息を整え、少しの間だけ綺麗な眉をひそめて思考を巡らせた。そして、確信を得たように顔を上げ、凛とした美しい声で答えた。
「魔法とは、自身の魔力をそのまま属性に変換し、自然現象などを技に変えて再現するものですわ。……つまり、扱う者の『魔力の多さ』が必要不可欠となりますわね。一方で魔術とは、完成前の魔法陣は発動することなくそのまま残りますわ。ですから、魔力が少ない者であっても、時間をかければ強い技を使うことができます。……つまり、こちらは魔力の量ではなく、構築するための『技術や知識』が必要不可欠となるもの。これこそが、使う時の決定的な違いですわ」
フローラが流れるように淀みなく答え終えると、シオンの唇が満足そうに釣り上がった。
「――素晴らしいわ。10点満点、文句なしの正解よ」
シオンはパチ、パチ、とゆっくりと拍手を送り、フローラを称賛した。
「魔法は強大な魔力がすべて。対して、魔術は緻密な知識がすべて。これが実戦における本質的な違いよ。教科書に書いてある定義だけで満足して、この『使う側の条件の違い』を理解していないから、実戦で無駄な魔力を消費して死ぬことになるのよ」
シオンの解説に多くの生徒が納得する中、プライドを傷つけられたBクラスの生徒の一人が、不満げに声を張り上げた。
「――チッ、要するに魔力が多ければ魔法の方がいいってだけの話ですよね? 時間をかけてチマチマ術式を組むなんて、実戦じゃ使い物にならないじゃないですか!」
その傲慢な言葉を聞いた瞬間、シオンはフッと冷徹な笑みを深めた。
「あら、そうかしら? ……例えばだけど、今、まさにあなたが進み出たその足元に、すでに魔術の罠が敷いてあるとしたらどうするのかしら?」
「え……っ!?」
シオンの言葉に、その男子生徒は慌てて自分の足元の床を見つめた。しかし、そこには滑らかな石畳があるだけで、不審な光も文字も見当たらない。
「あなたに、その真偽が今この瞬間に分かるの? ……そこが、魔術の最も厄介なところよ」
シオンがそう呟き、スッと指先を鳴らした。
カチリ、と硬い音が訓練所に響いた次の瞬間、男子生徒の足元の床から、眩い光を放つ巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「――うわあああっ!?」
男子生徒は悲鳴を上げて飛び退いた。魔法陣は発動することなく静かに明滅しているだけだった。
「魔術はあらかじめ仕込んでおくことができる。いつ、どこで、誰が完成させたのかすら分からないまま、踏んだ瞬間に命を落とす恐怖。それが魔術の本質だわ。魔力だけで押し切れると思っている脳筋から順に、実戦ではこういう見えない罠にかかって死んでいくのよ」
冷徹に告げるシオンの言葉と、目の前で証明された魔術の恐怖に、Bクラスの生徒たちは完全に顔を青ざめさせ、言葉を失って立ち尽くすのだった。
すると、ギルバートが、悔しさを押し殺した表情で勢いよく立ち上がった 。
「――でしたら! 同時に真っ向から撃ち合う『魔法対魔法』、あるいは『魔術対魔術』の純粋な勝負であれば、やはり魔力が多い方が勝つのではありませんか!?」
これまでの解説を全て覆そうとするようなギルバートの反論。しかし、シオンは表情一つ変えず、冷淡に一蹴した。
「それはないわね」
「なっ……! では、それをここで証明してください!」
ギルバートは声を荒らげ、ニヤリと歪んだ笑みを浮かべながら、Sクラスの列にいるケントをビシッと指差した。
「そこの新入生代表、雪月ケント! 彼と私で実際に魔法を撃ち合わせれば、どちらが正しいかハッキリするはずです! ただし――首席様の実力なら当然、ハンデは受けてくれますよね? あなたが使うのは【初級のみの魔法と魔術】。これで私の相手をしてもらいましょう!」
ギルバートは、ケントが初級術しか使えないという制限を背負えば、圧倒的な魔力の量でねじ伏せられると踏んだのだ。姑息な提案に訓練所内がざわつく中、指名されたケントは困ったように頬を掻きながら、シオンへと視線を送った。
「……構わないわよ、ケント。やっておしまいなさい。初級だけでも『本質』を掴んでいればどうなるか、その身で教えてあげなさい」
シオンの許可が下り、ケントは「はい」と小さく頷いて前へと歩み出た。
ギルバートは勝機を見出したように下劣な笑みを浮かべ、ケントと対峙する。初級の魔法と魔術しか使えないという圧倒的な不利を課せられたケントが、一体どのような戦いを見せるのか。Sクラスの仲間たち、そしてA・Bクラスの生徒たち全員の視線が、二人の模擬戦へと集中した。
「――そこまで言うなら、お前の化けの皮を剥いでやる! 私の圧倒的な魔力、その身に刻むがいい!」
ギルバートは勝ち誇った顔で叫び、両手を天へと掲げた。彼は制限なく、持てる最大の魔力を練り上げていく。狙うは一撃必殺。ケントに何もさせないまま圧殺するための、上級術の詠唱を始めた。
「――大気に宿る焦熱の精霊よ、我が魔力を糧に――」
ギルバートが言葉を紡ぎ始めた、まさにその瞬間だった。
ポン、ポン、ポン、ポン――!
耳を疑うような連続音と共に、ケントの周囲の空中に、あり得ないほどの速度で小さな炎の球が出現した。それも、一つや二つではない。十、二十――ギルバートが最初の一節を唱え終わるよりも早く、計【三十個】ものファイヤーボールが、ケントを取り囲むように一瞬で空中に展開されたのだ。
「な、んだと……っ!?」
ギルバートの詠唱が、驚愕のあまりピタリと途中で止まった。
自分がまだ上級魔法の準備を始めたばかりだというのに、ケントは初級魔法とはいえ、同時に三十個もの術の並列展開を「もう終わらせていた」のだ。
発動直前が最も無防備になる上級魔法の詠唱中に、これだけの数の火弾を目の前に突きつけられれば、どうなるかは火を見るより明らかだった。動けば一瞬で蜂の巣にされる。そんな圧倒的な実力差と死の予感に直面し、ギルバートは呪文を続けることすらできず、冷や汗を流してただ立ち尽くすしかなかった。
「……これが私の言った『本質』よ、ギルバート君」
静寂の中、シオンの冷徹な、しかしどこか誇らしげな声が響き渡った。
「いくら強大な魔法を用意しようとも、それを発動する前に、圧倒的な速度と技術で詰まれてしまえばそれでおしまいだわ。実戦において、どちらが勝つかはもう明白ね」
空中に浮かぶ三十個の火弾を見上げながら、悔しさと恐怖でガタガタと震えるギルバート。
ケントが「……もういいですか?」と静かに魔力を消すと、ギルバートは戦意を完全に喪失し、そのままその場にペタンとへたり込んでしまった。
「……なぁケント、一つ聞いていいか?」
ギルバートがへたり込み、緊迫した空気が緩んだところで、隼人がのんきに頭を掻きながら手を挙げた。
「初級魔法とはいえ、あんなにたくさん同時に出したら、ギルバートの上級魔法より使う魔力が多くなったりしないのか? 数が多い分、結局は魔力をドバッと消費しそうな気がするんだけどよ」
隼人の至極もっともな疑問に、周囲のA・Bクラスの生徒たちも「確かに……」と深く頷き、教卓のシオンへと視線を向けた。
シオンはフッと満足そうに微笑み、教鞭で手のひらを軽く叩いた。
「いい質問だわ、隼人君。その答えは――【否】よ」
シオンは空中に光の文字で簡単な数式を描き出しながら、全員に聞こえるように解説を始めた。
「基本的な魔力消費の法則として、一つ下のランクの魔法または魔術を【十個分】発動させた総量が、その一つ上のランク一回分の魔力使用量と同じになるのよ」
生徒たちはそれを必死にメモする中、シオンは言葉を続ける。
「つまり、初級から見れば、中級一回分が初級十個分。上級一回分になれば、中級十個分――すなわち、初級を【百個】同時に発動させない限り、上級魔法一回分と同じ魔力の消費量にはならないわ。ケントがさっき展開したのは三十個だから、ギルバート君が消費しようとした魔力の三分の一にも満たないのよ」
その明確な事実を突きつけられ、訓練所内にはこの日一番の衝撃が走った。
(上級魔法の三分の一以下の超ローコストで、上級を完全に完封したのか……!?)
ギルバートは完全にプライドを打ち砕かれ、さらに顔を青ざめさせた。
「省エネで、かつ高速に。これこそが技術を極めた者が至る効率的な戦い方よ。魔力の多さにあぐらをかいているだけでは、実戦では絶対に勝てない理由がこれで分かったかしら?」
シオンの言葉に全員が深く納得する中、ケントは少しだけ補足するように声を上げた。
「あ、でもね、隼人くん。ただ初級魔法をたくさん出せばいいってわけじゃないんだ」
「へ? どういうことだ?」
のんきに首をかしげる隼人に、ケントは苦笑いを浮かべながら説明を続ける。
「たくさんの魔法を同時に近くで展開すると、お互いの魔力が干渉して、発動する前に勝手に誘爆しちゃう危険があるんだよ。だから、術同士が反発しないように完璧に距離を保って、細かくコントロールし続けないと、自分が爆発に巻き込まれて大怪我をしちゃうんだ」
「――その通りよ、ケント」
教卓のシオンが、我が弟の正確な自己分析に満足そうに大きく頷いた。
「今ケントが言った通り、複数の術を同時に操る『並列展開』において、最も恐ろしいのは自滅よ。お互いに誘爆しないようにすべての軌道と出力を脳内で別々にコントロールし続ける――それには、消費する魔力とは全く別の、膨大な精神力と脳の処理能力が必要になるわ。ただの数撃ちだと思ったら大間違いよ」
シオンの言葉に、AクラスとBクラスの生徒たちがゴクリと息を呑んだ。
こうしてシオンの授業は、ほとんどの生徒を圧倒したまま幕を閉じた。
どうでしたでしょか?今回は魔術と魔法の違いについて書いてみました。この後は凪、雅、ノノのそれぞれの授業があります。この後の話が気になる方はブックマーク、評価などをしてくれると執筆の励みになります。
また、これまでの話で「わからない」または「この部分どうなの?」などがあればいつでも質問してください。




