第20話:菓子折りと応援、そして受験当日
「……う、頭が痛い……」
差し込む朝日の眩しさに、エミルは顔をしかめながらゆっくりとベッドの中で身を起こした。
ズキズキと激しく主張する頭痛は、紛れもなくひどい二日酔いの証拠だった。限界までお酒を飲んで、アンナに奢ってもらったところまでは微かに覚えているのだが、そこから先の記憶が白いモヤに包まれていて思い出せない。
(私……どうやって家に帰ってきたんだっけ……?)
自分の部屋の天井を見上げながら首を傾げていると、部屋のドアの向こうから、トントンと小気味よい包丁の音と、香ばしいスープの匂いが漂ってきた。
「あ、起きた? ちょうど朝ご飯ができるところよ」
エプロン姿のアンナが、お玉を片手にひょっこりと顔を覗かせた。
「あ、アンナさん……!? どうして私の家に……」
「どうしてって、あんたがあそこまで泥酔して使い物にならなくなったから、心配で泊まり込んであげたんでしょ。ほら、冷めないうちにスープ飲みなさい。水分摂らないと頭痛治らないわよ」
差し出された温かいスープを受け取り、エミルは恐る恐る尋ねた。
「あの……私、昨日何かやらかしましたか? なんだか、ものすごく嫌な予感がするんですけど……」
「何か、じゃないわよ」
アンナは呆れ果てた顔で、自分の額を押さえた。
「昨日のあんた、本当にやばかったんだからね。酒場で絡んできたおっさんに『四十歳若返って私より年下で低身長の可愛い姿になれ!』って大声で叫んだのは、まだ可愛い方よ」
「えっ……!?」
その言葉の引き金により、エミルの脳裏に昨夜の記憶のピースが濁流のように押し寄せてきた。
「……あ。思い、出した……。ケント君が、目の前にいて……」
「そう。夢だと思い込んだあんたは、ケント君に全力で飛びついて、そのまま家までずーーーっと抱きついたまま離さなかったの」
「う、嘘……っ!」
「嘘じゃないわよ。しかも運の悪いことに、その場にはケント君の4人のお姉様方が勢揃いしててね。あんたがケント君にスリスリしてる間、お姉様方全員、笑顔のまま目が完全に据わってたわ。生きた心地がしなかったんだからね、こっちは!」
アンナの容赦のない事実申告に、エミルは持っていたスプーンを落とし、両手で顔を覆った。
ケントへの人生最大のお誘いに失敗しただけでなく、その日の夜に泥酔して本人に抱きつき、さらにケントの姉たちに、最悪の形で目をつけられてしまったのだ。
「いやああああああああっ!! 何やってるの私のバカバカバカーーーっ!!」
エミルはベッドの上で激しくのたうち回り、枕に顔を押し付けて悶絶した。
羞恥心と絶望感で、今すぐ地球の裏側まで穴を掘って逃げ出したい気分だった。そんなエミルの醜態を、アンナはスープを啜りながら
「明日からギルドでケント君と顔合わせるの、楽しみねぇ」
と、他人事のように楽しげに見つめているのだった。
「……はぁ、本当に。全く昨日は大変だったわ」
場面は変わり、朝の光が差し込むケントの自宅。
ダイニングテーブルの前に座るシオンが、お気に入りのカップを置きながら、昨夜のドタバタを思い出して深くため息をついた。その横では、雅がふてくされたように頬杖をついている。
「本当よ! あんな泥酔受付嬢のせいで、外食の帰り道はずっとお守りさせられる羽目になるなんてね。結局、ケントが買ってくれたケーキも、昨日のうちに食べられなくて今日食べることになったし……」
雅は不満げに口を尖らせ、テーブルの真ん中に置かれた白い紙箱を睨むように見つめた。せっかくの弟の気遣いを、昨夜の最高な気分のまま味わえなかったことが、お姉様たちとしては少し怒り心頭のようだった。
「ふふ、でも無事にお送りできてよかったじゃない。あのまま放っておくわけにもいかないもの」
凪が優しく微笑みながら、切り分けたケーキを一人ずつの皿へと丁寧に移していく。
「ノノ…昨日からずっと…このケーキ…楽しみにしてた!早く…食べよ!」
ノノは目を輝かせながらフォークを握りしめ、早くも食べる満々の姿勢だ。
お姉様たちのそんなやり取りを前に、ケントは困ったように眉を下げつつ、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「ごめんね、姉さんたち。でも……僕はみんなと一緒に食べられたら、いつでも構わないから。今日こうして、みんなで囲んで食べられるのが一番嬉しいよ」
ケントが真っ直ぐな瞳でそう告げると、リビングの空気が一瞬でふわりと和らいだ。
シオンは思わず目元を緩め、雅も
「……もう、あんたがそういうこと言うなら、許してあげるしかないじゃない」
と、照れくさそうに視線を逸らす。
「ふふ、やっぱりケントが一番優しいわね。さあ、冷めないうちに美味しいお茶と一緒にいただきましょう」
凪の言葉を合図に、姉たちのイライラは一瞬で消え去り、ケントを囲む幸せなデザートタイムが始まるのだった。
「あ、ケント君……! おはよう、ございます……」
月曜日。ギルドの重厚な扉を開けたケントの姿を見つけるなり、受付カウンターのエミルはビクッと肩を跳ね上がらせた。
顔は耳まで真っ赤で、視線は泳ぎ、手元のバインダーが小刻みに震えている。完全にあの朝の悶絶を引きずっていた。
「あ、エミルさん、おはようございます」
ケントがいつもと変わらない誠実な笑顔で歩み寄ると、エミルは勢いよく頭を下げた。
「あのっ、本当にごめんなさい! 先週の夜、私、お酒に呑まれてケント君にとんでもないご迷惑を……! その、お姉様方にも本当に申し訳ないことをしてしまって……!」
消え入りそうな声で必死に謝るエミルを見て、ケントは困ったように眉を下げて首を振った。
「あはは、気にしないでください。エミルさんを無事に送り届けることができましたし、お姉ちゃんたちも『面白い人だったね』って言ってましたから」
「面白い人……ううっ……」
そのフォローが逆に突き刺さり、エミルは心の中で涙を流した。しかし、すぐに気を取り直してカウンターの下から丁寧に包装された箱を取り出した。
「これ……もしよかったら、お詫びの菓子折りです。私からの気持ちなので、ご家族と一緒に食べてください!」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます、姉さんたちもきっと喜びます」
ケントが嬉しそうにそれを受け取ると、エミルはホッと胸を撫で下ろした。
少し落ち着きを取り戻したエミルは、以前からギルド内で噂として耳にしていた『ある疑問』を、思い切ってケントに投げかけてみた。
「あのね、ケント君。……ケント君って、やっぱりいずれは学園に入るの?」
規格外の実力を持つケントだ。このまま冒険者を続けるとしても、基礎や教養、人脈を広げるために貴族や優秀な若者が集まる学園へ通うのが、この世界の通例だった。
「あ、はい。入る予定です」
ケントがあっさりと頷くと、エミルは少し寂しそうな、それでいて少し安心したような表情を浮かべた。
「そっかぁ。……ちなみに、それっていつ頃になるの?」
「確か、3年後ですね」
「3年後……!」
その言葉を聞いた瞬間、エミルの頭の中で素早く計算が行われた。
3年後。ケントは今よりも少し背が伸びて、きっともっと素敵に成長しているはずだ。そして自分は……まだギルドで彼の担当を続けていられる。それまでに、もっと大人の女性としての魅力を磨いておけば、今度こそチャンスがあるかもしれない。
エミルの瞳に、密かな野望の炎が再びパッと灯った。
「そっか、3年後ね! 大変なことも多いと思うけど、学園の準備も冒険者業も、頑張ってねケント君! 私、ずっと応援してるから!」
「はい! ありがとうございます、エミルさん」
エミルの満面の笑みに見送られながら、ケントは今日も元気に依頼へと向かうのだった。
そして――時は矢のように流れ、エミルのヤケ酒事件から三年の月日が瞬く間に過ぎ去っていった。
かつてエミルの前で「私より年下で低身長の可愛い姿」と称されていた少年ケントは、日々の冒険と成長を経て……中身こそ恐ろしく逞しくなったものの、身長だけはさほど伸びていなかった。
12歳になった今でも、同年代の平均身長より少し小さい程度。愛らしい顔立ちと小柄な体躯は健在で、相変わらずマスコットのような可愛らしさを放っている。
そんな彼の受験当日の朝。ケントの家のリビングは、いつも通り静かで落ち着いた空気に包まれていた。
姉たちにそわそわとした焦りや不安の色は一切ない。ケントの実力を誰よりも知る彼女たちにとって、この試験は単なる通過点に過ぎないからだ。
「忘れ物はないわね、ケント」
シオンがいつもと変わらない佇まいで、ケントの持ち物を一度だけ目線で確認する。
「ええ。受験票も筆記用具もちゃんと持ったよ、シオン姉さん」
「ふふ、なら安心ね。お守りに私の特製ハーブティーを水筒に入れておくから、試験の合間にでも飲でね」
凪が温かいボトルをケントの小さな手に手渡した。その微笑みには絶対的な信頼が宿っている。
「実技試験があるんでしょ? まぁ、ケントの実力なら適当にいなしてくれば十分よ。大柄な相手が来ても、いつも通りにね」
雅はソファに深く腰掛けたまま、本から目を離さずに淡々と言った。
「ケント…頑張ってね。ノノ…帰ったら…美味しいおやつ…用意して…待ってる」
ノノもケントの背中をポンと軽く叩き、いつも通りの笑顔で見送る。
「みんな、ありがとう。それじゃあ……行ってきます!」
姉たちの揺るぎない信頼を背に受け、ケントは一歩、また一歩と、憧れの学園へと続く一本道を力強く歩み出した。
同じ頃、冒険者ギルドの受付カウンターでは。
「あぁ……今日からケント君の受験当日よね……。あの可愛い姿のまま、大きな男の子たちに揉まれてないかしら……!」
三年前より少し大人っぽくなったエミルだけが、祈るように胸の前で両手を組んでそわそわしていた。そう、彼女の理想の「年下・低身長・可愛らしい姿」のまま12歳になったケントは、今でも彼女のドストライクなのだ。
「はいはい、そこまで。ケント君ならどうせ筆記も実技もトップ合格に決まってるんだから、あんたは自分の心配をしなさい。ほら、書類が山積みよ!」
ポンッ!
相変わらずのアンナが、リズミカルにバインダーでエミルの頭を叩く。
「いったぁ……。も、もう、分かってますよぅ!」
涙目をこすりながらも、エミルの胸は期待で弾んでいた
門をくぐれば、そこは数々の天才と称された者たちが集う最高峰の学び舎。
周りも強そうな12歳の受験生ばかりだ。すれ違う者たちが
「なんだあの子供は?」
「受験会場を間違えたんじゃないか?」
とヒソヒソと囁き、侮るような視線を向けてくる。
しかし、ケントはそんな視線を気にする風もなく、空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「よし……やるぞ!」
ご一読いただきありがとうございました。
いよいよ、3年後の受験当日編へと突入しました!
12歳になっても相変わらず愛らしい見た目のケントですが、中身はさらに規格外。送り出すお姉様たちの「受かって当然」という落ち着きっぷりも彼女たちらしいですね。
周囲に舐められているケントがここからどんな無双を見せるのか、どうぞお楽しみに!
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