第19話:お土産のケーキと、理不尽な独占欲
「ただいまー!」
ギルドを離れ、ケントはいつもの見慣れた我が家の木製の扉を開けた。
手に持った箱を落とさないよう、慎重に、かつ弾むような足取りでリビングへと向かう。
「おかえり、ケント」
出迎えたのは、キッチンから顔を覗かせた凪だった。
「遅かったわね。ケントがいないと、この家は静かすぎて調子が狂うわ」
「ふふ、本当ね。ケント、お疲れ様」
その言葉に合わせるように、シオンが歩み寄り、ケントの肩から上着を優しく受け取る。姉たちの温かい出迎えに、ケントの表情が自然と緩んだ。
「姉さんたち、これ見てよ! 美味しそうなケーキがあったから買ってきたんだ。食後のデザートにみんなで食べよう!」
ケントが弾んだ声で、紐のついた四角い紙箱をテーブルの真ん中に置いた。
しかし、その瞬間、リビングの空気がピキリと一瞬だけ凍りついた。姉たちの視線が、一斉にその白い箱へと注がれる。
「えっ……ケーキ?」
ソファの背もたれからひょっこりと顔を覗かせた雅が、あからさまに目を見開いた。驚きのあまり、膝の上で読んでいた本のページをめくる手がピタリと止まる。
「ちょっと待って、ケント。あんた今日、そのケーキ買ってきたの!?」
「うん。すごく人気の店で、なんとか買えたんだ。……どうかした?」
あまりに奇妙な姉たちの反応に、ケントは不思議そうに首を傾げた。
すると、雅はテーブルの上の箱とケントの顔を交互に見つめ、すまなさそうに眉を下げて謝った。
「それ、すっごく高いお店のじゃない……。ごめんね、ケント」
「え? 全然気にしないで。食後にみんなで一緒に食べればいいんだから」
ケントが気にする風もなく笑うと、その横から、ずっと気まずそうにもじもじしていたノノが、消え入るような声で口を開いた。
「でも……今日は……サプライズで……外食にして……お店、予約……してしまったの……」
小さな両手で顔を覆いながら打ち明けたノノの告白に、雅と凪は「あ!」と声を上げ、今さら気づいたかのように揃って頭を抱えた。完全に想定外の事態に、二人の顔に焦りの色が浮かぶ。
「そうだったわ! どうしよう……。そうだ、お店に今から予約キャンセルしよっか!」
慌てて立ち上がろうとする雅の発言に、今度はケントが目を丸くして驚いた。
「いや、ダメだよ!? 当日キャンセルなんて、お店の人にも迷惑がかかっちゃうんだから!」
慌てて雅をなだめるケントを見て、シオンは小さくため息をつき、困ったように白い頬に手を当てた。
「でもねぇ、ケント。今日行くお店はそこまで高い場所じゃないから、別に無理して行かなくてもいいというのが私たちの考えなの。何より……今はみんな、ケントが私たちのために買ってきてくれた、そのケーキを食べたい気持ちでいっぱいなのよ」
シオンは慈しむような視線をケントに向け、柔らかく微笑んだ。
ケントは首を振って、テーブルの上の白い箱を愛おしそうに見つめた。
「ううん、ダメだよ。せっかく姉さんたちが僕のために予約してくれたんだから。……そうだ! 外食から帰ってきた後に、夜食としてみんなで食べよう。甘いものは別腹って言うしね」
「ケント……!」
ノノがパッと顔を輝かせ、雅も
「さすが私の弟、話がわかるじゃない!」
と嬉しそうにケントの肩を叩いた。凪は「じゃあ、帰ってきたら温かいお茶を淹れるわね」
と微笑み、シオンも「ええ、それが一番いい解決策ね」
と満足げに頷いた。
そうと決まれば行動は早い。ケントは大事なケーキの箱を涼しい冷暗所へと仕舞い込むと、姉たちに促されるまま、夕闇の街へと繰り出した。
「……あれ? 姉さん、ここって……」
到着したお店の前に立ち、ケントは少しだけ戸惑いの声を漏らした。
そこは、昼間ケントが立ち寄った冒険者ギルドとはまた違う、独特の熱気と賑やかな笑い声が外まで漏れ聞こえてくる『酒場』だった。重い扉を開けると、エールを片手に大声で笑う男たちや、肉料理の香ばしい匂い、そして少し煙った独特の空気がケントの五感を刺激する。普段の姉たちなら、あまり好んで近寄らなさそうな大衆的な場所だった。
「ふふ、驚いた?」
ケントの反応を楽しそうに見つめながら、シオンが少し声を落として理由を教えてくれた。
「あなたももう立派な冒険者だもの。たまにはこういう場所の空気も経験した方が良いと思ったのよ。どんな人間が、どんな話を求めて集まるのか……それを肌で知るのも、これから大人になっていくケントには必要なことだからね」
「そうなの! それにね、ここのお店、お酒だけじゃなくてお肉料理がすっごく美味しいって評判なんだから!」
雅が胸を張って割り込み、ノノも
「ノノ…お腹…ぺこぺこ!」
とケントの袖を引っ張る。
姉たちが自分の成長を認め、そして大人の世界を学ばせようとここを選んでくれたのだと知り、ケントは嬉しさと少しの緊張を抱きながら、賑やかな店内の奥へと足を踏み入れた。
「ううっ……もう一杯! マスター、お代わりくださいぃ……!」
賑やかな店内の喧騒に負けないほど大きな、そして完全に出来上がっている女性の声が、すぐ後ろの席から響いてきた。
あまりの勢いに、ケントがフォークを止めて何気なく振り返ると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。
「ちょっと、エミル。あんた、もう完全に酔ってるでしょ。いい加減にしなさいって」
「嫌ですぅ! アンナさん、聞いてくださいよぉ……。私、今日人生で一番勇気を出したんです。なのに……なのにぃ……!」
カウンターの隅で頭を机に突っ伏し、涙目でジョッキを掲げているのは、間違いなく先ほどギルドで別れたばかりの受付嬢、エミルだった。そしてその隣では、呆れ果てた顔をした先輩のアンナが、彼女の背中をトントンとリズミカルに叩いている。
「あ……エミルさん?」
ケントが思わず声を漏らすと、その呟きを聞き逃さなかった姉たちの視線が、一斉に後ろの席へと向けられた。
「あら、ケント。あのお知り合いの女性、あなたの名前を叫んでいるみたいだけど?」
シオンがグラスを傾けながら、面白がるような、それでいて少し値踏みするような視線をエミルへと向ける。
「ふふ、なんだか凄く取り乱していらっしゃるわね」
凪はおっとりと微笑んでいるが、その目はどこか楽しそうだ。
「ちょっとケント、あんたギルドで一体何をやらかしてきたわけ?」
雅がニヤニヤしながらケントの脇腹を軽く突き、ノノも
「ケント…あの人…泣いてるよ?」
と不思議そうに首を傾げた。
「……ちょっと、お姉ちゃんたち。あそこで飲んでるの、私のギルドの担当受付嬢のエミルさんなんだ」
ケントが小声で事情を説明しようとした、その時だった。
泥酔してクダを巻くエミルたちの席へ、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた中年の男がのっそりと近づいていった。酒の臭いをプンプンと漂わせ、見るからに質の悪そうな荒くれ者だ。
「へへっ、おねえちゃんたち、随分と景気がいいねぇ。そんなに寂しいなら、俺がいくらでも話を聞いてやろうか?」
男がエミルの肩に手を回そうとする。ケントが「あ、危ない!」と腰を浮かせかけたが、次の瞬間、エミルから放たれた空気は完全に男を圧倒した。
「……触るな、この粗大ゴミ」
エミルは据わった目で男を睨みつけると、容赦のない言葉の弾丸を叩き込んだ。
「あんたみたいなキモい男、こっちは一ミリも興味ないの。酒が不味くなるからさっさとどっか行きなさい!」
「な、なんだとぉっ!?」
若い女に色好い返事をもらえると思っていた男は、一瞬で顔を真っ赤にして激昂した。拳を握りしめ、エミルに凄もうとする。しかし、失恋のどん底にいるエミルの勢いは、そんな脅しなどどこ吹く風だった。
「なんだと、じゃないわよ! 耳までボロが出てるの? 私に相手して欲しかったらねぇ!」
エミルはバンッ! と激しく机を叩いて立ち上がると、男の鼻先に人差し指を突きつけた。
「あと四十歳くらい若返って! 私よりも年下で! 身長が低めのかわいらしい姿に変わりなさい!! 」
「え、ええ……?」
エミルのあまりに具体的すぎる『理想の条件』と凄まじい剣幕に、男は完全に気圧され、怒りよりも困惑が勝って一歩後退りした。
その言葉を背後で完璧に聞き届けてしまったケントの席では、一瞬の静寂の後、お姉様たちの目が怪しく光った。
「……へぇ」
シオンが冷ややかな、しかし確信に満ちた笑みを浮かべる。
「私より年下で、身長が低めで、かわいらしい姿……ねぇ?」
雅がニヤニヤしながら、ケントの頭からつま先までを舐めるように視線で往復させた。
「ふふ、なんだか、とっても聞き覚えのある特徴だわ」
凪が頬に手を当てて楽しそうに首を傾げ、ノノも「それってケントのことじゃん!」と無邪気に声を上げた。
「ち、違うよ姉さんたち! エミルさんはただ酔っ払って適当なことを言ってるだけで……!」
顔を真っ赤にして弁明するケントだったが、時すでに遅し。姉たちの興味は、完全に後ろの席の「面白い受付嬢」へと注がれていくのだった。
「ほら、ケント。あんたの担当さんでしょ、行ってあげなさい」
雅とシオンに背中を強めに押され、ケントはよろめきながらエミルの席へと押し出された。
「わっ……!? ケ、ケント君……?」
急に目の前に現れたケントを見て、エミルは完全に据わった目で瞬きを繰り返した。
「幻……? ううん、夢だよね……! 夢ならいいよねっ!」
エミルは考えるよりも先に、ケントの華奢な体に全力で抱きついた。柔らかい感触と酒の甘い匂いがケントを包み込む。
「わわっ、エミルさん!? ちょっと、離れてください!」
ケントが赤面して慌てる中、背後からチリチリとした痛烈な視線が突き刺さる。振り返ると、シオン、凪、雅、ノノの4人が、全員笑顔のまま額に青筋を浮かべていた。
(自分たちが僕を押し出したのに、なんでそんなにイライラしてるの、姉さんたち……!?)
理不尽な姉の独占欲を肌で感じ、ケントは背筋が凍る思いだった。
そんな修羅場の一歩手前で、完全に蚊帳の外に置かれていた中年男が、ついに怒りを爆発させた。
「てめぇら、ガキと女の分際で、俺をコケにしやがって! まとめてブッ飛ばしてやる!!」
男がケントとエミルを巻き込むように、酒臭い拳を大振りに振り下ろす。隣のアンナが「危ない!」と叫んだ。
だが、ケントの動きの方が遥かに早かった。
エミルに抱きつかれたまま、ケントはテーブルの上にあった小さなバターナイフを、目にも留まらぬ速さでひょいと手に取った。
ピタッ、と拳が止まる。
男が息を呑んだ。いつの間にか、自分の喉元に、鈍く光る銀色の刃が完璧な角度で突きつけられていたからだ。いつでも首の頸動脈を正確に断ち切れる、そんな意味が込められているかのように。
「あんまりお酒を飲みすぎたら、体に良くないですよ?」
ケントはいつもの誠実で、底抜けに優しい笑顔のまま、凍りつくような冷徹な声でそう囁いた。
その瞳の奥にある圧倒的な強者の気配に、男は一瞬で総毛立った。
「ひっ……ひいいぃっ!」
男は腰を抜かしそうになりながら、バターナイフが離れた瞬間に、一目散に酒場の扉を押し開けて逃げ去っていった。
そしてケントは、そんなことがなかったかように近くにいたアンナに助けを求めたのだった。
「あ、アンナさん……! 助けてください……!」
ケントはエミルにがっしりと抱きつかれたまま、隣で生温かい目をしてこちらを見ているアンナに、必死の思いで助けを求めた。
しかし、アンナは手元のジョッキに口をつけ、はぁー、と深いお荷物気味のため息を吐きながら首を振った。
「いや、無理ね。こうなったときのエミルは、自分の欲しいものを絶対に離さない程の力を発揮するのよ。私一人じゃ引き剥がせないわ」
「そんなぁっ!」
「悪いんだけど、ケント君。今日だけは責任取って、この子の家まで一緒に来てくれないかしら? もちろん、ご家族にちゃんと連絡を入れてからでいいし、なんなら一緒に送ってもらっても構わないから」
アンナが申し訳なさそうに視線を向けた先には、腕を組んでジト目を向けているシオン、凪、雅、ノノの4人が鎮座していた。
アンナの言葉を聞いた姉たちは、すぐさま顔を見合わせ、無言のままアイコンタクトを交わす。
「……そういう事情なら、仕方がありませんわね。私たちの可愛い弟を、このまま夜の街に一人で行かせるわけにはいかないもの」
シオンがすっと立ち上がり、静かな足取りでケントたちの席へと歩み寄ってきた。その後ろには、やはり笑顔ながらも目が笑っていない凪、雅、ノノが続く。
「ケント、そのお嬢さんを送り届けるの、私たちも一緒に行くわ」
「えっ、みんなで……?」
「当然でしょ! こんな泥酔したお姉さんに、ウチの可愛いケントを二人きりで預けられるわけないじゃない!」
雅がふんっと鼻を鳴らし、エミルを牽制するようにケントのもう片方の腕をがっしりと掴んだ。
「ふふ、お友達の家がどこか分からないと困るものね。みんなで賑やかに夜のお散歩をしましょうか」
凪が上品に微笑むが、その圧力は凄まじい。
「ノノも…行く!…ケントが…取られちゃいそう…だから!」
ノノもケントの服の裾をぎゅっと握りしめる。
結局、アンナが会計を済ませる間もエミルはケントに抱きついたままで、ケントは姉たち四人とアンナ含めた全員でエミルの家へと向かうことになってしまった。
ご一読いただきありがとうございました!今回は過去最高の5400文字超えという、作者としても気合の入った大ボリュームの回になりました。お土産のケーキをめぐるお姉様たちとの微笑ましいやり取りから一転、夜の酒場では泥酔したエミルちゃんとのまさかの遭遇。絡んできたおっさんをバターナイフ一本で圧倒したケントですが、エミルちゃんに抱きつかれたまま、お姉様たちの理不尽な独占欲の視線に晒されるという大ピンチを迎えています(笑)。果たしてケントは無事にエミルちゃんを送り届け、家でケーキを食べることができるのか……!?少しでも面白いと思ってくださったら、ぜひブックマークや評価などで応援していただけると嬉しいです!次回もどうぞお楽しみに!




