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はちゃめちゃな異世界帰還〜実の姉が迎えに来たので本来の世界へ戻ります〜 【旧:Reminiszenz】  作者: 龍運
一章:始まりの物語

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第二話:偽りの揺り籠、魂の片割れ

「あなたは雪月ゆきづきケント……私『たち』の、たった一人の弟よ」

「弟って……。僕があなたの弟だなんて証拠、どこにあるの?」

 声が、思った以上に硬く尖った。えん自身、それに少し驚いた。

その問いに、女性は困ったように眉を下げた。星明かりの中で、彼女の表情がわずかに曇る。

「……ないわね。正直、ここはあなたの精神世界なんだけど、あなたからしたらそれすら信じられないでしょう?」

 その言葉に、炎は疑いの目を向けた。湖面に映る無数の星が、彼の足元でゆらゆらと揺れていた。

「……うん。いくらそんなこと言われても、あなたの言うことは信じられない」

「そうよね……」

 女性は小さく息を吐き、視線を一度、湖の彼方へ向けた。

「それに、僕はあなたの名前だって知らないんだ」

 ハッとしたように、女性が顔を上げた。藍色の髪が、風もないのにわずかに揺れる。

「そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私の名前は雪月シオン。あなたの本当の姉よ。……信じられないとは思うけど、これだけは言えるわ。あなたが今『家族』だと思っている人たちは、絶対にあなたの家族じゃない」

「っ!! ……なんで、そんなひどいことを言うの!?」

 炎の声が裏返り、胸の奥で、何かが鋭く引っかかるような痛みが走った。

「考えてみて。他にもきょうだいがいるのに、あなた一人だけあんな仕打ちをされるのよ。むしろ、血の繋がった家族だって言われる方が無理があるわ。……それは、『その肉体の持ち主』にとってもね」

 炎はその言葉に違和感を覚え、思わず聞き返した。

「肉体の持ち主にも言えることって……どういうこと? この体は、僕のじゃないの?」

 シオンの瞳が、痛ましげに揺れた。

「ええ。その体はあなたのものではないわ。あなたはある出来事で魂だけの状態になり、彷徨ううちにその肉体に入り込んだの。そして、本来の持ち主の魂は、今も眠ったまま……」

 あまりの情報に、炎は困惑を隠せなかった。視線が定まらず、何度も自分の両手を見下ろす。本当に自分のものなのか、確かめるように。言葉を詰まらせながら、必死に問いを重ねる。

「……あなたの言う通り、あの人たちと僕が家族じゃないとしても……。でも、元々の体の持ち主とあの人たちは、本当の家族のはずだよ。なのに、どうしてあの子も家族じゃないなんて言えるの? そんなのおかしいよ!」

 シオンは淡々と答えた。その声は冷たいわけではなく、ただ静かに事実だけを述べるような響きだった。

「おかしくないわ。だって、彼――元の肉体の持ち主は、あの人たちに拾われただけの『他人』なんだもの」

 炎は激しく首を振った。自分の体ではないことも、どれだけ酷い目に遭っても大切に思おうとしていた家族が偽物だということも、どちらも受け入れがたかった。喉の奥から、押し殺していたものが一気にあふれ出そうになる。炎は、怒りと悲しみに声を震わせた。

「……じゃあ、その『本当の持ち主の子』はどこにいるの? どこで眠ってるっていうんだよ!」

 シオンは静かに、炎の足元を指差した。その指先はわずかに震えていた。

「見て。あなたのすぐ下に」

 言われるがまま、透き通った湖の底を覗き込んだ炎は、息を呑んだ。水面に映っていた星々が、見下ろした瞬間にすっと薄れ、その奥に別の光景が浮かび上がる。

 澄んだ水底のずっと深く――。そこには膝を抱えて丸くなり、殻に閉じこもるようにして眠る、一人の少年の姿があった。

「……あの子が……」

 声は震え、掠れていた。

 それは、自分のものだと思っていた手足。鏡を見るたびに映っていた、自分の顔。すべてが自分のものではなく、たった一人の居場所すら奪ってしまった「借り物」だった。炎はその光景に絶望し、その場に崩れ落ちた。膝が水面に触れても、やはり濡れる感覚はなく、それすらも、今の炎には現実感を遠ざける材料にしかならなかった。8歳の心には、あまりにも重すぎる現実だった。虐待やいじめに耐えるための心の支えが「偽物」だったと知った衝撃は、計り知れない。

 炎は泣きながら、溜め込んできた感情をこぼした。肩が大きく震え、声が裏返った。

「……ふざけるなよ! じゃあ、今までの僕の頑張りは、全部無駄だったってこと!?」

 目から溢れたのは、悲しみよりも激しい「怒り」の涙だった。頬を伝う熱さだけが、今、確かに自分のものだと感じられた。

「褒めてほしくて……お母さんたちに笑ってほしくて、家事だって勉強だって、あんなに一生懸命頑張ったのに! 学校で叩かれたって、バカにされたって、耐えて、耐えて、何度も耐えて……!!ずっと耐えてきたのに!!」

 炎は湖の面に拳を何度も叩きつけた。パシャン、という水音が思いのほか大きく響き、波紋が、眠る少年の顔を歪ませる。

「全部、僕の体じゃないから意味ないなんて、そんなの勝手すぎるよ! 家族じゃないから叩いてもいいなんて……じゃあ、僕はなんのために頑張ればよかったの!? どこまで頑張れば、みんな優しくしてくれたの……っ!?」

 そんな炎の姿を見て、シオンは視線が同じ高さになるまで腰を落とした。衣擦れの音すらしない、滑らかな動きだった。そして、細い指先で炎の頬を伝う涙をそっと拭い、一つの提案をした。その指先の温かさだけが、今の炎にとってわずかな安らぎだった。

「ねえ、ケント。そんな場所、もう捨ててしまいなさい。あんな連中のために、これ以上耐える必要なんてないわ。……私たちの世界に来なさい」

 炎は涙で濡れた顔を上げ、呆然とシオンを見つめた。藍色の瞳の奥に、確かな優しさが揺れているのが見えた。

「……お姉ちゃんたちの……世界?」

「うん。そこで私たちと一緒に、幸せに生きましょう?」

「どうやって行くの……?」

 シオンはその問いに答える代わりのように、何もない空間へと手を突き出した。

 すると、虚空がまるでガラスにヒビが入るようにパキパキと音を立てて歪み始めた。その音は耳の奥にまで響くような、不思議な質感を持っていた。歪みは次第に大きな渦となり、その中心から「夜」を切り取ったような真っ黒な穴が広がっていく。穴の縁からは、冷たい風がかすかに流れ出し、炎の前髪を揺らした。

「ここを通れば、あなたの魂は今いる肉体から離れて、私たちの世界へ行けるわ」

 その言葉は、絶望の淵にいた炎……いや、雪月ケントにとって、暗闇に差し込んだ唯一の光だった。しかし、ケントはその光に飛び込むことを躊躇していた。視線が、渦と水底の少年の間を、何度も往復する。

 小さな胸の中に、一つの疑念が生まれていたからだ。

「僕の魂が抜けたら、今いる体はどうなるの?」

「体には何も変化はないわ。ただ……あなたの魂が今の半分以下になれば、精神の中に『隙間』ができる。そうすれば、彼の魂が自由に動けるようになって、自然と目を覚ますわ」

「……あの子、起きてもびっくりしないかな?」

 その問いに、わずかにケントの声が柔らかくなった。

「大丈夫。彼はね、あなたが今まで体験したことを、すべて自分のこととして記憶しているから。だから目覚めても違和感はないし、言葉が分からなくなることもないわ。……まあ、あなたが身につけた知識や技術までは完全に引き継げないけれど、それは誤差のようなものよ。だから、ケントが気にすることはないわ」

 シオンはケントを安心させるように、穏やかな声で告げた。しかし、その答えでケントは一つの考えに至ってしまった。胸の中で、ぐるぐると考えが巡った。

(僕がこのまま行ったら、あの苦しみを味わうのはあの子だけになってしまう……。そんなのダメだ! でも、僕だってあの日々に戻るのは嫌だ。どうしたらいいの? ……そうだ!)

 ケントは名案を思いついたかのように顔を上げ、すがるような目でシオンを見つめた。

「お姉ちゃ……」

「だめよ」

 ケントが提案を口にしようとした瞬間、シオンの冷たい言葉がその唇を封じた。まるで彼の思考をすべて読み取っているかのように、彼女の瞳には一切の迷いもなかった。

「え? 僕、まだ何も言ってないのに……」

 ケントは目を見開き、思わず一歩、後ずさった。

「ケントの言いたいことはなんとなくわかるわ。あの子も一緒に連れて行ってほしいんでしょ?」

 シオンの指摘に、ケントは大きく頷いた。

「うん! だから、お姉ちゃん……」

「でも、だめなの」

「なんで!? どうしてあの子を置いていかなきゃいけないの!?」

 ケントが叫ぶように問い詰めると、シオンは悲しげに目を伏せた。長い睫毛が、わずかに震える。

「このゲートを通る間、私一人の力ではケント一人を守るのが精一杯なのよ。もしあの子まで連れて行って、二人の魂に何かあったら取り返しがつかないわ。それに、この門が開くのは今回一度きり。何度も往復して助け出すこともできない。……だから、申し訳ないけれど、あの子にはここに残ってもらうしかないの」

 その言葉を聞いて、ケントの胸にはどうしようもない悲しみが込み上げた。視線が、再び水底の少年へと落ちた。

 けれど、その時――ケントの頭に、とんでもない案が浮かんだ。……いや、「思いついてしまった」のだった。

「……わかったよ、お姉ちゃん」

 ケントが力なく呟くと、シオンはどこか安心したような顔を見せた。肩から、わずかに力が抜けたのが見て取れた。

「なら、このまま一緒に……」

「僕の魂を、半分に分けることはできないかな?」

 シオンの言葉を遮って放たれたその問いに、彼女の顔から色が消えた。


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