2話 怖いもの知らずの生意気な少年
子供が母親を求めて泣きながら助けを求めている。間に合わないかもしれないと考えながらも、ラフィアは一歩を踏み出し、瞬間的に加速し姿を消す。
残ったのは純白の羽根が揺らめきながら一枚落ちるのみ。声の元へと自然と身体が向かっていた。
悪魔を視認する。
今まさに泣きじゃくる子供を掴み上げ、口元へ持って行こうとしていた。
戦闘経験だけは豊富に積み重ねた千年間。
流れるような魔力捌きで、片手剣ほどのサイズの魔力光を手元に凝縮する。
少女を掴んでいた腕を根本から切断し、落ちてきた少女を抱き抱える。
「怪我は?」
尋ねると、少女の表情は虚空を見つめるのみ。
周りに人はいない。今ここでこの放心している少女の恐怖を取り除くには、目の前にいる悪魔を倒さなければならない。
悪魔は斬られた腕を抑えながら、紫色の血が滴るのを握り潰して止血をしていた。
この生命体は、本当に謎だらけだ。
ラフィアはこの千年の間に悪魔の拠点や発生原因をしらみ潰しに探した。
しかし、よく発生する場所の特定はできても、拠点や原因の解明には至らない。
そもそも、いくら力をもった『個』がいても物量で押し潰される毎日。
助けられる人命には限りがあった。
今回のように一度に助けられる人間は少ない。
地道に救ってきたからこそ存続しているとも言えるが、減り続けるスピードを食い止めることは出来なかった。
理不尽なまでの暴力は、今も世界のどこかで起きているだろう。
苛立ちを感じながらも、握っている魔力光へ更に魔力を込めて斬りかかる。
胸のど真ん中を狙った一撃は、数だけが取り柄だった悪魔を簡単に屠る一撃となる。
だが、今回は違った。
片腕となり瀕死の間際、木偶の坊だと思っていた悪魔は、もう一本の腕でガッチリとラフィアの魔力光を掴んでいた。
「なっ……!?」
掴んだ腕をそのまま振り翳し、横一閃の薙ぎ払いが命中する。
完璧に捉えた力強い一撃は、建物を吹き飛ばしながらラフィアの身体を壊した。
「はは……ははははは」
自分を庇ってくれた誰ともわからない人物が吹き飛ばされ、少女は恐怖のキャパを振り切って乾いた笑いが込み上げる。
勢いが収まり、瓦礫と化した家の一部にラフィアは強く打ち付けられた。
すぐに立たなければ、魔力の高い天使を喰いに来る。
仮にこの変異体とも呼べる悪魔に捕食されれば、人類に残された時間は減少の速度を上げるだろう。
ボロボロになった全身に鞭打つように、少しずつ体内で魔力を高め、そして唱えようと口を動かすが、寸前で止まってしまう。
(もういい。私はよくやった)
自分へ言い聞かせながら、与えられた責務を放棄していっそのこと楽になりたい。
ささやかな世界への抵抗もこれで終わり。
瞼を閉じればそれで終わり。
千年もの間、ラフィアはたった一体の悪魔相手に不覚を取ったことはなかった。
それ故に、ここで吹き飛ばされたことはラフィアにとって諦めからの安堵を与えていた。
「私は今まで、何のために生きてきたんだろう」
(一度諦めたはずの心からなぜこんな気持ちが……。私はまだ完全に諦めたのではなく、心のどこかで希望を探していた?)
最後の言葉を吐き捨て、少しの後悔と解放感に浸っていると、一人の男性がラフィアの意識を再び呼び戻した。
「なんだ? こんなところで天使様が死にかけてるじゃん」
日本人だと思われる容姿の少年が、瓦礫の上から膝に手をついてラフィアを見下ろしている。
天使を見下ろすとは何たる不敬か。
恐らく私を崇めている宗教団体が見たら発狂するだろう。
団体は至る所に存在している。
恐らくは無自覚にしているこの不敬をすぐに止めさせなければ、きっとこの少年はその場ですぐに処刑されてしまうだろう。
「そこから……すぐに退きなさい。
どこで誰が見ているかわかりませんよ」
「そんなくだらねぇこと言ってる場合かよ。
もうすぐそこまで奴が来てるぜ」
「私は問題ありません。
あの程度の悪魔、すぐに片付けられますから。それよりも……!」
少年は大きくため息を漏らしながら、ラフィアと同じ目線まで瓦礫から滑るように降りる。
立ち上がろうとするが、ラフィアは瓦礫にへばりつくように身体を起こすことが出来ない。
「そんな体たらくで何が問題ないだ。
さっさとズラかるぞ」
軽々とラフィアを持ち上げた少年は、およそ人間とは思えないほどに速く、まだ無事の舗装路を走って逃走を始めた。
「何をしているのですか!
人の子が私に触れるなど!
そんなにも自分の命が要らないのですか」
「そんなわけねぇだろ。
つーか、あんまり喋ると舌噛むぞ」
更に速度が上げられていき、抜群の脚力を発揮した少年は悪魔を完全に振り切る。
辺りはもう夜の帳が下りる頃。
瓦礫と廃墟から少し離れた木々が茂る中、少年が一人で全て夜営の準備を済ませていた。
絶好の死に場所を見つけたと思っていたというのに、自分を崇めていた人間によって奪われてしまった。
「なぜ助けたのですか」
「さぁな。でもあの時のアンタは、口では死を選びたそうだったが本心ではそう思ってない。
そんな気がしただけだ。ただの気まぐれさ」
「はぁ……私を助けたのは、まだ私に働けと。
あなたはそう言いたいのですね」
「辞めたきゃ辞めちまえよ」
突っぱねるように少年は苛々を包み隠さずに言葉を返した。
「え?」
思わずラフィアの語尾が上がってしまい、内心が漏れ出てしまう。




